いつか二人で盃を・3

  その日は、いつもと違うような感じがしていた。
  目を覚ました宗近は、いそいそと寝床から起き出すと審神者の元へと足を向けた。
  本丸は、同田貫を失ってから二度目の夏を迎えていた。
  仲間の刀剣男士の数も増え、そこそこ大きな城を構えるようになった。敵との戦いはよりいっそう過酷なものとなってたが、この二年で仲間の錬度も随分と上がった。
「主……審神者よ、鍛刀するぞ」
  朝餉もそこそこに宗近は、鍛刀場に入っていく。
  ここ二年の間、宗近は鍛刀場に近寄ることもしなかった。
  同田貫のことを思い出すのが怖かったのだ。
「大丈夫なんですか?」
  様子を見に来た宗三左文字が心配そうに声をかけてくる。
  宗近はニヤリと口の端を引き上げて、笑い返した。
「なに、じじいの気紛れだ。気にするな」
  いつもと違うような気がするのは、どうしてだろう。うずうずとするような、木の芽が芽吹くような、蕾が花開くような、小鳥が空へ舞い上がるような、そんな不思議な感じがしている。
  審神者の許しを得て宗近は、鍛刀をした。審神者も一緒だ。
  二人で鍛刀場へ入り、余計なことは何も考えず、一心不乱に刀を作り出す。
  全身全霊をかけて、これから新たな刀を生み出すのだ。
  自分が同田貫を作り出したあの時のように。
  ひとつひとつ選り分け、自分の目にかなった木炭、玉鋼、冷却材、砥石を取り出し、審神者に手渡す。審神者は受け取った資材に神力を分け与え、それらを消費して新たな刀剣男士が作られていく。
  時間がかかるだろうことはわかっていた。
  いつもと違うような感じというのは、こういう時にはいっそう強く感じられるものだ。
  宗近は審神者のそばに控え、新たな刀剣男士が姿を現すのをじっと待った。
  随分と長い時間がかかったように思う。短刀ではないなと、宗近は小さくひとりごちる。
  ふいごの音と、燃え盛る炎が、宗近の目の前で踊っている。
  炎の向こうで、人の姿が見えたような気がした。
  新たな刀剣男士だ。
  宗近はぐっと拳を握り締め、炎の中を覗き込んだ。
「誰だ? いったい、誰が……」
  この本丸には、まだいない者もたくさんいる。失われてしまった同田貫をはじめ、何人もの刀剣男士がまだこの世にその姿を現していないのだ。
「……たぬ!」
  不意に宗近は声を上げてた。
  炎の中でゆらゆらと影が膨れ上がり、人の形へと変わり始める。
  炎のせいで暑いというのに、冷汗が宗近の背筋を伝い落ちていく。
  人影だけではまだ、誰だかわからない。じっと目を凝らして、宗近は待った。
  炎の中の姿が安定して、ゆっくりと歩み出てくるまで待たなければならない。だが、それぐらいどうということはない。前にも宗近は同田貫を鍛刀している。それ以外にも何人も鍛刀をしたことがある。だから、待つのはどうということはない。
  待って、待って……炎がゆっくと勢いを落としていくと、ようやく人の形が判別できるようになってくる。
  やはり、見覚えのある姿だ。
  勢いの衰えた炎の中に手を伸ばして、宗近は待った。
  新たな刀剣男士が自分の目の前に出てくるのを。同田貫が、再び自分の前に姿を現すのを。
「──誰だ、あんた」
  少し舌っ足らずな掠れた声が、炎の中から尋ねてくる。
  宗近はさらに手を差し伸べた。
  ぐい、と強い力で手を掴まれた。
  熱い。
  炎の熱さと、命の熱さはこんなにも似ているものなのかと宗近は思う。
「俺は、三日月宗近だ。お前を鍛刀し、刀剣男士としてこの本丸に呼び寄せた審神者の近侍を務める」
  宗近の言葉に、同田貫はフン、と鼻を鳴らした。
「俺は、同田貫正国──」



  新しい刀剣男士が増えたと、仲間たちは喜んだ。
  同田貫はあっという間に仲間と打ち解け、冗談を言い合ったり、笑ったり、喧嘩をしたりするようになった。
  宗近はと言うと、時々、同田貫の姿を眺めては微かな溜息をつくばかりだ。
「……今度は、何も言わないんですか?」
  歌仙が尋ねるのに、宗近はははっ、と乾いた声で笑う。
  宗近の目の端は、同田貫が獅子王や御手杵と一緒に笑い合う姿を捉えている。
「言ったところで何になる。あれは、俺に言い寄られて困っていたのだろうな、きっと」
  可哀想なことをしたと、宗近はぽつりと呟いた。
  同田貫は、宗近に対して純粋な好意しか抱いていなかった。宗近が同田貫に対して持っていた、邪で欲の深い想いとはまた異なる種類の気持ちだった。
「さぞかし悩んだのだろうなあ、たぬは。俺のそばにいるのは嫌だったに違いない」
  折れた刀身に戻った同田貫を部屋に連れていき、喋りかけ、世話をしようとしたのは宗近だ。あの時は同田貫が自分のことを愛してくれているのだと思い込んでいた。
  だが、よくよく考えてみると違うのだ。
  自分からはそういった言葉をよくかけてたものの、同田貫からは一度として色恋めいた言葉をもらったことはなかった。
  同田貫はきっと、自分と連れ添いたいなどとはこれっぽっちも思ってもいなかったに違いない。
「……僕にはそうは思えないな」
  先日、鍛刀されたばかりの同田貫はよく笑い、よく喋る。気の合う仲間と喧嘩をすることもあったが、何かあると決まって宗近のところへやってくることに歌仙は気付いていた。
「はて、本当にそうかな?」
  そうだといいがと、宗近は自嘲気味に呟いた。
「大丈夫ですよ、たぶん。僕の見る限りでは……」
  言いかけた歌仙と宗近の間に割り込んでくるようにして、同田貫が駆けてきた。
「宗近さん!」
  子どものような笑みを浮かべて、真っ直ぐに宗近を見つめてくる。
「なあ。なんか甘いもん持ってねえか?」
  言いながらも同田貫は、宗近の袖を掴んでくる。
「……本当に子どもみたいだな」
  やれやれと呟いて、歌仙はそそくさと踵を返す。いつまでもここにいると、同田貫に要らぬ嫉妬をされてしまいそうだ。
「僕は内番があるから、これで失礼するよ」
  そう言って歌仙は庭の向こうへと足早に消えていく。
  その姿を見送ってから同田貫は、改めて宗近のほうへと向き直った。
「なあ、宗近さん。明日の出陣には、俺も一緒に連れて行ってくれるか?」
  もうすぐ特がつきそうなんだよと、同田貫が甘えるように告げてくる。
「ああ……そうだな。お前もそろそろ本格的に戦うことを覚えなければならないのかもな」
  今度は、俺が守ってやると宗近は胸の内で決心する。
「後で隊長に声をかけておこう。人選はまだ終わっていないはずだからな」
  言いながら宗近は、二年前のあの日のことを思い出していた。
  あの日、同田貫は「行ってくる」とだけ言って、出ていった。その少し前に、特がつきそうだという話を聞いたばかりだった。特がついたら一緒に出陣しようと言っていた長篠は、既に攻略を終えてしまっている。しかし当時の宗近は同田貫と共に出陣できるというだけですっかり舞い上がっていたのを覚えている。
「夕餉の前に、万屋に行こうか、たぬ。お守りを買ってやろう」
  宗近が言うのに、同田貫は怪訝そうな顔をする。
「俺に? んなもん、いらねえよ」
  お守りなんて、と同田貫は笑い飛ばす。
「だがな、たぬ。お前は俺と違ってまだ錬度が低い。何事も、備えあれば憂いなしと言うからな」
  あの時の同田貫には、お守りを持たせてやることができなかった。本丸自体がまだまだ小さく、資金面での遣り繰りにも困っていたからだ。
  だが、今は違う。
  二年前に同田貫を失ってからこの本丸は、時間をかけてゆっくりと大きくなった。刀剣男士の数も増え、今では錬度の高い者もたくさんいる。資金だって潤沢にある。
  もう、あの時のような辛い思いは二度としたくない。もう、誰かを失うことなど二度とあってはならないと宗近は思っている。
「まあ……あんたがどうしても買ってくれるって言うのなら、俺は遠慮はしないぜ?」
  ニヤ、と悪戯っぽく同田貫は笑った。
  この同田貫となら、いつか二人で固めの杯を交わすことができるだろうか。
  宗近は空を仰いでから、同田貫へと幸せそうに微笑み返した。



(2015.6.7)


          3

じじたぬTOP