ランボの十年バズーカに被弾したと思うと同時に、もうもうと立ちこめる煙の中に獄寺は取り込まれてしまった。
背中にはっきりとした衝撃があったから、弾にあたったに間違いないだろう。
しかし、自分の目の前で白煙に包まれた綱吉がふっと、かき消えたのを目にした瞬間、嫌な予感が獄寺の頭をよぎった。
ついで自分自身も煙の向こう側、十年後の世界へと飛ばされてしまったところまでは覚えている。
「十代目!」
時間の流れの中を移動しながら、獄寺は声を限りに綱吉を呼んでいた。
綱吉のことは気にかかったが、今はそれどころではないのも確かだった。
時間を飛ばされるのは初めてではないにしろ、あまり何度も経験したいものでもない。内臓がよじれるような奇妙な感覚に、わずかに吐き気を感じる。
時間を跳躍した直後、獄寺は、ザーザーと勢いよく流れ出すシャワーの下にいた。
「あ?」
ちょうどいい熱さのお湯が、頭から獄寺を濡らしていく。
「あわ……わあぁぁっ!」
シャワーから逃れようとした途端、タイルで滑って尻餅をついた。
頭のてっぺんから足の先まで濡れ鼠になった獄寺は、呆然と流れ出すシャワーのノズルを眺めていた。
いったい何がどうなっているのか、わからなかった。
十年後の自分が、タイミングよくシャワーを浴びていたのかもしれない。しかしそうすると、十年後の自分はどうなったのだろうか。あまり考えたくないことだが、十年前と十年後の自分が入れ替わるのであれば今頃きっと、十年前の綱吉の部屋に素っ裸の二十四歳の自分がいるはずだ。
「サイアクだ……」
呟いて獄寺は、口元を自分の手で覆った。
十年後の自分が今、どうしているかについてはあまり考えたくなかった。
「どうかした?」
不意に、ドアが開いた。
脱衣所からひょいと顔を覗かせたのは、二十四歳の綱吉だ。
「あ……」
ずぶ濡れの獄寺は、咄嗟のことに言葉が出てこない。
「獄寺君、ずぶ濡れだよ、君!」
慌てふためいたのは綱吉のほうだ。バスルームに飛び込んでくると、自分が濡れるのも構わずに、シャワーのコックをさっと捻った。すぐにお湯の勢いがなくなり、シャワーが止まった。
「十代目……」
何か言おうとしたが、獄寺の口の中はカラカラに渇いていて、思うように言葉が出てこない。
口をパクパクとさせていると、綱吉がニコリと笑った。
「盛大に濡れたね。部屋においで、乾かしてあげる」
そう言って綱吉は、獄寺の手を取る。強い力で腕を引かれ、獄寺はようやくその場に立ち上がった。
「あの……」
何か言わなければと獄寺は口を開こうとする。ふと見ると、すっかり濡れてしまった獄寺のシャツのボタンを、綱吉は手慣れた様子でプチプチと外していくところだった。
「あっ、わ、わあ、じゅ、十代目、そんなこと、自分でできますから!」
必要以上に手足をばたつかせて獄寺が言うと、どことなく残念そうな顔をして綱吉は手を止めた。
「そう?」
覗き込んでくる綱吉は、十四歳の頃の幼さが抜け、やさしい顔立ちをしている。十年後、二十四歳の綱吉は、甘くて優しい雰囲気の大人の男になっている。穏やかな人となりはそのままに、落ち着いた雰囲気でそばにいる人に安心感を与える、そんな人になっていた。
「あの、スンマセン、十代目。俺のせいで、濡れてしまわれて……」
言いかけた獄寺の唇に軽く指で触れると、綱吉は気にしないでと笑う。
「これぐらい着替えればすむことだから、君が気にすることはないよ」
着替えを取ってくるからといったんバスルームを出た綱吉は、すぐにまた戻ってきた。手に持っているのは、Tシャツとジーンズだ。
「はい、こっちに着替えて。濡れた服はそこに置いといて。乾かすから」
そう言われて、獄寺は素直に頷く。
綱吉は部屋で着替えると言って、バスルームを出ていった。
一人になったバスルームで、獄寺は手際よく服を着替えた。サイズは少しばかり大きかったが、あまり違和感なく着ることができた。自分の服の好みと似ているような気がする。
バスルームを出ると、目の前に自分がいた。
いや、正確には二十四歳の自分がいたのだ。
「……あ?」
眉間に皺を寄せて獄寺は、十年後の自分を見上げた。
背丈も伸びていっそう目つきの悪くなった自分はかわいげもなく、綱吉のような穏やかな雰囲気もない。なんて嫌なヤツなのだろうと思っていると、ぐい、と頬をつねられた。
「かわいくねーガキ」
ぎゅっと頬の肉を捻られる。目の前の自分はけっ、と言い捨てて、背を向けた。
「十代目、あんなかわいくねーガキ、いったいどうするんですか」
入れ替わったのではなかったのかと、獄寺は顔をしかめた。
ランボの十年バズーカに被弾した自分は、十年後の自分と入れ替わりに、十年後の世界に今、存在しているはずだ。それなのに何故、十年後の自分はここにいるのだろうか。
「どういうことだ……?」
気に入らないことだがこの場合、自分自身に尋ねるのがいちばん確実なように獄寺には思われた。
獄寺は、二十四歳の自分へと視線を向けた。嫌だろうが何だろうが、口をきかなければ始まらない。だが、どう切り出そうかと考えている間に、大人の自分は綱吉のほうへと向き直った。きびきびとした動きはさすが自分だと獄寺はほんの少しだけ誇らしく思う。
「……それじゃあ十代目、そろそろ時間ですので」
腕時計へちらりと視線を落として、二十四歳の獄寺が告げた。
「えっ、ああ、もうそんな時間?」
どこか困ったように、綱吉が返す。
「はい。すみませんが、後のことはよろしくお願いします」
二十四歳の獄寺の言葉に、綱吉は快く頷いた。
「大丈夫だよ。はや…獄寺君が心配するようなことはないだろうから」
綱吉の態度に、獄寺は小さく首を傾げる。二十四歳の綱吉と二十四歳の自分との間にある空気が、どことなくぎこちない。今の今までそんなことはなかったのに、違和感を感じるのはどうしてだろう。
「では、行ってまいります」
堅苦しい言葉遣いのせいではないことは、獄寺にもわかった。
かしこまっている大人の自分は、どことなく嘘くさい。自分を誤魔化しているような感じがしてならない。しかし、それだけが原因ではないはずだ。なにかもっと別の、他のことが獄寺の意識にひっかかっているのだ。
「二時間ほどで戻ります」
そう言って二十四歳の自分は、部屋を出て行った。
自分のほうをちらとも見なかったことが腹立たしくて、パタンと音を立てて閉じられたドアに向かって獄寺はこっそりと舌を突き出した。
「こっちにおいでよ、獄寺君」
綱吉が呼んでいる。
部屋は広々としていた。華美さはないが、イタリアにある獄寺の実家を思い出させる。部屋の中央の応接セットには、カプチーノが二人分、用意されている。
獄寺は返事をすると、綱吉のほうへと歩み寄った。
「あの……十代目はよろしいんですか?」
おそるおそる尋ねてみた。綱吉には綱吉の仕事があるのではないだろうか。二十四歳の自分に仕事があるように、綱吉にもすべきことがあるのではないだろうか。
「え、なにが?」
首を傾げながらも綱吉は、嬉しそうにしている。
「あの、ご用は……お忙しいのではないのですか?」
ボンゴレ十代目として、しなければならないことが山積しているのではないだろうか。獄寺はそんなことを思いながら尋ねかけた。
「うーん……どうだろう。忙しいのは忙しいけれど、今日は一日オフだから」
そう言って綱吉は、獄寺にカプチーノをすすめてくる。
「これ、さっきこの時代の君が用意してくれたんだけど、おいしいよ?」
ほんのりとシナモンの香りがしている。獄寺は綱吉に促されるまま、ソファに腰をおろした。
なにか大切なことを忘れているような、そんな感じがしてならない。
「お菓子もあるから、どんどん食べてね」
綱吉の言葉に、獄寺は従順に首を縦に振った。
「ありがとうございます、十代目」
カプチーノに口をつける。
まずまずの味だ。十年後とはいえ、自分自身が用意したのだから不味いわけがない。それでも少しは警戒していた。十年も経てば人は変わってしまうこともあるだろう。自分自身とはいえ、信用してはならないと思う。なによりも、先ほどの綱吉とのやりとりの中で感じた違和感が気にかかる。
カップをソーサーに戻すと獄寺は、改めて部屋の中をぐるりと見渡した。
ここで二十四歳の自分が生活しているのだと思うと、不思議な感じがする。十四歳の自分からは考えられない贅沢な空間だ。
「気になる?」
穏やかに、綱吉が尋ねてくる。
「十年後の自分がどんなところで生活して、何をしているのか、気になるかい?」
その問いかけに、獄寺は食いつかんばかりの勢いで頷いていた。
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