14 Trouble 1

  いつもと同じ日常だと思っていた。
  綱吉の家に押しかけてきた獄寺が、いつものようにランボのちょっかいに子供っぽくも闘争心をむき出しにしてしまったことだとか、綱吉が止めるのも振り切って取っ組み合いの喧嘩をしたことだとか、最後に獄寺の華麗なシュートでランボが表へ飛ばされてしまったことだとか、そんなことが積み重なっての結果なのだと考えると、げんなりしてくる。
  最後に獄寺が牛柄のロンパースを着た子どもを窓の外に力任せに蹴り飛ばすと、空の向こうにランボの姿がキラリと光って、漫画みたいにかき消えた。
  これでしばらくは静かになるだろうと思い、綱吉は宿題に取りかかる。今日は獄寺と一緒に宿題をする約束をしていた。山本は部活が終わったら綱吉の家に寄ると言っていたから、もう少ししたら来るはずだ。
  マンツーマンで獄寺に勉強を教えてもらうのが綱吉は好きだった。獄寺の教え方はわかりやすかったし、なによりも至近距離で整った顔や白い指をおおっぴらに見ることができるのだ。こんな不純な動機で勉強を教えてもらっているのだと知ったら、獄寺は嫌な顔をするだろうか。
  それとも……。
  問題を解きながら、綱吉はちらりと獄寺の顔を見る。
  すらりと通った鼻筋のラインに綱吉は見とれそうになる。翡翠色の瞳が真剣にノートを見つめている。
「……十代目?」
  ふと、獄寺が顔をあげた。
  手が止まったままの綱吉の顔を覗き込んでくる獄寺は、心配そうにしている。
「あ……あ、ごめん、ボーっとしてた」
  誤魔化し笑いを浮かべて綱吉が言うのに、獄寺は微かに怪訝そうな顔をした。



  必要以上に構われるのは、それまで友達らしい友達もいなかった綱吉にとっては嬉しいことだった。
  時にはありがた迷惑だったり、鬱陶しいこともあったが、それでも綱吉なりに獄寺のことは気に入っている。
  友達として、大切にしたいと思っていた。
  一緒に騒いだり、肩を叩き合って喜んだり、落ち込んだりする仲間だと思っていた。
  その気持ちが少しだけ、別のものにすり替わっていく感覚は当事者ながら見ていてどこか不思議だった。
  ずっと遠くのほうから別の自分が、もう一人の自分を眺めているような感じがする。ああ、自分は獄寺のことが気になるのだなとなんとなく思ったら、明くる日には獄寺がさらに気になって仕方がない状態になっていた。あれこれと構ってくる獄寺のことを鬱陶しくも思いながらも、彼の姿が近くにないと落ち着かない。
  その時はまだ、獄寺のことが好きなのだとは気付かない。
  ダメダメな自分は、鈍感でもあるのだ。
  鈍いなぁと、綱吉は自分でもそう思う。
  好きかもしれないと思いながら、獄寺を気にするようになった。
  そのうちに、彼の一挙一動に目がいくようになる。
  すらりと伸びた白くて細い指だとか、淡い翡翠色の瞳だとか、銀糸のような髪だとか、これまでは気にもならなかった体の細部のパーツに、目がいくようになる。
  唇は、ふっくらとしている。リップを塗った女の子たちの唇とはまた違った艶があって、触れたくなる。白い肌だから、首筋がほんのりと朱色に色づくとエロティックに見えることがある。体育の授業で走り込んだ後になど、着崩した制服の端から見え隠れする首が、艶めかしい。
  男の自分が、同じ男の獄寺のことを気にするのはおかしいのだろうか?
  今の自分はいったい、どうしてしまったのだろうか。
  同じ男である獄寺のことが、気にかかってしかたがない。
  どうしたらいいのだろうか。
  どうしたら自分は、このモヤモヤとした気持ちを穏やかにすることができるのだろうか。



  宿題を半分ほど終えたところで、山本がやってきた。
  そこの角で拾ったのだと言って、ランボを小脇に抱えて部屋に入ってくる。
  二人の姿がドアのところに現れた途端、獄寺はどことなく嫌そうな顔をした。
  ただでさえ狭い綱吉の部屋が、さらに狭く感じられた。おまけにランボがいるから、余計に狭苦しい。
「アホ寺〜、アホ寺〜」
  適当な歌を歌いながら、ランボは部屋の中をグルグルと回っている。
「もう、うるさいなぁ、ランボ。下に行ってろよ」
  やんわりと綱吉が言うと、ランボはケラケラと笑って綱吉の顔を蹴りつけてくる。
「やーだもんねー」
  子どものくせに身のこなしの軽いランボは、ひょい、ひょいと綱吉の手を避けながら、部屋の中を走り回る。綱吉がムキになって追いかけ回すと、調子に乗って悪ふざけをするから余計に始末に悪い。
「ランボ、しつこいぞ!」
  そう叫んで綱吉が飛びかかろうとしたところで、獄寺がさっと手を伸ばした。ランボの首根っこをひっ掴むと、拳骨を一発、頭のてっぺんにお見舞いした。
「るせーんだよ、アホ牛」
  ギャアギャアと騒ぎ立てるランボにさらにもう一発、獄寺は拳骨をお見舞いする。
  かわいそうだが、仕方がない。綱吉はランボのほうへと顔を近づけた。
「なあ、ランボ。オレたち宿題やらなきゃなんないから、下で母さんにおやつでももらってろよ」
  な? と、諭すように綱吉が言うのに、ランボは舌を突き出してくる。かわいげのないことこの上ない。
「べーっだ、アホツナ」
  言うが早いかランボは、綱吉の顎を力いっぱい蹴り上げた。
「いったぁっっ!」
  驚いた獄寺が掴んでいた手を緩めたすきに、ランボはぴょんと床に飛び降りた。
「アホ寺なんかにランボさん、捕まらないんだもんねー」
  顎を押さえた綱吉が涙目でランボを睨み付ける。だからダメツナなんだとさらりと呟くリボーンの声が聞こえてきそうだ。



  顔をあげて、綱吉は声を張り上げようとする。
  もう勘弁ならないとランボを叱りとばそうとしたところで、綱吉はふと気付いた。
  ランボが、あのもじゃもじゃの髪の中から取り出した十年バズーカを、自分のほうへ向けている。
「ちね、アホツナ!」
  ニヤリと笑うランボの嬉しそうなことと言ったら。
  やられる──そう思って綱吉が目をぎゅっと閉じようとした瞬間、獄寺が慌てふためいて叫ぶのが見えた。
「十代目、危ない!」
  綱吉のほうへと手をさしのべて、獄寺がバズーカの前に飛び出してくる。
「あ……」
  うっすらと目を開けた綱吉は、バズーカの弾に当たった獄寺を確かに見た。背中に直撃したのか、それとも逸れたのか、とにかくもうもうとした白煙が獄寺の体を包んで、ついで綱吉の体をも包み込んでいく。当たったのは獄寺一人だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
  論理的にどうなるのか知っているものの、巻き込まれたくなかったというのが綱吉の正直な気持ちだ。
  足下から床が崩れていくような感じがして、同時に目眩にも似た浮遊感が体を支配していく。
  三半規管が悲鳴をあげ、胃の底に吐き気を感じて綱吉は目をぎゅっと閉じた。
  叫び声をあげたような気がするが、もしかしたらそんな気がしただけで、声は出ていなかったのかもしれない。
  目を開けると、どこだか知らない場所に綱吉はいた。
  十年後の世界だと、綱吉は思った。



  目を開けると、知らない場所だった。
  大きくて、やわらかなベッドに綱吉は寝ていた。
  真っ白な天井は高くて、あけはなった窓からやさしい日差しが差し込んできている。
  自分が何故、こんなところにいるのか、綱吉にはわからなかった。
  そろそろと上体を起こして、部屋の中を見回す。
  染みひとつない白いレースのカーテンが、そよ風に弄ばれ、ゆらゆらと揺れている。
  ここはどこだろうと思うと同時に、自分はどうなったのだろうかと綱吉は思う。
  ランボの十年バズーカで、十年後の世界に自分は獄寺と一緒に飛ばされたはずだ。こうしてベッドに寝かされているということは、自分一人だけが十年後の世界に飛ばされてしまったのだろうか。それとも、獄寺もここにいるのだろうか。
  ベッドの端から足をおろして、床に降りた。
  何となく体がフラフラするのは、十年バズーカの影響だろうか。
  乗り物酔いをした時のように、まだ少し気分が悪い。
「ここ……どこなんだろう」
  呟いて、窓の外を見た。
  窓の外には深い森が広がっている。
  こんな場所が、未来の日本にあるのだろうか。
  不安に思いながらも綱吉は、窓際にもたれて部屋を眺めた。
  自分の部屋とは比べものにならないぐらい広い部屋に、大きな天蓋つきのベッド。外国映画に出てくるようなベッドだ。部屋の中にはあまりものはなく、ベッドと書き物机が置いてあるぐらいだ。椅子の背にかかっているのは淡いベージュ色のジャケットで、煙草のにおいに混じって柑橘系のコロンの香りが微かに漂ってきている。
  五分ぐらいさっさと経過すればいいのにと、何となく綱吉は思った。
  このままここにいたら、とんでもない目に遭わされそうで、あまりいい感じがしない。
  部屋の外に興味はあったが、それよりも、このまま部屋の中にいて五分経過するのをじっと待ったほうがよさそうな気がした。
  何事もなく、無事に元の世界に戻れますように。
  椅子を引き、ジャケットが皺にならないように背もたれに体が触れないように、綱吉はそっと腰をおろした。



NEXT
(2009.9.21)


BACK