波留の本丸に新たな審神者がやってきてから、まだ半月ほどしか過ぎていないはずだ。
それでも、外の陽気はしだいに春めいてきて、そろそろ桜東風が吹きそうな気配がしている。 早朝の演練でそこそこの成果をあげた同田貫正国は、上機嫌で出陣の準備に取りかかっていた。 今日の編成は、隊長に燭台切光忠、副隊長に一期一振、薬研藤四郎、それに御手杵と加州清光、同田貫の六人だ。
いつもと顔ぶれが異なるのは、今回の戦は薬研に手柄を取りにいかせるためだ。布由の本丸から出るまで戦に出たことのなかった薬研は、この波留の本丸にやってきた時には戦を知らない今剣や愛染国俊とほとんど変わりはなかった。それではいけないと審神者である春霞と長谷部の判断で、少し前に薬研の錬度を上げていくことが決まったばかりだ。
「おい、準備はできたか?」
粗っぽい口調で声をかけると、手際のいい薬研は既に出陣の用意を整えていた。
その隣でもたついているのは、加州だ。
「ごめん。髪が絡まっちゃって……」
青い顔した薬研が、手入れ部屋にも入らずに活動を続けていることを同田貫は知っている。いや、おそらく波留の本丸の全員が知っているはずだ。それでも自身が負傷していることを隠しているつもりの加州は、血の気のない唇をわずかに震わせながら髪を手早く一つに纏める。
「よし、できた」
そう言って顔を上げる加州の顔色は、今日はまた一段と冴えない色をしている。
「加州、お前……」
言いかけた同田貫の肩を、御手杵がポン、と軽く叩く。
「隊長たちがやきもきしているようだから、先行ってるぞ」
何も言ってやるなと御手杵がそっと耳打ちをしていく。同田貫は、加州にはそれ以上は何も言わず、踵を返した。
薬研と加州の二人は、同田貫の後をついて歩いてくる。
出陣の前の緊張感などないような第一部隊の面々に、同田貫は安心を覚える。
第二部隊のほうも、先の鍛刀で顕現した蛍丸の錬度を上げるために別の戦場を回っているところだ。こちらも、常とは異なる特別編成だ。
ようやく自分たちにも出番が回ってきたとばかりに、同田貫も御手杵もここのところすこぶる機嫌がいい。
「用意はできたかい?」
穏やかな口調だが、よく通る声で燭台切が声をかけてくる。
口々に用意が整ったことを返すと、すぐに城門が開いた。
「皆、気を付けて!」
様子を見に来た春霞が、声をかけてくる。
「大丈夫だよ、春霞ちゃん。俺たちがついてるから」
調子よく返しているのは、御手杵だ。
「精鋭揃いでの出陣ですからな」
春霞の心配が薬研に向けられていることを知っている一期一振が、横から口を挟んでいく。
「ほら、行くよ」
これから戦に出るとは思えないほど気の抜けた調子で、燭台切が部隊に声をかけた。
春霞が心配そうに後ろへ下がると、刀剣男士たちはそれぞれにすっと緊張した面持を作った。 「じゃ、行ってくる」
薬研の言葉をきっかけに、部隊が前進を始める。
まだどこか心配そうな春霞に、しんがりの同田貫はひらひらと手を振ってみせた。
「そんな不安そうな顔してんじゃねえよ、春霞」
この波留の本丸でも第一、第二部隊は精鋭揃いだ。多少の怪我をすることはあっても、春霞が不安に思うようなことがあるはずがない。もっとも、検非違使にだけは気を付けなければならなかったが。
「進軍速度を上げるよ」
燭台切が声を張り上げると同時に、進軍の速度はぐんと上がった。
六頭の馬が、常足から駆足へと歩様をかえたからだ。
すぐ前を行く加州の体が少しふらふらしているような気がしないでもない。
「面倒なことにならなきゃいいが……」
口の中で小さく呟くと同田貫は、馬の腹に軽く踵を当てた。
阿津賀志山の合戦場は、不穏な空気に包まれていた。
歴史修正主義者とは、もう何度も戦ってきている。
このあたりは検非違使たちの興味を引くようなものがないらしく、これまで一度として出会ったことはない。
逆に蛍丸を連れた第二部隊のほうは、もう少し手前の越前だか安土の合戦場で今頃は検非違使を相手にしているはずだ。
「いやに静かだな」
ポソリと御手杵が呟く。
思っていたよりもこのあたりはのどかだった。鬨の声のかわりに鳥たちの囀りが聞こえてきている。
「そろそろ来るぞ」
布由の本丸にいたため異形のものの気配をよく知っている薬研が、不意に体をこわばらせた。 「皆、準備はいいかい?」
燭台切の声がかかる。
皆それぞれに刀を手に、気配を求めて耳を澄ます。
来る、と同田貫も思った。中空の景色が陽炎のように揺らめき滲み、ゆっくりとその景色の向こうから歴史修正主義者たちが現れる。何度も見ても不思議だ。
「来たぞ!」
部隊に復帰したばかりの御手杵が、手にした槍を構える姿が目の端にちらりと入る。声が上擦っているのは、興奮しているからだろうか。
同田貫も自身の打刀を手に、正面を見据える。
六人目の歴史修正主義者が姿を現すや、加州が飛び出していく。
「……加州!」
誰よりも素早い動きで敵に向かっていった加州は、怪我をしていることすら忘れさせるような機敏な動きで刃を一閃させた。
「おお、さすが加州」
楽しそうに御手杵が頬を緩める。
同田貫は眉間に皺を寄せると、自分が戦うべき相手に意識を向けた。一瞬のよそ見が命取りになっては元も子もない。
他の仲間たちもそれぞれに刃を交えている。
集中しなければ。
見ると、相手はニヤリと笑みを浮かべてこちらを凝視していた。
「叩ツ斬ってやる!」
切っ先が擦れ合う耳障りな音が響いて、腕に痺れるような負荷がかかる。
「……こうじゃなきゃあ、面白くねぇよなあ」
刀を持つ手に力を込めながら、じりじりと相手の刀を押し返していく。同田貫は乾いた唇をペロリと舐めると舌で湿らせた。
生きるか死ぬかの緊張感が心地いいとさえ思えた。武器として自分は役に立っていると思える瞬間だ。
力で押し返しても、相手に押し返される。ならばと引くと、さらに深く追われる。命のやり取りが楽しく思える余裕があるのが、少し物足りなくも感じられる。
一度で倒すことはできなかったが、二度刀を閃かせ、何とか敵を仕留める。
はあ、と息をつくと、すぐ近くで戦ってた御手杵も敵を捻じ伏せたとこだった。
互いに視線を交わし、ニヤリと笑い合う。
こうでなければ戦は楽しくない。武器として、存分に力を発揮できたと思うことができないのはもうご免だ。
素早くあたりを見回して、同田貫は他の仲間たちの状況を確認した。
的確に敵の急所を突いて勝利をあげた薬研は、自分が倒した敵の様子を確かめているところだ。燭台切も一期一振も、まずまずの様子で敵の攻撃を流している。加州の刀捌きは見事だったが、やはり傷が痛むのだろうか、敵に押され気味のような気がする。
「なあ……大丈夫か、あれ」
近付いてきた御手杵が、くい、と顎で加州のほうを指し示した。
敵と戦いながらも加州の刀を持つ腕が、少しずつ下がり気味になってきてる。敵の刃を受け止めるだけの力ももう尽きてしまいそうな様子に、同田貫は顔をしかめる。
素直に手入れを受ければいいものを、加州は次郎太刀に義理立てして、手入れを受けようとしないのだ。意地を張るのも大概にすればいいのにと思わずにはいられない。
「加勢するか?」
手にした槍をぶん、と勢いよく振り回して、御手杵が尋ねる。
「いや、やめておこう」
ここで手を出したら、加州はきっと怒るだろう。
名津の本丸での初期刀としての加州の矜持は、同田貫たちなどが理解できないほど高い。普段の加州からは、想像できないぐらいだ。
「正国がそう言うのなら」
そう言うと御手杵は、槍を地面に突き立てた。
どうやら加州と敵との戦いをのんびり見物することにしたらしい。
そのうちに、決着を付けた他の刀剣男士たちが集まってきた。
「おいおい。大丈夫なのか?」
心配そうに薬研が声をかけてくる。彼なりに加州のことを心配してくれているのだろう。
「あんまり大丈夫じゃなさそうなんだけどな、手ぇ出したら怒るだろうし……」
そう言って同田貫が肩を竦めた刹那、キン、と甲高い刃のぶつかる音が響く。
「まずいぞ……」
燭台切が口早に呟く。
視線を加州へ戻すと、敵の切っ先が加州の胸のあたりを薙ぎ払うところだった。
「加州!」
声を荒げると同時に同田貫は駆け出していた。
後で怒られても構わない。ここは、加州を助けるところだろう。
駆け寄る寸前で、再び敵の刃が加州の胸を貫く。背中へと突き抜けた刃は血に濡れて、零れた赤い滴は地面へと滴り落ちていく。
耳の奥で耳鳴りがしているようだった。
この感覚は、知っている。太郎太刀が破壊された瞬間のあのおぞましい感覚だ。あれと同じ怖気のするような感覚が、ものすごい勢いで同田貫の背筋を這い上がってくる。
敵の刃が引き抜かれると同時に、加州の体はぐらりと傾いで地面へと沈み込んでいく。
「加州、しっかりしろ!」
すんでのところでところで加州の体を捉えた。腕一本でぐい、と支えたが、思ったよりも加州の体は重く、同田貫は小さくよろめいた。ぐったりとなった加州の体を抱きしめたまま、同田貫は地面に座り込んだ。
「大丈夫か? 大丈夫だよな、加州」
できるだけ大きな声で、加州を呼ぶ。
かはっ、と二、三度咳をしたかと思うと、加州は血を吐いた。赤くぬめった口元を同田貫は、てのひらで拭ってやった。
「しっかりしろ、加州。これしきの怪我、どうってことないだろう?」
もう、仲間を失いたくはなかった。太郎太刀の時のような辛い思いはしたくはない。同田貫は必死になって加州の名を呼んだ。
「ど……た、ぬ……」
うっすらと目を開けた加州が、掠れた声で同田貫を呼び返す。
「俺……こんなんじゃ……夏海、に……」
加州の目尻にじわりと涙が浮かびあがったかと思うと、透明な粒が頬を零れ落ちていく。
「すぐに手入れ部屋に連れてってやるから、それまで頑張れ」
加州の体をぎゅっと抱きしめて、同田貫が声をかけた。
名前を呼んでいれば、助かるはずだ。御手杵の時だってそうだった。強く強く生きて欲しいと願ってた。そうしたら、春霞がやってきて手入れをしてくれたのだ。
だから、今回だって……。
「正国!」
「同田貫、伏せろ!」
御手杵が声を張り上げるのと、薬研の鋭い声が飛んだのはほぼ同時だった。
無意識のうちに加州を抱きしめたまま同田貫が身を屈めると、ヒュンッ、と風を切って何かが耳元を通り過ぎていく。
いつの間にか背後に迫っていたのは、加州が討ち漏らした敵だった。
薬研の投げた短刀が敵の喉元に食い込み、動きを止めた。御手杵の槍が敵の腹に突き刺さり、かしいだ敵の体をそのままどう、と地面に縫い留めた。
「たぬき君、加州君は大丈、夫……」
二人のそばに駆けつけてきた燭台切は、言いかけた言葉はそのままに、地面に膝をついた。
「せっかくの可愛い顔が台無しだよ、加州君」
そう言いながら燭台切は、どこからか取り出した手拭いで加州の顔を拭ってやる。
「本丸まで我慢できますかな?」
一期一振に優しく声をかけられ、加州はのろのろとした動きで目を開けた。
「俺……夏海に……」
「喋るな、加州」
奥歯を噛み締めながら同田貫が言葉を押し出す。
「夏海に、最後まで……愛されて、た……?」
虚ろな眼差しで加州は、虚空を見つめた。
「加州、しっかりしろ!」
腹の底から声を上げながら同田貫は、加州の体をさらにきつく抱きしめる。
やめてくれ、もう仲間をこれ以上連れて行かないでくれと胸の内で願いながら、加州をこの場に引き留めようとする。
刃を交えた時に聞こえる耳障りな音が、同田貫の耳の奥で強くなっていく。
やめろ、と同田貫は思った。
これ以上この音が強くなったら……加州は壊れてしまう。太郎太刀を失った時のように、加州がいなくなってしまう。
「加州!」
声を限りに名を呼んだ瞬間、耳の奥でパキ、と金属の割れる音がした。呆気ない脆い音に、同田貫は思わず息を飲んだ。
加州の体から力が抜けていくのが感じられる。
慌てて抱きしめると、加州の腕が力なくだらりと垂れた。
(2015.8.6)
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