加州の手が力なくだらりと垂れさがった。
慌てて同田貫はその手を取る。
握り締めた手に自分の熱を移すように必死に擦っているのに、それでも少しずつ加州の手から熱が奪われていくような感じがする。
「加州、しっかりしろ!」
小さく体を揺さぶると、加州の腰のあたりにつけてあった飾りのようなものがはらりと解けて落ちていき……地面に触れる寸前で、眩く強い光を放ち始めた。
「なっ……?」
不意に眩い光があたりに広がり、加州の全身を包み込んでいく。
「加州君……」
燭台切の声が聞こえる。
光に目がくらんだのか、御手杵が地面に膝をつくのが感じられた。
「……初めて見ました」
一期一振の放心したような声も聞こえた。
何を見たのだろうかと同田貫はぼんやりと考えながら、そっと目を開けた。あの白い光は消えてしまっていた。
突然、加州が大きく咳き込んだ。息をしていた。血を吐いたわけではないようだが、ヒュッ、ヒュッ、と喉を鳴らして、一生懸命目に呼吸をしようとしてる。
腕の中でぐったりとして力を失っていた加州の心臓は、今やはっきりと再び生きるための鼓動を刻み始めていた。
「な……」
言葉が出てこない。
「なんで……」
間違いなく加州はこの腕の中で折れてしまったはずだ。それなのに何故、と同田貫は加州の顔を見つめる。
少し離れたところにいた薬研が近付いてきて、地面にぽつんと落ちていたものを拾い上げた。 「なんだい、それ」
燭台切が尋ねる。
「……春霞のお守りだ」
小さなお守りは、まるで加州の身代わりとなったかのように、袈裟懸けに裂けてボロボロになっていた。
「主の?」
怪訝そうに燭台切が返すのに、薬研は微かに頷いた。
「布由の本丸で春霞の初期刀だった陸奥に渡そうとして、結局渡すことができないままに陸奥は折られてしまったんだ。それ以来春霞がずっと身に着けていたんだが……」
春霞が、お守りを加州に渡していたのだと薬研は言った。
だから確かに折れたと思ったのに、こうしてまた、加州は戻ってくることができた。破壊されてしまうことなく、ぎりぎりのところで命を保っている。
「そうとわかれば、ここは撤収するのが一番ですな」
今ならまだ間に合うとばかりに一期一振が告げた。
誰にも異存はない。
それぞれ集めた馬の背に跨ると、加州の負担にならないように気を遣いながらもできるだけ早い速度で馬を駆けさせた。
本丸に戻ると春霞がすぐに手入れ部屋を解放した。
こういう時の春霞は、思い切りがいい。手馴れた様子で手入れ部屋の障子を開け放ち、留守役の短刀たちに次々と長谷部顔負けの指示を飛ばしていく。
まずは加州の手入れをしながら、合間に時間のかからない比較的小さな傷を負った者の手入れしていくということになった。
手入れをしながら薬研にお守りの話を聞いた春霞は、どこかしらホッとしたような表情をしていた。
加州が助かったことを喜ぶのが半分と、これで手入れができるといった気持ちが半分といったところだろうか。
早々に手入れを終えた同田貫と御手杵は、手入れ部屋の外の縁側でぼんやりと座り込んでいる。
やはり同じ本丸出身だからだろうか、加州のことが心配なのだ。
途中で一度、次郎太刀が様子を見に来た。
その時もまだ、加州は手入れを受けている最中だった。
「……加州のやつ、運が良かったんだろうな」
ボソリと御手杵が呟く。
生き死にを運だの何だと実体のない不確かなもののおかげのように言うのは好きではなかったが、加州が助かったことは素直に嬉しい。同田貫はコクリと頷いた。
「あとは……次郎太刀だけだな」
いちばんの気がかりが、いまだ手入れもせずにふらふらしているのが気になって仕方がない。 酒があるから大丈夫だと次郎太刀は豪語しているが、実際にはそんな軽微な傷ではないことを同田貫は知っている。
一日でも早く次郎太刀には手入れをする気になってもらいたいものだと、同田貫は微かな溜息をついた。
それにしても、庭先はいつの間にか春の気配でいっぱいになってた。
すぐそこの桜の枝にも、ぽつりぽつりと蕾がつき始めている。
あまり日当たりのよくないこの場所ですらこうなのだから、きっと中庭の桜はそろそろ花が開き始めているのではないだろうか。
うぅん、と同田貫は伸びをすると、そのまま縁側にごろりと横になった。
「おい、正国?」
御手杵が声をかけてくるのに、同田貫はニヤリと笑った。
「いい陽気だ。加州の手入れが終わるまでまだ時間がかかるだろうから、昼寝でもしてようぜ」
「そりゃ、いいな」
御手杵もごろん、と縁側に横になる。
二人して縁側に転がったまま目を閉じると、すぐに眠気が襲ってきた。
人の姿を取るということはこういうことなのだと、わかった風に同田貫は頭の中で思った。
(2015.8.7)
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