Solid Blue 1

  深夜のキッチンに、ウソップは足を向けた。
  眠れないのは夕飯時にしこたま酒を飲んだからだ。
  今日はウソップの誕生日だった…──いや、もう昨日のことか。
  海の上だからたいしたことはできないけれどとわざわざ前置きをしておいて、皆でウソップの誕生日を祝ってくれた。不意打ちのパーティに鼻の奥がつんとなったことは、ウソップ一人の秘密でもある。
  サンジの料理をしこたま食べて、酒を飲み、騒ぎまくった。
  皆からのプレゼントは航海中ということもあって本当にささやかなものばかりだったが、それでもウソップは嬉しくて仕方がなかった。こんな風に、歳の近い仲間たちから祝ってもらうことなどそうそうあることではなかったからだ。
  ドアの前まで来ると、中に人の気配がした。
  サンジだ。鼻歌を歌いながら、後片づけだか明日の仕込みだかをしているようだ。
  わずかにむかつく胃を庇うかのように右手で押さえつつ、ウソップは何気ないふりでドアを開けた。
「うぃーっ、喉渇いた……」
  呟きながら中に入ると、サンジがくるりと振り返り、ウソップを見た。
「なんだ、眠れねぇのか?」
  フフン、と鼻で笑ってサンジ。
「ああ、喉が渇いてさ……って、お前、まだ起きてたのかよ」
  ウソップがドアを開けた瞬間にサンジの手は新しいグラスを掴んでいた。もう既にレモンの薄切りをグラスに落とし込み、水を注いでいる。
「ここの片付けが残ってたからな。もう終わるところだ」
  そう言いながらサンジは、グラスをウソップの前に出した。
「飲めよ、ハナ。喉が渇いてんだろ、ああ?」
  少々言葉は荒かったが、声色は驚くほど優しかった。
  椅子に就いていたウソップがはっとして顔を上げると、穏やかな蒼い瞳がじっと見つめていた。
  ウソップの好きなサンジの蒼い瞳は、灯りの下では優しい藍色をしている。
「あ……ああ、サンキュ、サンジ」
  そう言うとウソップは、オーバーオールの尻で汗ばむ手のひらを拭ってからグラスを受け取った。



  差し出されたグラスの水をウソップが一息で飲み干すのを、サンジは黙って眺めていた。
  向かいの席に腰を下ろし、じっとウソップの一挙一動を見つめている。
「あん?」
  怪訝そうにウソップが目をぎょろりとさせると、サンジは口元に淡い笑みを浮かべた。
「早くオトナになれよ」
  サンジが何を意図してそう言ったのかがわからず、ウソップは首を傾げてサンジをまじまじと見つめ返す。
  笑いながらもサンジの瞳は、真剣だった。真面目に今の言葉を口にしたのだと気付いたウソップは、鼻白み、サンジを軽く睨み付けた。
「どういうことだよ、それ」
  尋ねると、からからと笑ってサンジは答える。
  今日が……いや、昨日がウソップの誕生日だったことは、メリー号の誰もが知っている。それなのにサンジは何故、ウソップを子供扱いするのだろうか。
「何でもねぇ。さて、そろそろお開きにするかな」
  誤魔化されたような気がするのは気のせいではない。サンジは明らかに、自分が口にした言葉の裏の意味をウソップに気付かれたくないと思っているようだ。
  空のグラスを両手で包み込むようにして持つとウソップは、真っ直ぐにサンジを見つめ返した。
「おいおい、なにをそんなにムキになってんだよ」
  軽く言い流すとサンジは、席を立った。焦らすようなゆっくりとした足取りで、ウソップのほうへと近づいてくる。
「俺が言っていることの意味が早く理解できるようになれ、長っ鼻。そうしたら、すぐにでもオトナ扱いしてやるよ」
  そう言ってサンジは、背後からウソップの肩を優しく抱きしめた。
  ふんわりと、甘ったるいにおいがウソップの鼻の中に広がる。
  そういえばサンジは、今日は朝からずっと料理を作っていた。誕生日の主賓であるウソップのためにケーキを焼いてもくれた。甘ったるいにおいはケーキのにおいにも似て、何だか優しい気持ちになってくる。
  ウソップは、肩に回されたサンジの手に、自分の手を重ねた。



「早く、オトナになれ」
  サンジはもう一度、呟いた。
  ウソップの耳にかかる、規則正しいサンジの呼吸。よりたくさんドキドキしているのはどちらだろうか。そんなことを考えていると、後頭部にコツン、と頭をぶつけられた。
「ああ……クソッ、ったく……」
  触れ合った部分から身体の中心へと向けて熱が伝わっていくような感じがして、ウソップはもぞもぞと身体を動かした。
「……──ばっかり……」
  掠れたサンジの声は聞き取りにくかったが、何かに苛ついているような、そんな感じがしないでもない。
  ウソップがサンジと恋人ごっこのような関係を築いたのはつい最近のことだ。まだ、キスも数えるほどしかしたことがない。日常の生活の中で、普通の恋人同士のようなことはできなかったし、クルーに隠れてこっそりと、となると、なかなかその機会も巡ってはこない。加えてウソップはシャイだった。数多の女性たちを相手にした経験豊富なサンジと違い、ウソップには故郷のカヤとの想い出だけが唯一の経験でしかない。一方的にサンジのほうから迫っていき、素早く唇に触れるだけのキスを二度、三度、メリー号の主柱の影や倉庫の片隅で交わしたことしかないのだから、恋人と呼べるかどうかもあやしいほどだ。
  サンジの呟きにどう返そうかとウソップがあれこれ考えていると、肩に回された手に、いっそう力が込められた。痛いほどに抱きしめられ、ウソップは間近でサンジの吐息を感じた。
「ああああ……あの、あのさ、サンジ……」
  言いかけたところへ追い打ちがかかった。
「……らせろ」
  低い、腹の底から絞り出したかのようなサンジの声が、ウソップの耳元で不快な唸り声をあげていた。



  痩身のサンジのどこにいったいそんな力があったのだろうかと思いたくなる。
  あっというまに床に引きずり倒されたウソップは、自分の上に馬乗りの体勢になったサンジを呆けたように見上げていた。
  整ったサンジの顔はどこか思い詰めたような翳りがある。蒼い瞳がまっすぐにウソップを凝視し、射竦めている。
  身動きできない自分をウソップは感じていた。
  まるで蛇に睨まれた蛙のような気分だ。
「昨日はクソめでてぇ、テメエの誕生日だった」
  サンジが低く言った。
  よく見るとサンジの目は据わっており、ウソップの焦げ茶の瞳だけをじりじりと睨み付けている。
「確か、俺からのプレゼントはまだ受け取ってなかったはずだよな、てめぇは」
  ウソップはサンジの口元を見つめていた。
  すらりとした形のよい唇。顎にうっすらと生える髭は艶めかしい色気をサンジに与えている。
「お……おぅっ……」
  反射的に返事をしたものの、ウソップの声は震えている──迷っているのだ。ウソップは。
  どう返そうかと頭の中であれこれ考えていると、不意にサンジの顔が迫ってきた。
  柔らかなサンジの唇が、ウソップの唇に押し付けられる。
  ──ああ、やっぱり甘いにおいがする。
  ぼんやりとウソップは、そんなことを思っていた。



  サンジの唇が触れた部分からじんわりとした熱が身体の奥へと広がっていく。
  戸惑いながらもウソップは手を伸ばし、サンジの背中へと回した。
  サンジの身体は見た目ほど肉付きはよくなく、かといってギスギスに痩せているというわけでもない。筋肉はついている。ただ、余分な肉がついていないというだけだ。
  円を描くようにサンジの背中をゆっくりとなぞってやる。
  ちらりと見えた赤い舌が、ウソップを誘っているのは明らかで。
  どうしようかと考える間もなく、サンジの唇がウソップの唇を貪りはじめる。
「あわわっ……あの、サンジ……ササ…サンジ、ちょっと……」
  言いかけたウソップの口腔へ、サンジの舌が無理矢理ねじ込まれた。
  サンジの舌は、やっぱり甘いにおいがしている。ウソップの身体の中をアドレナリンが駆け回っている。それも、ぐつぐつと沸騰したアドレナリンだ。
「ああ? 何か文句でもあるってぇのか?」
  言いながらサンジは、ますます身体を密着させてくる。
  甘いケーキのにおいと、水仕事でかさついた手。柔らかな唇。そのどれもが、サンジを形成するパーツの一つ一つなのだ。
  まるで夢を見ているようだとウソップは思った。
  これは、恋人ごっこの延長などではない。
  そしてまた、ウソップの夢などでもなかった。



To be continued
(H16.2.27)



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