LOVE IS 2−5

  ゾロのいない世界は、まるで太陽の絶えた世界のようだ。
  何もかもが色褪せて見えるのは、きっと、ゾロがいないからだろう。
  一人の夜が十日経ち、二十日経ち……と続いていくと、次第にサンジの気持ちも落ち着かなくなっていった。
  すぐに戻ってくると言っていたのに、城を出て以来、ゾロからは何の音沙汰もない。
  ウソップからの書簡もこれまでのところ一度もなく、それについてはベックマンも少しばかり心配をしているように見えないでもない。
  あの日、別れる直前にサンジは、厨房裏の休憩室でゾロに抱かれた。
  そのことを思い出すだけでも顔から火が出るほど恥ずかしい。
  足の揃わない机がカタカタと音を立て、軋んだ音を思い出すたび、サンジの体の奥がじんわりと熱を持つ。
  自分で自分を慰めることは容易かったが、一度でもそうしてしまえばなし崩しに自分のプライドまでもがぐちゃぐちゃになってしまいそうで、怖かった。
  早く戻ってきて欲しいと思いながら、今は身近にいるエースにともすれば寄りかかってしまいそうな自分がいることで、サンジは何とも言えない息苦しい思いを胸に抱えこんでいた。
「すぐに戻ってくる、って言ってたのに……」
  唇を尖らせてサンジは呟く。
  部屋のバルコニーは開け放たれ、ひんやりとした夜気に震えが走るほどだ。
  それでも、一人きりの部屋にいるよりはと、サンジはバルコニーに出て夜空を見上げていた。
  今夜は、街の外れの方を暴徒が襲撃しているらしい。ずいぶんと前から外が騒がしい。何人もの兵士が騒ぎをおさめに出かけていったが、まだ誰も戻ってきてはいない。
  就寝時間の少し前にも、何人かの兵士たちがエースに率いられて出かけていった。この様子だと帰りは夜中を過ぎるかもしれない。
  きな臭いにおいが空気の中に混じっていた。
  街の向こうのほうがほんのりと薄赤い。
  燃えているのはどこだろう。
  じっと街はずれの空を見つめていると、そのうち、誰かが部屋に入ってきた。
  こんなふうにノックもなしに部屋に入ってくるのは、誰だろう。おおかたシャンクスだろうと思ったサンジは、黙ってバルコニーに立ち尽くしていた。
  そのうち、誰かの気配は消えてしまっていた。
  気配がしなくなってからサンジは部屋の中に戻った。
  サイドボードには、ウソップからの書簡が置かれていた。



  暗がりの中でベッドに横になる。
  ウソップからの書簡を見るだけの気持ちにもなれず、そのままサンジは眠ってしまっていた。
  エースが怪我をした時のように、不安な気持ちが胸の中では渦巻いている。
  すぐに戻ってくるとゾロは言ったが、無事に戻ってくるとは言わなかった。怪我はして当然だときっぱりと告げたあの瞬間のゾロの表情が、夢の中に何度も出てきては消えていく。
  怖かった。
  夜中に何度も目を覚ましては、またうとうとと眠りに落ちていく。
  不安で不安で、たまらなかった。
  サンジが怖れているのは、誰かが不意にいなくなってしまうことだ。
  バラティエでの生活で何度も味わった。少しでも誰かと親しくなろうものなら、その相手はいつの間にかいなくなっていた。いなくなった相手がどうなったのかは、人づてにこっそりと、サンジの耳に入ってきた。泳ぎの得意な者が溺死したり、昨日まで元気だった者が急死したりといった知らせが続き、そのうちサンジは、王の補佐官の前で誰かと親しくするということは、そういう危険を孕んでいるのだということに気付いた。
  自分は常に監視されているのだという事実を突きつけられたような気がして、以来、特定の者と親しくなることは避けるようになった。
  親しい者を守ろうと思うなら、そうするしか他、なかったのだ。
  寝返りをうつたびに新しい悪夢が始まり、サンジを薄ら寒いバラティエの自分の部屋へ連れ戻そうとする。
  王の補佐官の高笑いが耳元で響いたような気がして、最後にサンジは訳のわからないことを叫びながらはっと飛び起きた。
  ベッドの上で大きく呼吸を繰り返しながら、こみあげてくる吐き気をこらえた。
  王の補佐官はまだ、バラティエで勢力をふるっている。
  サンジという枷を解き放ったバラティエでは、ゼフ王とロビンたちが補佐官に対抗すべく、戦っているはずだ。
  自分の無力さを思うと、サンジは悔しくてたまらなくなる。
  早く、力が欲しいと思った。
  補佐官からバラティエを取り戻すだけの力が。ゼフ王の隣で跡継ぎとしての責任を果たすだけの充分な力が欲しいと、サンジは切に思った。
  そのためにはやはり、ゾロに一緒に来てほしいと思わずにはいられない。
  ゾロの強さや判断力の鋭さは、サンジにはないものだ。自分に持っていない能力を備えている男を手に入れたいと思うのは、間違っているだろうか?
「──…どうか、無事に」
  無事に戻ってくれと、サンジは願った。
  やはりゾロには、バラティエに戻る時には一緒に来てもらいたい。



  北の砂漠には、夜盗が頻繁に出た。
  おそらくその中には、シャンクスやエース、ルフィに対抗する勢力と思われる者が混じっているはずだ。
  ひとつの勢力が少しずつシャンクスの兵力を削いでいくつもりでしていることなのか、それとも複数の勢力がシャンクスたちを狙ってしていることなのか。ずっと以前からそんな状態が続いている。どちらにしても、狙われていることに違いはない。
  この状況に、誰も文句は言わなかった。
  皆、自分たちの故郷を自らの手で守ることに必死で、文句を言っている暇もないのだ。
  そうやって何年もの間、彼らは戦ってきた。シャンクスを筆頭に、エースとルフィの兄弟がこの国を守っていくだろう。きっと二人は、いい跡継ぎになってシャンクスと同じように国のために戦うだろう。
  その時にはサンジも、バラティエの跡継ぎとして、故郷を守っていたいと思った。
  今は無理でも、いつかきっと、そうなりたいと思っている。
  そのためには、ゾロが必要だ。そしてフーシャでの生活と、経験とが、バラティエへ戻るための力となり糧となるだろう。
  誰にも言わずにこっそりと城を後にしたサンジは、北の砂漠へと馬を進めている。
  明け方前の空気は冷たかったが、清々しかった。
  今、ゾロがどこにいるかもはっきりとわからずに、サンジはフーシャの街道を馬で進んでいる。
  バラティエの宮廷でゾロが、補佐官に捕らわれていたサンジを助けたように、サンジもゾロを助けたいと思った。悪夢の中から助け出された記憶はいまだ新しく、鮮明だ。
  誰よりも助けを必要としていた時に、ゾロは、躊躇うことなくサンジを助けてくれた。
  エースにもシャンクスにもできなかったことを、ゾロは成し遂げたのだ。
  馬の背に跨り、辿ってきたばかりの道をサンジは振り返る。
  茶色いごつごつとした道が続く向こうのほうに、フーシャの城が見えている。
  城にいれば、安全なことはわかっていた。バラティエの跡継ぎとして、軽率すぎるということはわかっていたが、どうしてもゾロに会いたかった。
  向き直ると、サンジは二度と背後の景色を振り返ることはしなかった。
  午前中いっぱい、走れるところまで馬で走った。
  城に滞在していた間に、ベックマンや他の者から教えてもらったフーシャの地理は、ほとんど頭の中に叩き込んである。
  この街道の先には北の砂漠があり、砂漠を越えたその向こうには、サンジの知らない世界が広がっている。砂漠の向こうはバラティエと隣接しているとはいえ、両国を断絶するようにして大きな川が流れていた。川の向こう岸が見えないほどの大きな川は、まるで海のようだ。サンジが覚えている限り、バラティエでは川の向こう側との国交は、ひとつとしてなかった。
  何か、意味があるのだろうか?
  そんなことを考えながら、サンジは馬を走らせた。



  街道を北へと向かってまっすぐに進んだ。
  いくつかの集落を通り過ぎ、日没には少し早い時間に何とか野営地になりそうなところを見つけた。
  一人の野営は初めてだ。
  これまでは、ゾロがいた。ゾロがいない時は、ウソップかナミのどちらかが常にサンジと一緒だった。どうすればいいのか、何をしなければならないのか、黙っていても誰かが手伝ってくれていたから、サンジが困るようなことは一度としてなかった。
  フーシャに来てサンジは、ベックマンから様々なことを学んだ。シャンクスはふざけた物言いをすることが多かったが、その言葉の端々には、サンジの知りたいことがちりばめられていた。今は閑散としている図書室の蔵書も、ずいぶんと役に立った。
  だからだろうか、一人の野営にも不安を感じることはなかった。
  街道からそんなに遠くないところに見つけた場所には、何日か前の誰かの野営の跡が残っていた。きっとこのあたりを通る人は皆、ここで野営をしているのだろう。ちょうどいい大きさの切り株に近い地面は煤けており、そこで皆が薪をしているのか、地面が灰でこんもりと盛り上がっていた。盛り上がった部分を爪先でそっとつつくと、その下からは燃えさしの枝が出てきた。
  すぐ近くには、川も流れていた。水はあまりきれいではなかったが、飲めないことはないだろう。
  火口箱を用意するとサンジは、火を熾した。
  ミルクパン兼用のマグカップに水を入れ、タマネギ、カラス麦を放り込んだ。その中に、干し肉をナイフで少しずつ削って溶け込ませていく。塩を持って出てきたのは正解だったようだ。軽く塩で味を調えて、夕食のできあがりだ。
  即席のスープとパンを食べながらサンジは、ゾロと旅した日々を思い出していた。
  あの頃は、フーシャまでの距離がどれだけ遠く感じられただろう。
  今の自分ならきっと、その距離を短く思うだろう。
  バラティエの外の世界を知ってしまった自分はもう、あの頃の世間知らずの自分とは違うのだ。
  質素な食事を食べ終えると、すぐにサンジは寝袋にくるまって目を閉じた。
  何も考えないように、頭の中を空っぽにする。
  ゾロのことは、敢えて考えないようにした。



  夜中に目が覚めたのは、街道を走る馬の蹄の音といななきが聞こえてきたからだ。
  複数の馬の気配がしたということは、それだけの数の人間がいるということだろう。
  目を開けたサンジは、手早く荷物をまとめて野営地を引き払おうとした。
  薪に土をかけて、野営の跡を消した。
  きっと、ここで自分が野営をしていたことは遅かれ早かれ気付かれてしまうだろう。しかし彼らがここへやってくるよりも早くサンジが立ち去れば、それだけ逃げきる確率は高くなるはずだ。
  街道をやってくる連中がどういった集団かはわからなかったが、避けることができるのなら、そのほうがいいだろう。
  幸いなことに、あたりを照らしていた月明かりが、ゆっくりと薄暗くなってきていた。雲の中に月が隠れたのだ。
  深く息を吸い込むと、サンジは鋭いかけ声と共に馬を走らせた。
  北の砂漠までは、まだだいぶん距離がある。
  少しでもゾロに近づきたいと、馬を急がせる。
  ゾロを、守りたい。
  暗がりの中で、風が音を立てて吹き過ぎていく。
  早く、早く、早く──!
  手綱をさばく手に、自然と力がこもる。
  街道から街道へ、道を駆け抜けた。
  いくつかの集落を通り過ぎ、別の集落を横目に馬に声をかけようとしたところで、見慣れた影がサンジの前に立ちふさがった。
「そこまでだ、サンジ」
  ルフィが、サンジの目の前に立っていた。



To be continued
(2008.11.30)



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