先刻、綱吉が目覚めてから五分どころではない時間が過ぎている。
机の上に置かれた時計が十年バズーカの威力を失う五分を経過してなお、綱吉は同じ部屋にいた。
どうしたのだろうと、不思議に思う。
時計の針は、五分どころか十分近く経過している。
部屋を出て、あたりの様子を確かめるべきだろうかと綱吉が思案していると、ドアが開いた。
「失礼します」
中の様子を窺うように顔を覗かせたのは、大人の獄寺だった。
十四歳の幼さは影を潜め、すっきりとした大人の顔立ちをしている。淡い翡翠色の瞳には、ボンゴレ十代目への一途な忠誠が映し出されている。
「獄寺…君……?」
声をかけると、獄寺は口元に微かな笑みを浮かべた。
「お目覚めでしたか、十代目」
もたもたと椅子から立ち上がった綱吉は、しばしの間、二十四歳の獄寺をぼーっと見つめていた。
「十年後の獄寺君……だよね?」
口に出して言ってみると、二十四歳の獄寺がいっそう身近に感じられた。
近づいてくる獄寺はすっかり成長し、すらりとした手足の長身の男になっている。見惚れるというのはきっと、こういうことを言うのだろう。
綱吉は、二十四歳の獄寺から視線を外すことができなかった。
「俺の顔に、何かついてますか?」
二十四歳の獄寺は、穏やかに尋ねる。
「あ…いえ、別になにも」
慌てて綱吉は返した。
大人の獄寺が珍しく、ついジロジロと見つめてしまった。迷惑だっただろうかとチラリと獄寺の様子を窺うと、彼は気にする様子もなく、先ほどまで綱吉が座っていた椅子の背にかかったジャケットを手に、部屋を出ていこうとする。
「あの……」
どう言い出せばいいだろうかと、綱吉は思った。
十年バズーカのことを、獄寺は知っている。被弾すると、現在の自分と十年後の自分とが五分だけ入れ替わり、たまに暴発することがあるということも綱吉と同じように知っている。
その、たまの偶然が今、おきているのだということを、獄寺にどのように説明したらいいだろうかと、綱吉はわずかに眉をひそめた。
「あの、オレ……五分経ったら、十年前の元の世界に戻るはずなんですけど……」
もそもそと口の中で綱吉が言い訳がましく呟くと、獄寺はふと思い直したように部屋の中に戻ってきた。
ほっそりとした手を綱吉の肩に置き、心持ち腰をかがめて十四歳のボンゴレ十代目の顔を覗き込む。
「五分経っても、あなたはここにいる」
翡翠色の瞳がまっすぐに綱吉を見据え、現実を突きつけようとしていた。
「……知ってたんだ?」
綱吉が言うのに、獄寺は神妙な顔つきで頷いた。
「はい。二時間ほど前に、中庭で倒れているあなたを見つけました。あそこです」
そう言って獄寺が窓の向こうに見える庭園を指さした。
「二時間前……」
二時間も前から自分がこの十年後の世界にいるのであれば、一緒に十年バズーカにあたった十四歳の獄寺はどうしたのだろうか。
眉間に皺を寄せて綱吉は、獄寺を見つめた。
「あの……オレ、十年バズーカにあたった時に、獄寺君も一緒だったんだけど……」
二人一緒に十年バズーカにあたったのなら、二人一緒に十年後の世界に出現しているのだと思っていた。
目の前にいる十年後の獄寺が、綱吉は二時間ほど前に中庭に倒れていたと言うのであれば、そこに十四歳の獄寺はいたのだろうか。それとも、いなかったのだろうか。
「獄寺君は……十年前の、オレの時代の獄寺君は、ここに来てないんですか?」
綱吉が尋ねると、獄寺はそんなことはないと返した。
「いえ、ちゃんと来てますよ。あなたとは時間差があるみたいですが、少し前にこの時代の十代目の部屋にやってきたところです」
どうなっているのだろうかと、綱吉は思った。ほぼ同時に十年バズーカにあたった自分と獄寺とに時間のずれがあるというのもおかしいが、何故、十年後の自分たちはここにいるのだろうか。入れ替わることもなく、こうして十年後の獄寺と顔を合わせているというのは、どことなく妙な感じがする。
「会ったんですか?」
綱吉が尋ねると、獄寺はやけに難しい顔をして頷いた。
「はい。あっちの俺は、今はこの時代の十代目と一緒です」
だから心配はないと、瞳が語っている。
「そう…ですか」
安心したのと、少しだけ胸の奥にひっかかりを感じて、綱吉は詰めていた息を吐き出した。
十四歳の獄寺に会いたかった。
姿を見て、互いに無事だと確かめ合いたかった。
不安な気持ちが顔に出ていたのだろうか。
綱吉の肩に置かれた獄寺の手が、頬を包み込んだ。ほっそりとした指はすらりと長く、ひんやりとしている。柑橘系のコロンに混じってほんの少し、煙草と硝煙のにおいがしていた。とすると、あのジャケットはこの時代の獄寺のものなのだろう。
「大丈夫です」
不意に、獄寺が囁く。
「え?」
綱吉が顔をあげると、獄寺の手に体を引き寄せられた。
「俺と、この時代の十代目とで原因を探り出して、必ずあなたを元の時代に送り帰してさしあげます」 その言葉に嘘はないと、綱吉にはなんとなくわかった。獄寺が言うのだから間違いない。 「うん……あの、あまりあてにしないでのんびりと待ってるから」
空笑いを浮かべて、綱吉は返した。あまり期待しすぎると、こういう時の獄寺は一人で暴走してしまうに違いない。
「あてにしてください! こんな時ぐらい俺に頼ってください、十代目」
そう言うと獄寺は身をかがめ、綱吉の体をぎゅっと抱きしめてくる。
「あ……あの……」
こんな時はどうしたらいいのだろうか。
綱吉はおずおずと獄寺の背に手を回した。
「獄寺君?」
そっと尋ねると、掠れた声が返ってくる。耳元に獄寺の吐息がかかってくすぐったい。
ドキドキと心臓が鳴っているのは、獄寺のことが好きだからだ。もちろん、今、自分を抱きしめているのは十四歳の獄寺ではない。しかし目の前の彼も根本は同じ獄寺なのだと思うと、綱吉の胸の鼓動は否が応でもドキドキとうるさく鳴り響いて困ってしまう。
「──…大丈夫です」
綱吉の呼びかけに、獄寺はそう返した。
「大丈夫です、十代目。きっと俺が、あなたを元の時代にお帰しします」
強い力で抱きしめられて、綱吉は息苦しさを感じた。心臓がドキドキ鳴っているのを気付かれたら、どうしよう。顔が赤いような気がするが、それこそ気付かれたらどうしよう。そんなことを思いながら、獄寺の服を引っ張る。
「痛……獄寺君、痛いよ……」
力を緩めてほしくて、綱吉は小さな声で訴えた。
ドアが開いたのに気付いたのは、偶然にも綱吉がドアのほうに顔を向けていたからだ。
二十四歳の獄寺は、強い力で綱吉を抱きしめて離そうとしてくれない。
どうしたものかと困惑しているうちに、ドアが開いたのだ。
「十代目……」
ドアの向こうから顔を覗かせた十四歳の獄寺が、刺々しい声で綱吉を呼んでいる。
「獄寺君……」
どう返したらいいのだろうか。綱吉は呆然とした。
「おい、てめっ、なにやってんだよ、十代目に!」
十四歳の獄寺は我に返ると同時に部屋に駆け込んできた。二十四歳の獄寺の襟首を鷲掴みにすると、ぐい、と綱吉から引き離す。
「勝手に俺の十代目に触ってんじゃねえよ」
そう言って掴みかかろうとした十四歳の獄寺を、やわらかな声がひきとめた。
「喧嘩してる場合じゃないだろう」
二十四歳の綱吉が、入り口に立っていた。
「隼人、こっちへ」
穏やかな命令口調に、二十四歳の獄寺はどことなくムッとした表情で、従った。まだ襟首を掴んだままの十四歳の自分の手を払いのけ、十四歳の綱吉そばを離れる。まるで従順な犬のように、この時代の綱吉に近づいていく。
二人が並んで立っている姿を見て、綱吉はドキリとした。
自分も十年経てば、あんなふうになるのだろうか。やさしげだが、意志の強い瞳を持つ二十四歳の自分は、とても今の自分からは考えられない。どうすればあんなふうになるのだろうかと思わずにいられない。
二十四歳の綱吉は、同じく二十四歳の獄寺に何事か耳打ちをした。その親しげな様子に、綱吉の胸の奥が微かに痛む。
獄寺に耳打ちをしているのが自分でないことが、何故だか悔しかった。
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