愛がなきゃ!1


  ガタンと音を立ててドアを開けると、部屋の中は乱雑に散らかっていた。
  まだ出したままの布団は乱れ放題で、枕元のゴミ箱からは使用済みのコンドームが覗いている。 夕べは大学の研究室に泊まって正解だったと、同田貫は小さくため息をつく。
  半月ほど前に部屋に転がりこんできた三つ上の鶴丸は、性格もモラルも自由奔放な男だった。同田貫が研究室に泊まる夜は、たいてい誰かをこの部屋に泊める。
  ここは俺の部屋だと怒ろうが喚こうが、毎回のように誰かを連れ込んでは乱行に及んでいるのだ。
  もう、注意をすることすら馬鹿馬鹿しく思えてくる。
  それなのに自分は、この男のことが気になっている。
  キャンパスで初めて見かけた時からずっと、気になっていた。そうだ、あれはいわゆる一目惚れというやつだった。
  最初はただ綺麗なだけの顔立ちに目がいっていたが、鶴丸という男の内面を知れば知るほど、好きになっていく自分がいた。
  そんな同田貫だったから、偶然ゼミの飲み会で一緒になった鶴丸をその場のノリで連れ帰ったとしても、不思議はないだろう。
  別れた途端に彼女の部屋を追い出されたのだとビールをあおりながらボヤく鶴丸は、同田貫に昔飼っていた大型犬を思い起こさせた。あまり利口ではなかったその犬は、すぐに同田貫の靴に噛みついてボロボロにするのが好きだった。怒られると犬は、耳を伏せて尻尾を股の間に挟んで、ウルウルしたつぶらな瞳でこちらを見上げてきた。その飼い犬の縋り付くような眼差しが、どことなくその時の鶴丸の眼差しとかぶったのだ。
「一晩ぐらいなら、うちに泊まりますか」
  声をかけたのは、同田貫のほうだった。
  滅多なことで人を寄せ付けない、どちらかというと一人でいることを好む硬派の同田貫が誰かを部屋に泊めることなどこれまでなかったことだから、その日の飲み会はやけに盛り上がったようだ。ようだ、と言うのは、酔ってへべれけになった鶴丸を担いで同田貫は早々に飲み会を抜け出したから、その後にどういった会話が仲間内で交わされたのかはわからない。
  とにかく同田貫は、鶴丸のことを初対面の時から意識していた。
  それが何なのか、この気持ちがいったいどういった類のものなのかは、その時の同田貫にはまだ気付くだけの余裕すらなかったのだが。
  それにしても、鶴丸の手癖の悪さには辟易する。
  男だったり女だったり、何十回と同田貫の部屋に連れ込んでいる。唯一の救いは、同田貫が大学の研究室に泊まる日にしか連れ込まないから、これまでに鶴丸の相手と顔を合わしたことがないということだろうか。
  はあぁ、と大きなため息をついて部屋に上がると、風呂場から水音が聞こえてきた。鶴丸はシャワーを使っているのだろう。
  見かけの綺麗さに反して、随分とだらしのない男だ。いろんなことに対してだらしがない。特に付き合う相手は見境ないように思えてくる。スレンダーな体型の女を連れていると思えば、次の週にはアイドルのような可愛らしい顔立ちをした男を連れていることもあった。
  他人の嗜好に口を出す気はなかったが、自分の部屋で、同田貫のいない時に連れ込んだ相手と鶴丸が何をしているのか考えると、やはり腹が立つ。
  自分だって鶴丸のことが気になっているのに、関係は単なる同居人のまま、かれこれ半月が過ぎている。
  手が早くて下半身に節操がない男のくせに、どうして同居人の自分には手を出してこないのだろうと不思議に思うこともあった。だが、同居しているからにはそういった体の関係を持ち込んでしまうと何かと不都合が生じることもあるだろう。今の関係のままのほうがいいに決まっている。
  苦しいのは自分だけでいい。
  胸の奥に気持ちを押し込んで、この生活を楽しめばいい。
  そう、同田貫は自分に言い聞かせていた。



  気が付くと、シャワーの音がやんでいた。
  パタン、とドアの開閉する音が聞こえて、腰にタオルを巻いただけの格好で鶴丸が奥から出てくる。
「おや、お帰り、同田貫。早かったな」
  愛想よく笑みを振りまきながら鶴丸が声をかけてくる。
「……朝メシは?」
  不愛想に眉間に皺を寄せて同田貫が尋ねると、鶴丸はあっけらかんとした表情で返してくる。
「食べたよ。夕べの子は可愛い子でね、料理もまあまあ美味かった。あれは将来、尽くす愛人タイプになるだろうなぁ……」
  うんうんと頷きながら喋り続ける鶴丸を軽く睨み付け、同田貫は咳払いをした。
「俺の分は?」
  この部屋の主は同田貫だ。その主が大学の研究室でほぼ徹夜で資料をまとめていたというのに、居候の鶴丸はというと男か女か知らないが、好みの相手を部屋に連れ込んで好き放題していたのだと思うと、腸が煮えくり返りそうになる。
「俺の分の朝メシはねぇのかよ?」
  ずい、と一歩踏み出して鶴丸を睨み付ければ、彼はころころと楽しそうに声を上げて笑った。
「ああ、悪いな。忘れてた」
  そう言って鶴丸は、腰にタオルを巻いたままの姿でレンジの中を覗き込む。
「肉じゃがの残りがあるぞ」
「何でもいい、食わせろ」
  同田貫はそう言い捨てると敷きっぱなしの布団を隅に寄せ、部屋の隅からちゃぶ台を出してくる。
  鶴丸もよく心得たもので、肉じゃがを温める合間に同田貫のために飯をよそい、コンロにかかった鍋に火をつけて、味噌汁を温める。先に服を着ればいいのにと思いながらも同田貫は何も言わない。ラブホ代わりに自分の部屋を利用させてやったのだから、メシの用意ぐらい鶴丸がすればいいのだ。
「いや、本当に料理のうまい子だったよ、夕べの子は。お前と同じ一年でな、名は、確か……」
  聞きたくないと、同田貫は思った。
  自分だって本音を言えば、鶴丸のことが気になっている。好きなのだ。それなのに自分は気持ちを告げることもできず、じっと彼が自分の知らない誰かに手を出すのを見ていなければならないだなんて、辛すぎる。
「どーでもいいからさぁ、早くしてくれよ」
  ムッとして鶴丸から顔をそむけると、ごみ箱が目に入った。
  使用済みのコンドームとティッシュでいっぱいのごみ箱を目にした途端、また新たな怒りが込み上げてくる。
「なんだ、焼き餅か?」
  不意に、鶴丸の声が耳元で聞こえた。
  首筋にふわりとかかる吐息に、同田貫の前身の産毛が逆立つような感じがした。



  一瞬、同田貫はその場に飛び上がりそうになったが、そうすることはできなかった。
  背後に座り込んだ鶴丸の手が、同田貫の体を羽交い絞めにしてきたからだ。
「うわっ……いったい何なんだよ、放しやがれ!」
  腕を振りほどこうとするものの、鶴丸は華奢な見た目に反してなかなか力が強い。
  体に腕を回されたまま、ベロリと首筋を舐められ、今度は情けない声が出た。
「ぎゃっ、馬鹿か、お前は!」
  鶴丸の腕を振りほどけないことが、同田貫をいっそう苛立たせた。
  自分が知らない相手には、きっと優しくするのだろう、鶴丸は。同居を始める前にキャンパスで見かけた鶴丸は優しそうな笑みを浮かべていた。たくさんの男や女を取り巻きにして、いつも楽しそうに騒いでばかりだった。
  自分にはあんなふうにあけすけに他人と付き合うことはできないから、それが余計に憧れとなって鶴丸への好意とごっちゃになってしまったのかもしれない。
「冷たいな、同田貫は。もっと懐いてくれてもよさそうなものなのに……」
  まあ、そこがいいんだけどな──そうひとりごちながら鶴丸は、同田貫のシャツの中に手を差し込んでくる。
「ちょっ、おまっ……」
  同田貫が自由になる足をバタバタさせると、ガタン、とちゃぶ台が揺れる。
「ほらほら、暴れないの。お隣さんに迷惑がかかるだろう?」
  ニヤニヤと笑いながら鶴丸はシャツの下で手を動かし、同田貫の胸の先に辿り着く。くにゅ、と乳首を押し潰される感触がして、同田貫は「ひっ」と喉の奥で悲鳴を上げた。
「お、いい反応するねぇ」
  鶴丸はてのひらで乳首をころころと転がしながら、同時に同田貫の耳たぶをかぷりと甘噛みした。
  小刻みに震えながら同田貫は、鶴丸の舌や手に耐えている。
  これはいつもの嫌がらせだと、同田貫は思った。
  同居を始めてしばらくしてから、鶴丸はこんなふうに同田貫に手を出すようになった。中途半端に触れてきたり、首筋を舐めたりといった軽いペッティング止まりだからだろうか、同田貫はこれを鶴丸の嫌がらせだと思っている。
  同田貫はお世辞にも顔立ちが綺麗というわけではなかった。鶴丸がいつも手を出す男も女も、そこそこ顔立ちは綺麗だった。鶴丸と並んでそこそこ見栄えがする程度には。だから余計に自分は鶴丸の相手にはふさわしくないと思ってしまうのだ。そんなふうに思っていたから、鶴丸がこうして同田貫に触れてくるのは、悪戯や嫌がらせの延長でのことだと思い込んでいたのだ。
「おい……やめろよ」
  低く腹の底から唸り声を発しても、鶴丸は悪戯をやめてはくれない。
  舐めたり、皮膚を吸ったり、胸をいじって遊んだりしている。
  本気で自分などを相手にする気もないくせに、こんなふうに触られるのは嫌だった。
  自分が鶴丸の取り巻きの一人にすらなれないことはわかっていたが、だからといってこんなふうに弄ばれるのは、あまりいい気がしない。
  同田貫にだってプライドはある。
「やめろ、っつってるだろ!」
  声を荒げた途端、ガタン、とちゃぶ台がひっくり返った。
  ようやく拘束されていた手を振りほどくことができた同田貫は、背後の鶴丸を勢いよく突き飛ばした。
  畳の上で尻もちをついた鶴丸をギロリとひと睨みする。
  腰に巻いたタオルが外れて、股間が見えそうになっている。顔は綺麗なのに、こういうところがこの男の残念なところだなと同田貫は思う。
「俺に触るな」
  そう一声吠えると、同田貫は部屋を出た。



(2015.3.14)


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