もらったチョコを食べなかったのは、理由があるからだ。
食べなかったのではない。
正しくは、食べられなかったのだ。
リボンを解き、見栄えよくラッピングされた包装紙をそっとはがしていくと、中から小さな箱が出てきたのを覚えている。手作りチョコだとハルは言っていたから、それはそれは楽しみにしていたのだ。
それなのに、こともあろうか部屋に入り込んできたランボに見つかり、その餌食となってしまったのは記憶に新しい。
「ランボ、なんで食べたんだ!」
追い回して追求すると、ランボは母の後ろに隠れてしまった。スカートの裾をきゅっと握りしめ、大きな目をウルウルとさせて綱吉を見上げている。
「だってぇ……」
いつになく神妙な声を出したりするものだから、逆に綱吉のほうが母から怒られてしまった。
「ツッくん、小さい子を苛めないの。チョコレートぐらい、別にいいじゃない」
そんなふうに言われると、やり場のない怒りが綱吉の胸の内をグルグルと巡り出す。
「でも、あのチョコは……」
あれは、ハルにもらったバレンタインのチョコだった。
大切にしていたのだ。いつ食べよう、いつ食べようと楽しみにしながら包装を解いて、口に入れようとしていたところをランボに横取りされてしまったのだ。
悔しくてたまらないのに、母はそんな綱吉の気持ちをこれっぽっちもわかってくれない。 「ランボちゃんだってこんなに反省しているんだから、許してあげなさい」
きっぱりと母に言われて、綱吉は地団駄を踏んだ。
「……もう、いいよ!」
そう怒鳴り散らすと綱吉は、バタバタと階段を踏みならして二階の自室へ駆け込んだ。
バタン、とわざと大きな音を立ててドアを閉め、鍵をかける。
しばらくは、誰とも会いたくなかった。
バレンタインの次の日は、ハルに会いたくないどころか、部屋から出たくない気分だった。
それでも学校へ登校してきたのは、山本と獄寺の二人が家の前まで迎えに来たからだ。
あの二人は日頃、仲が悪いように見えて、妙なところで気が合うというか何というか……とにかく、綱吉のこととなると彼らはタッグを組んで協力し合うことも辞さないほどだった。別に迎えに来てくれなくてもよかったのにと、そんなことを思いながらも、心の底では二人の気遣いに感謝してもいる。 とは言うものの、気まずくてたまらない。
何より、ハルと顔を合わせるのが恐く思える。
綱吉が、ハルにもらったチョコを食べなかったと知ったら彼女は怒るだろうか。
「……怒るよなぁ、たぶん」
机に肘をついて綱吉は、はあ、と溜息をつく。
「ん? どうかしたのか、ツナ」
山本が尋ねかけてくるのに綱吉は、何でもないと微かに苦笑してみせる。
幸い、今朝は山本と獄寺のおかげで余計なことを話す時間もなかったが、放課後はそうもいかないだろう。
きっと、今日もいつもの場所で待ち合わせて、デートをしながらの帰宅コースになるはずだ。
聞かれるだろうか? チョコはどうだったと、ハルは聞いてくるだろうか?
どうやって誤魔化そう。どうしたらハルに怪しまれずにすむだろう。そんなことを考えながら綱吉の一日は過ぎていく。授業の内容なんて頭に入ってくるはずがないし、お弁当だって何を食べたのか覚えていない。
それぐらい今の綱吉は、ハルとチョコのことで頭がいっぱいだったのだ。
「今日のツナさん、なんかヘンです」
顔を合わせた瞬間、ハルが言い放った。
「え……そう、かな?」
やっぱり分かるものなのだろうか? 不安に思いながらも綱吉は、チラチラとハルの様子をうかがっている。
「チョコ、おいしくなかったですか? せっかく気合いを入れて手作りチョコを作ったのに、ツナさんたら何も言ってくれないですし……もう一週間近くなるのに何も言ってくれないなんて……」
俯き加減にハルが呟く。
今にも泣き出してしまうのではないだろうかと心配になるほどだ。
「あの……」
ここでチョコを食べたと言ったらハルは喜ぶだろう。だが、それでは嘘をつくことになる。嘘をついてまでハルを喜ばせるのは、正しいことだろうか?
様々な思いが綱吉の胸の内で交差する。自分をよく見せたい、ハルに喜んでほしい。でも、嘘はダメだ。
はーっ、と溜息をついて綱吉は、ハルの肩に手をやった。
「ごめん、ハル。チョコなんだけど、その……」
ハルは怒るだろうか?
嘘をつくよりも事実を話してスッキリするほうがまだマシだ。だが、ハルを悲しませることはしたくない。
すっと背筋を伸ばすと綱吉は、彼女の目を覗き込むようにして話し始めた。
チョコを食べるのをとても楽しみにしていたこと、ランボに横取りされてしまいひとつもチョコを食べられなかったこと、すごく落ち込んでいること。ハルの目を見て、言葉に詰まりながらもゆっくとり、一言ひとこと綱吉は、正直に告げた。
「ズルいです……ツナさん、すごくズルいです……」
綱吉の言葉の合間にハルが呟く。掠れた涙声に、綱吉の胸もツキン、と痛む。
「ごめん……本当にごめん、ハル」
食べられなくてごめん、と綱吉がもう一度告げると、ハルはぷう、と頬を膨らませた。
「もうっ! そんなふうに言われたら、ハルが許すしかないじゃないですか!」
それから不意に綱吉の制服の襟のあたりを強く握りしめ、ぐい、と引き寄せにかかる。
「わ、ちょっ……」
綱吉の足がふらついて、二歩、三歩とよろけた瞬間に、何か柔らかいものが自分の胸に押しつけられ……カツ、と音を立てて唇が塞がれた。
目を見開くと、ハルの額とすらりと通った鼻筋、それにやわらかな唇がちらりと見えた。 甘い匂いがふわりと鼻先を掠めていき、慌てて綱吉は目を閉じる。
「んーっ!」
チュ、と音を立ててハルの唇が離れていく。
やわらかな女の子の感触と、甘い匂いを綱吉は、ぼんやりと感じていた。
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