タイトル:八木橋様より ちょっとはオマケしてくれよ?
アイテム:鳥羽様より 脱ぎたてのTシャツ


「ちょっとはオマケしてくれよ?」



  こっそり手を繋ぐと、二人して夏祭りの喧噪を足早に通り抜けた。
  ひっそりと静まりかえった境内の裏手へ行くのに、どちらとも口は開かなかった。気まずい雰囲気だけが漂っていて、そんな気にはなれなかったのだ。
  誰もいない場所で二人きりになって、どうにかしたいと思っているのは、何もエースだけではないだろう。おそらくサンジだって同じ気持ちでいるはずだ。
  繁みの奥、ご神木の影に隠れるようにしてエースは、二ヶ月半ぶりにサンジを強く抱きしめた。
「会いたかった」
  掠れたような甘い声で囁くと、サンジの肩がピクリと動く。
  二人が密着することで、汗でじっとりと濡れたTシャツが肌にピタリとへばりついて気持ち悪い。
  それでも、その不快感さえも心地よいとエースは思ってしまう。
  こうしてサンジと顔を合わすことができてよかったと、そんなふうにエースは思う。
「なにが会いたかった、だよ」
  自分だって胸の奥底では同じように思っているくせに、サンジは天の邪鬼だ。いつも、そうだ。気持ちとは裏腹な言葉を口にしては、落ち込んでいることをエースは知っている。
  言うと同時にサンジの足が、エースのすねを力任せに蹴飛ばした。
  会いたかったのはきっと、サンジのほうだ。
  唇を噛み締めてサンジは、エースを軽く睨み付けてくる。
  暗がりの中を、生暖かい風が通り抜けていく。
  じわりと背筋を伝い落ちる汗の粒に、エースは不快感を感じて苦笑した。
  それを見たサンジは苛々と地団駄を踏んだ。



  エースとサンジは幼馴染みだ。
  一年の歳の差はあるものの、幼稚園から小、中、高と同じ学校に通い、エースは大学へと進んだ。一年遅れでサンジが進学した時にはしかし、エースはそこにいなかった。サンジに内緒で黙って大学を中退したエースは、近所の町工場に就職を決めてしまっていた。この就職難のご時世に、家族にも黙って決めてしまったのだ。
  サンジに問いただされた時も、一緒にいたいからだと、あっけらかんとした表情で返した。そのためだけに、就職をしたのだ、とも。
  父親はともかくとして、祖父にはしこたま怒られた。
  もちろんサンジはそれ以上だった。台風のような勢いで暴れまくった挙げ句、エースに三行半をつきつけて帰っていった。もちろんエースには一言の弁解もさせなかったし、そんな余裕すら与えてはくれなかった。。
  喧嘩別れをして二ヶ月半近くになるが、久々にサンジの体温を近くに感じて、エースの心臓は少年のようにドキドキしっぱなしだ。
  もともと筋肉質だったエースの体は、働きだしてからいっそう逞しく、均整のとれた体になった。一方のサンジは、大学に入ってから少し痩せたようだ。ほっそりとした色白の体は、以前にも増して華奢になったように思える。
「せっかく同じ大学に入ったのに」
  唇を尖らせてサンジが言うと、エースは口元だけでニヤリと笑った。
「悪りぃな。どうしても、あの工場で働きたかったんだ」
  車を扱う地元の整備工場だったが、小さくても開発室や研究室のある、少しは名の知られた工場だ。悪くはないと、エース自身、思っている。
「中退なんて、クソダセェ」
  憮然としてサンジは言い放った。
「そうかもな」
  そう言ってエースは、しししっ、と不敵に笑う。こんなに図太い神経をしている男だからだろうか、余計にサンジは苛々するのだろう。諦めてくれとエースは呟く。
  ムッとした顔でサンジは、エースを見上げた。
「油臭せぇし!」
  機械油のにおいがしみついたエースの体は、たった二ヶ月半勤めただけだというのに、すっかり油臭くなっている。工場のにおいだとエースは思った。毎日、その空間に出入りしているエースの鼻にはすっかりお馴染みになったにおいだ。
  もういちどサンジは、エースの臑をオマケとばかりに蹴飛ばした。
  暗がりの中に、微かなエースのうめき声があがった。



  スタスタと足早に歩くサンジの後を、エースが大股にのんびりとついていく。
  大学を中退した後、エースは家を出て一人暮らしをしていた。狭かったが、一人で暮らすには問題はない。もともと荷物の少ないところにくわえて、仕事で忙しくて家には寝に帰っているだけだ。荷物の増える余裕すらなかったのだ。
「部屋……」
  歩きながら、ポツリとサンジが呟いた。
「ん?」
  首を心持ち傾けてエースがちらりとサンジを見ると、気まずいのか、サンジはぷい、と明後日の方向に顔を背ける。
「部屋に……行っても、いいか?」
  ややきつい口調でサンジが尋ねる。拗ねてるのか、照れてるのか。どちらにしても、怒っているわけではなさそうだ。
「ああ、来いよ」
  笑って返すと、サンジはツン、と唇を尖らせた。
  暗がりだから、手をそっとさしのべて、サンジと手を繋いだ。最初は遠慮がちだったほっそりとした指が、ぎゅっとエースの手を握り返してくる。その手の感触にエースは、満足そうな笑みをこっそりと洩らす。
  つきあっているのかと問われると、すぐには答えられない関係だ。子どもの頃からずっと一緒で、『好き』だとサンジに告白もされた。エースが高校を卒業した日のことだ。それからおそらく、二人はつきあっていることになっていた……はず、だ。と、いうのも、告白されたからといって何かが大きくかわったわけでもなく、それまでと同じようなつきあいが続いていた。手を握ったり、相手の肩を抱いたりする回数が増え、密着度が増す中で、キスを経験した。あんなに口の悪いサンジだったが、あれでなかなか、キスは初々しいのだということを、エースははじめて知った。背中にまわされる手がぎこちなく自分の体に縋りつくのを感じて、体中の熱がカッと燃え上がるような感じがしたことを覚えている。
  しかし、それだけの関係だった。
  それ以上の関係に進むのは、サンジにはまだ早いと、エースはそんなふうに感じていた。
  嫌いだとか、愛想が尽きただとか、そういうわけではなく、見かけ以上に精神面では幼いサンジのことを考えると、それ以上の関係に進むことが恐くてできなかったのだ。
  だから、二人の間に距離を置こうと思った。
  頭を冷やして、サンジにとってどうすることがいちばんいいことなのか、考え直してみたいとエースは思ったのだ。
  大学を辞め、就職をして、二ヶ月半が過ぎた。
  久しぶりに会ったサンジは、少し痩せたようだった。頬のラインがシャープになって、顎にうっすらと髭なんぞをはやしてみたりして、必死になって大人ぶろうとしている。エースのいない大学で、周囲から舐められた態度を取られないように粋がって、必死なのだろう。
  そんな一生懸命な様子を見て、エースは、やっぱりサンジは可愛いと思った。
  繋いだ手に力をこめると、汗ばんでじっとりと湿ったサンジの手が、ビクッとしてから躊躇いがちにエースの手をぎゅっと握り返してきた。



  アパートの部屋は、そんなに狭くはない。
  エース一人の時にはそんなふうに思えた。
  サンジを連れこんだ今日、この部屋がひどく狭く感じられる。
「テキトーに座ってよ」
  そう言ってエースは、冷蔵庫の缶ビールを取り出す。他には、ペットボトルのミネラルウォーターとお茶しか入っていない。食事は、いつもカップ麺か冷凍食品やレトルト食品、コンビニ弁当だ。
  どうしようかと思案しながらも、冷凍食品をいくつか取り出し、レンジに突っ込んだ。ビールを飲みながら食べるつもりだったから、量はそんなになくても構わない。
「ちゃんと、生活できてるだろ?」
  温めたたこ焼きやお好み焼きをちゃぶ台に並べて、エースは言った。
「あ……うん」
  言葉少なにサンジは返す。
  喧嘩別れするまでのエースは、自宅から大学へ通っていた。サンジは、驚いているのだろうか。あまりにも何もない部屋だからだろうか。それとも、見たこともないような狭い部屋だからだろうか。それとも……。
  落ち着かなさそうにそわそわしながらサンジは、エースを見上げる。
「……ちゃんと、食ってんのか?」
  心配そうに尋ねるサンジに、エースは笑いかけた。
「見てのとおりだ」
  慣れれば、どうということもない。好き嫌いなく何でも食べられるから困ることもなかった。あとは、たまにサンジお手製の料理が食べられれば何も言うことはない。
「俺……」
  ポツリ、と、サンジが呟く。うつむきがちに目を逸らして、意識してエースのほうを見ないようにしている。
「俺、飯、作りに来ようか?」
  耳だけでなく、首筋までも真っ赤にして、サンジが告げる。
  ちゃぶ台を挟んでサンジと差し向かいに座ったエースは、照れたような笑みを浮かべた。
  まさか、サンジのほうからこんなことを言い出してくるとは思ってもいなかった。冗談交じりにサンジに頼み込んで、その勢いのままにエースはもう一度つきあってほしいと言い出すつもりをしていたぐらいなのだ。
  こんなにも嬉しいことは、初めてだ。
「頼むよ、サンジ」
  サンジの手を取って、エースは言った。



  気付いたら、二人はまた、つきあいだしていた。
  あの夏祭りの夜から、二人の関係は少しばかり甘ったるいものに変化していた。
  以前と違っているのは、サンジが辛抱強くなったことだ。以前のサンジならきっと、気に入らないことがあると癇癪を起こしてエースを蹴飛ばしていたはずだ。その気の短さが、今はなりを潜めている。
  仕事から帰ってくると、部屋にはサンジのいる日がある。
  大学の授業やバイト、それにコンパなどのスケジュールの合間を縫って、サンジはエースの部屋に通ってくる。
  悪くはない。
  好きな人がいて、一緒に食事をし、他愛のない話をして時間を過ごす。
  どうしようもなく幸せで、どうしようもなく甘ったるくて、嬉しすぎてたまらない。
  アパートの部屋のドアを開けて、待ってくれている人に「ただいま」と言う。ただそれだけのことだというのに、エースは幸せで幸せでたまらなくなる。
「ただいま」
  玄関口で声をかけると、まず部屋の中を見渡して、サンジの姿を捜してしまうようになった。
  ついこの間までは、サンジのいない空間が当たり前だった。一人きりの部屋に戻ってくると真っ暗で、手探りで電気をつけなければならなかった。寂しいと思っても一人の部屋では誰かと喋ることもできず、胸の内に抱えた想いがグルグルと回っているだけだった。
  明るくなったと、エースは思う。
  部屋に帰ってくるのが楽しくなった、と。
  ドアを開け、そこにサンジの姿を見つけると、それだけで気持ちが安らいだ。
  ここは、自分の帰ってくる場所なのだと、安心することができた。
「お、帰ったのか」
  バスルームのほうから声がしたと思ったら、Tシャツとハーフパンツ姿のサンジが玄関までエースを出迎えにやってくる。サンジ自身は気付いていないのか、めくれあがったTシャツの裾から白い腹が見えている。
「なんつー格好」
  頭からタオルをかぶっているものの、ポタポタと水滴が髪を伝い落ち、サンジの足下の床を濡らしていく。
「今日は早かったな」
  そう言ってちらりとエースに視線を向けたサンジは、スタスタとバスルームに戻っていく。タオルでごしごしと髪を拭いている後ろ姿がちらりと見えた。
  よりを戻して以来、サンジには触れていない。
  時々、手渡されたビールの缶を間に指が微かに掠めていくことはあった。指先が触れあった瞬間、ドキン、と胸が高鳴るのが心地好い。
  しかしまだ、サンジを抱いたことはない。
  サンジとは、順を追ってつきあっていきたいと、そんなふうにエースは思っている。
  ちょっとぐらいと思う時もあったが、サンジを見ていると、無理に抱いてしまう必要はないように思えてくる。
  無理に今の関係を壊してしまう必要はないと、臆病なもう一人の自分が、囁きかけてくる。
  着替えを用意すると、エースはバスルームへと足を向けた。
  ちょうど、石鹸のにおいをさせたサンジが、上機嫌で部屋へ戻ってきたところだった。






『溶ける方程式〜2009ASコラボ企画〜』参加作品

BACK