いつか二人で盃を・2

「祝言を挙げることにしたぞ」
  第二部隊の残りの刀剣男士たちが戻ってくるのを待たずして、宗近は宣言した。
「祝言?」
  同田貫の葬式の用意で慌ただしい短刀たちの間に、一瞬にして動揺が走る。
  戦で折れてしまった刀は、二度と元には戻らない。そんなことは誰もが知っていることだ。ただ、この本丸で刀剣が折れるのは初めてのことだった。これまで、誰一人として欠けることなく戦い抜いてきた中で、仲間が一人いなくなってしまったことがどれほど皆の心に深い傷を残していったかは、計り知れない。
「何言ってんだよ。今は同田貫の葬式の用意でそれどころじゃない、ってのに……」
  眉間に皺を寄せて、愛染が言い返す。
「たぬなら、心配ない。今夜から俺の部屋で同衾すると言っているから、皆も一緒に祝ってくれないか?」
  そう告げる宗近の表情は幸せそうだ。
  仲間たちはただただ互いに顔を見合わせるばかりだった。
「何を言っているんだ、三日月宗近。同田貫は死んだ。折れたんだ。彼は決して喋らないし、俺たちの前で笑うこともない。二度と、彼の姿を目にすることもできなくなるんだ」
  へし切長谷部が、威圧するように宗近を睨み付けた。
「皆、何を馬鹿なことを言っている。たぬなら俺の部屋に、ちゃんといるぞ」
  まるで長谷部と張り合うように、宗近は返した。
「俺の部屋で拗ねているだけだ、あれは。誉を取ることができなかったばかりでなく、重傷まで負ってしまったからな。少々きまりが悪いのだろう。気がすんだら、またいつものように動き回るようになるはずだ」
  仲間たちが怪訝そうに顔を見合わせているのも、宗近には気にならなかった。
  これからは、同田貫といつでも一緒にいられるのだ。こんな幸せなことがあるだろうか。
「準備をするから、手伝ってくれ」
  声をかけると、皆それぞれに思うところがあるのだろう。顔を逸らす者、言い訳を並べて断る者と様々だ。
「なんだ。皆、意外と冷たいんだな」
  ほぅ、と溜息をつくと宗近は、すぐそばにいた加州を振り返る。
「手伝ってくれるな、加州。白無垢にするか引き振袖にするかで、悩んでいるのだ」
  どちらが似合うだろう、と真剣な眼差しで尋ねられ、加州は困ったように目を逸らした。
「俺は……別に、どっちでもいいと思うけど? たぬきがそんなことに拘るとは思えないな」
  同田貫は、三日月のことをそんなに好いていたのだろうか。加州は戸惑いながらもちらりと宗近の顔を見た。
「だから、お前が選んでくれ。あれに選ばせたら、とんでもないことになりそうでな」
  はっ、はっ、と宗近が呑気に笑い声を上げる。
  同田貫は死んだというのに。どうして彼は、同田貫が生きているように振舞うのだろう。加州は仕方がないなとでも言うかのように、わずかに肩を竦めて宗近の自室へと足を向けた。
  宗近は嬉しそうに口元に笑みを浮かべていた。



  第二部隊が戻ってくる頃には、すっかり祝言の準備が整っていた。
  長谷部はまだ、ブツブツと文句を言っている。
  祝言の準備を手伝ったのは歌仙だった。加州は手持ちの反物を引っ張り出してきて、見栄えのする艶やかな色の布でさらに刀掛けを飾った。
  宗近は満足そうにその様子を眺めていた。
「なんて幸せなんだろうな」
  嬉しそうに折れた刀に語りかける宗近は、仲間の視線に気付いていない。皆の視線が宗近の一挙一動をじっと見守っている。
  大広間で、皆の集まる中、宗近は折れた刀と祝言を挙げた。
  広間のいちばん前に宗近は折れた刀と並んで座った。
  鮮やかな反物の上に横たえられた刀が、きらり、きらりと光を放っている。
  二人の前に用意された盃に、誰かが酒を注いだ。歌仙は三々九度の用意もしていた。
  同田貫のそばについた乱は、盃を三度、折れた刀の上で傾けた。
「次は三日月おじいちゃんだよ」
  乱が言うのに、宗近は鷹揚に頷いて盃を取る。
  やっと一緒になれるのだと思うと、宗近は幸せで仕方がなかった。昨日までの同田貫は、それはつれなかったのだ。今日、戦で怪我を負ったことで少しはおとなしくなってくれればと願うばかりだ。
  宗近が三度盃を傾けるのを待ってから、再び乱が盃を手に取り、折れた刀の上で傾ける。
  これで二人は固めの盃を交わしたことになる。
「たぬ……」
  宗近が声をかける。
  折れた刀身がきらりと光る。
  幸せそうな宗近を見て、乱は目尻に涙を浮かべた。
  同田貫はもういないのだ、ここには。折れた刀身は何も答えてはくれない。もう、笑うことも怒ることも……喋ることすらないのだ。
「これで、ようやくたぬきと夫婦になることができたな」
  手を伸ばして宗近が折れた刀身に触れようとする。
  その刹那、大広間に集まった皆の耳にパキ、という金属の折れる音が響いた。
「たぬ……?」
  宗近が膝立ちになってかつて同田貫だった刀身のほうへとにじり寄ろうとしたが、それよりも早く刀ははらはらと崩れていく。折れた刀身が銀色の砂になってしまうまで、そう時間はかからなかった。
「たぬ、正国!」
  いつになく荒々しい声で宗近は声をあげたが、同田貫だった刀の姿はすでにそこにはなかった。
「どうして……」
  ああ、と喉の奥から宗近が声を絞り出す。
  銀色の砂を手の中にかき集めるが、それらはさらさらと音を立てててのひらから逃げ出してしまう。
「俺の、たぬ……!」
  宗近の同田貫を呼ぶ声に、誰かが押し殺したような啜り泣きを洩らした。嗚咽を堪えている者もいる。
  歌仙がちらりと長谷部のほうへと視線を向ける。
「葬式すらできなかったな」
  ぽそりと呟く長谷部の声が、今ようやく、宗近の耳に響いてきた。



  あの一件以来、宗近は沈みがちになってしまっていた。
  しばらくは審神者の近侍を務めるように言われたものの、留守番の長谷部や歌仙がまめに面倒を見てくれるので、実質的にはほとんど何もせず、ただぼんやりと中庭の景色を眺めるばかりの日が続いている。
  あの時、宗近は本当に同田貫と添い遂げる覚悟でいたのだ。
  重傷を負ったものの同田貫は生きていて、自分と一緒になりたいと願ってくれていると信じていた。
  それなのに、すべて自分の欲望から生まれた幻だったとは。
  憂いを含んだ微かな溜息つくと宗近は、縁側の端に腰を下ろして空を見る。
  こんなに空は青く広いのに、この空の青さや広さを熱心に同田貫と語り合ったり、喜び合ったりすることは、もうできないのだ。
  同田貫はおそらく、自分がひっそりと音もなく人としての命を終え、この世からその存在をなくしてしまうことなどありはしないと思っていたのだろう。多少の怪我など、付喪神たる刀剣男士には治せるものと思い込んでいた。いや、信じていたのだ、同田貫は。これしきの怪我で自分が折れてしまうだろうとは、思いもしなかったのだろう。
「可哀想な、たぬ……」
  いや、可哀想なのは自分のほうだと、宗近は思う。
  同田貫はおそらく、自分の人生に納得していたのではないだろうか。刀として、武器としての命を全うすることができたのだ。いろいろ言いたいことはあっただろうが、きっと清々しいほどに潔い彼のことだ、悔いはなかっただろう。
  小さな袋の中には、今は同田貫だった銀色の砂が入っている。あのさらさらとした手触りは、まるで同田貫のようだと宗近は思う。
  どんなに宗近が同田貫に好意を寄せても、彼はどこ吹く風だった。
  宗近の言葉など、彼の耳には届いていなかった。熱心に菓子を勧めると喜んで宗近のところへやって来たのは、あれは珍しい菓子につられてのことだった。
「結局、最後までたぬは俺のことを好きだと言ってはくれなかったなあ」
  ぽつりと呟くと、じわりと目頭が熱くなってくる。
  慌てて宗近は頭を横に振るともうひとつ溜息をついてから立ち上がった。
  そろそろ自分も、近侍としての務めを果たさなければならない。
  いつまでも同田貫を失ったことを悲しんではいられないだろう。
  部屋を出ると、宗近は真っ直ぐに審神者の元へと足を向ける。
  どこからか吹き込んできた風が、宗近の頬を優しく撫でていった。



(2015.6.6)


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