「失礼します、十代目」
上擦った獄寺の声が、今夜ばかりは厭わしい。
ムッとした表情を作ると綱吉は、そっぽを向く。
肩口にチュ、と獄寺の唇がおりてくる。スーツ越しのキスに、さらに苛立ちが募る。これぐらいのことでわざわざ断りを入れる必要なんてないのにと、一瞬、綱吉は唇を噛み締めた。
「──オレ、男なんだけど」
不機嫌も露わに綱吉は呟く。
「わかってます」
すぐに獄寺は返してくる。
綱吉の不機嫌など気にも留めていない様子は、たいしたものだ。昔の獄寺ならば、きっと綱吉がそっぽを向いた時点でへこたれて引き下がっているだろうから。
「お疲れでしたらすぐに休まれますか?」
問いかける獄寺の馬鹿がつくほど丁寧な口調に、綱吉は今度は口をへの字に曲げた。
本当は、そばにいてもらって嬉しいはずの人だ。つき合って何年にもなる恋人同士だというのに、今夜は苛々してならない。
どうしてだろうと、綱吉は首をわずかに傾げてみる。
どうして自分は今夜、こんなにも苛々しているのだろうか。
ちらりと盗み見た獄寺の横顔は、整っている。男前だと思う。細くて柔らかな銀髪に、淡い緑色の瞳。きりりと引き締まった口元。ピアノを弾く彼の指はすらりと伸びた華奢な指だが、驚くほど荒々しく綱吉を翻弄することがある。程良く筋肉のついた腕に抱かれると綱吉はうっとりとなることがある。 こんなにも好きなのに、苛々している?
眉間に皺を寄せて、自分がなにに苛々しているのかを綱吉は考えてみる。
どうしてこんなに苛々しているのだろうか。そう言えば今日一日、ずっと綱吉は苛々しっぱなしだった。
なにが、気になるのだろうか──?
ひと月前のバレンタインに、綱吉は獄寺とチョコを贈り合った。
つき合うようになって以来ずっと続いている習慣のようなものだ。
チョコレートを摘みながらワインを飲んだ。それから、獄寺にとってのちょっとしたお楽しみがあって……獄寺なりに満足したようだということはわかったが、綱吉は満足することができなかった。
もちろん、獄寺のことは好きだ。言葉にできないほど愛してもいる。
しかし、獄寺とのつき合いに足りないものがあった。
抱きしめる腕も、耳に囁く熱っぽい言葉も、どれも嬉しい。大切にされていることはわかる。しかし、ただ大切にされるだけでは物足りなくて仕方がない。
あの日も、ちょっとした不満があった。
ワインを飲み過ぎたという自覚はあった。獄寺に「飲み過ぎですよ」とやんわりと窘められて、微かな苛立ちを感じたのも事実だ。
なにかが、喉の奥にひっかかったような感じがしていた。
ずっと、そうだ。いつも獄寺の態度に苛立ちを感じていた。大切にしてもらえていることはわかっていたが、そうではなくて、もっと……そう、同じ場所に立つ人間として扱って欲しいと思っていた。ボンゴレ十代目だとか、マフィアのボスだとか、そういったものから離れたことろで沢田綱吉という一個人の自分を見て欲しいと思っていたのだ。
綱吉のその思いは、我が儘だろうか?
身勝手な思いだと、獄寺は思うだろうか?
十代目ではない自分のことを獄寺は、いったいどう思っているのだろうか。
はあ、と溜息をつくと綱吉は、頭を抱えて項垂れた。
スーツを脱ぎ、軽くシャワーを浴びて着替えるとホッとする。
ベッドの上で膝を抱えて溜息をついていると、獄寺がブランデーの入った紅茶を持ってきてくれた。綱吉がシャワーを浴びているあいだも獄寺は身の回りのことをしてくれている。そんな姿を見ると、自分の不甲斐なさを感じずにはいられない。
「どうぞ。よく眠れますよ」
のろのろと顔を上げた綱吉は、気の進まない様子でカップを受け取る。
「疲れてるわけじゃないんだ」
言い訳がましくポソリと告げる。
疲れているわけではない。ただ、獄寺との接触が物足りないだけだ。
恨めしそうに獄寺を見遣ると、彼は、そんな綱吉の様子にはこれっぽっちも気づいていないようだった。
なぜ、気づいてくれないのだろうか、獄寺は。
こんなにもお互いに好き合っているというのに、獄寺はいつも綱吉の望みに気づかない。優しいし、よく気のつく獄寺だというのに、ことこういった色めいたことになるとてんで気づかずにいる。それとももしかして、気づいているのに無視しているのだろうか?
あれこれと悩みながらカップに口をつけると、ブランデーの香りが鼻先をくすぐっていった。
「あ、おいしい……」
呟いて、一口、二口と口をつける。
視線を感じて顔を上げると、獄寺がじっとこちらを見つめている。
「なに?」
声をかけると、まるで犬コロのように獄寺はそばに寄ってくる。癖のある綱吉の髪に指を絡めると、こめかみにキスをしてきた。
「バレンタインの仕切直しをさせてください、十代目」
あっという間にカップを取り上げられた。紅茶がまだ残っていたのにと、綱吉は少しだけ残念に思う。
獄寺の腕に抱きしめられ、なんどもキスを与えられた。
ほんのりと煙草の香りがしている。それから、ブランデーの甘ったるい香りも。
「仕切直しって……」
本当に獄寺は仕切直しの意味を理解しているのだろうかと、綱吉は首を傾げる。
綱吉の望みを満たしてくれるのなら、仕切直しもいいだろう。しかし……。
こっそりと溜息ついた綱吉は、それでも獄寺の求めに応じずにはいられずに、ぐい、と男の首筋にしがみついた。
「仕切直しをするなら、今日はオレの好きなようにさせて……」
耳元で囁きかけると、獄寺の首から耳にかけてが一瞬にして真っ赤になった。
「なっ……なな、な……」
慌てて飛び退いた獄寺の身体をぐい、と引き寄せ、綱吉は唇を奪った。
チュ、と音を立ててキスをすると、驚いたような表情の獄寺が綱吉を見下ろしていた。
「ダメかな?」
尋ねると、獄寺は困ったように目をすがめる。
値踏みされているのだろうか? 不安になって今口にしたばかりのことを撤回しようとすると、伏し目がちに獄寺が小さく頷いてきた。
「……わかりました、十代目」
だけど一回だけですよと、釘を刺すことも忘れない。
苦笑しながらも綱吉は、いそいそと寝間着を脱ぎ始めた。勢いよくボタンを外し、下着ごとポイ、とベッドの下に投げ捨てる。
ケットの中に潜り込んだ綱吉は、誘うようにちらりと獄寺へ視線を送った。
あまり気の進まない様子で獄寺は着ていたものを脱いでいく。
スーツを着たままだった獄寺は、すべて脱ぎ終えると丁寧に畳んでサイドボードの隅に乗せた。それから、ふと目についた綱吉の寝間着を拾い上げると、同じように畳んで自分の服の隣に並べた。 「ダメっスよ、十代目。脱いだものはちゃんと畳まないと」
焦らされているなと、綱吉は悔しそうに唇を小さく噛み締める。
窓からさしこんでくる月明かりに照らされた獄寺の裸身は、引き締まって見える。着痩せするタイプだと、抱き合う時にはいつも綱吉は思う。
「早く……」
ケットの中から囁きかけると、遠慮がちに獄寺がベッドの中に入ってくる。
シャワーを浴びていない獄寺のにおいが鼻先をくすぐり、そんなことですら綱吉には嬉しく感じられた。
「仕切直しって、どんなことをしたかったの、獄寺君は」
尋ねると、やんわりと唇をついばまれた。
「バレンタインの時の……」
言いかけた獄寺の唇を、綱吉はチュ、と甘噛みする。
「オレがバレンタインの時に気に入らないと思ったのは、獄寺君があまりにも強情っ張りだったからだよ」
本当は、抱き合えるだけで充分満足しているのだ。
愛されて、大切にされているということは常日頃の獄寺の態度から感じ取ることができたし、理解していた。だけど、と、綱吉は思う。それとは別の次元で、綱吉が求めているものもあるのだ。 愛情ではなくて、もっと別の……体の欲望を満たすものを、綱吉は欲している。
ああ、自分も男だったんだと、綱吉はクスっと笑った。
「どうかしましたか、十代目?」
怪訝そうに尋ねかけてくる獄寺の首筋に鼻先をすり寄せて、綱吉は呟いた。
「今日は……オレの好きにさせてくれるよね、獄寺君」
綱吉の言葉に、獄寺は不承不承ながらも頷きを返す。
「ゴムは、つけないからね」
勝ち誇ったように綱吉が宣言すると、獄寺は「わかりました」と従順に綱吉の指先にキスをした。
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