「あのっ……」
口を開いたものの、なにを言えばいいのかがわからず、獄寺はそのまま言い淀んだ。
見上げた先では二十四歳の綱吉が穏やかに微笑んでいる。
「なに?」
尋ねる様子も落ち着いていて、すっかり大人の男だ。やはり十年後だけあると獄寺が思っていると、不意に綱吉が獄寺の隣に腰をおろした。
「眠るまでここにいてあげるから、早くベッドに入りなさい」
そう言って綱吉は、わしゃわしゃと獄寺の髪を撫でた。
「シャワー使うなら、そこのドアからどうぞ。着替えは脱衣所に置いてあるから」
そう言われて獄寺は、うかがうように綱吉の顔を見た。
「あの……十代目とは……いえあの、俺の時代の十代目とは、いつになったら話ができるんでしょうか」
姿をちらりと見ただけで、言葉まではゆっくり交わすことができなかったことが心残りで、獄寺はつい尋ねてしまった。何故、自分たちが離ればなれにされているのかが、よくわからない。わからないが、なにかあるのだろうかと勘ぐってしまいそうだ。
「……今日のところは二人とも疲れているだろうから、ゆっくり休むといいよ。話がしたいなら、明日、部屋まで案内してあげるから。ね?」
諭すように綱吉が言う。
頷きかけて獄寺は、ふと気付いた。明日になったらもしかしたら自分たちは、元の世界に戻っているかもしれない。目が覚めたら元の時代で、綱吉と自分は笑っているかもしれない。
二十四歳の綱吉は少しムッとしたようで、珍しく目をすがめて獄寺に言った。
「シャワー使うなら早く行っておいで。待っててあげるから」
ポン、ポン、と頭を軽く叩かれ、獄寺は重い腰を上げた。
はぐらかされた感じがしないでもなかったが、今のところは綱吉に従うしかない。
なんといっても綱吉は、ボンゴレの十代目、獄寺の大切なボスなのだから。
シャワーを使い終わると獄寺は、脱衣所の籠の中にあったスウェットの上下に着替えた。 これも十年後の自分が用意したものだろうか。
部屋に戻ると、綱吉はベッドに横になっていた。疲れているのだろうか、目を閉じている。
「十代目? 眠ってしまわれたのですか?」
獄寺がそっと声をかけると、目を閉じたまま綱吉は寝返りを打った。
「寝てないけどね。ちょっと、部屋の灯りが眩しくって……」
語尾が次第に小さくなっていくところをみると、眠いのだろう。獄寺を案内してあちこちの施設を回ったせいで疲れたのではないだろうか。
「俺のせいでお疲れなんじゃないですか?」
声をかけると「違うよ」と返された。
目を閉じたまま綱吉は、ベッドの端をポン、ポン、と叩いてみせる。
「おいでよ。獄寺君も疲れただろう?」
眠そうな綱吉の声に呼ばれるようにして、獄寺はベッドに潜り込んだ。すぐに綱吉が獄寺の分のスペースをあけてくれた。ごそごそとケットをかぶって身を落ち着けたところで、綱吉の腕が、獄寺の体を抱きしめてきた。埃と汗のにおいがしているが、嫌な感じはしない。
「石鹸のにおいがしてる」
獄寺の耳元に唇を寄せて、綱吉が囁く。
「ちょ……十代目、眠いんじゃなかったんですか?」
尋ねると、悪戯っぽく綱吉は喉を鳴らして笑った。
「部屋のあかりが眩しいだけだって言っただろ」
そう言いながら、綱吉の手が獄寺のスウェットの裾から中へと潜り込んでくる。
「肌がすべすべしてる」
クスクスと笑いながら綱吉は、獄寺の腹を撫でた。大きくてやさしい手に、獄寺の喉が鳴る。
「んっ……」
逃げようとすると、綱吉の腕にぐいと引き寄せられた。腰のあたりを抱えられ、逃げだそうにも逃げられない。
「あ……あのっ、十代目……」
言いかけたところで、首筋に綱吉の鼻先が埋められた。
「ひゃっ」
首を竦めようとすると、生暖かいものが獄寺の肌の上をベロンと這った。
「十代目、服が……」
慌てて獄寺は言った。
「なに?」
「スーツが皺になります」
抱きしめる腕を解こうと必死になりながらも、獄寺は指摘する。
綱吉は小さく笑うと、獄寺の体からするりと腕を解いた。
「服、脱いだらここで眠らせてくれる? なんか眠くなってきたんだよね」
しれっとして告げる綱吉からは、ずいぶんとしたたかな様子がしている。十四歳の綱吉ならきっとこんなことは言わないはずだ。
「……シャワーは使わないンすか?」
咄嗟に獄寺は言っていた。さっき、自分が綱吉に言われた言葉だ。
「ああ……うん、そうだね。行ってこようかな」
自分の肩口を軽く嗅ぐと、綱吉はベッドから降りた。ソファの背もたれに着ていたスーツとネクタイを無造作に投げかける。
のんびりとした様子で綱吉は、バスルームの向こうに消えていった。
獄寺はしばらくじっとしていた。耳を澄まし、バスルームから聞こえてくる音に体中の神経を集中させた。
すぐにシャワーの音が聞こえてきた。
部屋の中を見回し、獄寺はケットの中に枕を突っ込んだ。形を整えて、どうにか人が眠っているように見せかけた。
それから足音を忍ばせ、部屋を出た。
広く長く続く廊下を、獄寺は足音を立てないように気をつけながら足早に進んでいく。
屋敷の左側の棟に消えていった綱吉の部屋をひとつひとつ探して歩くのは無謀なようにも思われたが、今はそれしか方法がなかった。
あのまま部屋にいたら、二十四歳の綱吉にいいようにされてしまいそうな気がして、恐かった。
綱吉に優しくされることは、もちろん嬉しい。
しかしこの優しさは獄寺の求めている優しさではないような気がする。
屋敷の中心部までやってきたところで、獄寺は潜めていた息をホッと吐き出した。二十四歳の綱吉に優しくされなくても構わない。十四歳の綱吉に置いて行かれると堪えるのだということに、獄寺はふと気がついた。
自分の部屋が右側の棟の奥まった部屋だったことから、左側の棟の奥まったところを目指して獄寺は廊下を進んでいく。
長い廊下を進んでいくと、不意にドアが開いた。
「あ…──」
十代目だ。
獄寺は足早に綱吉の元へと駆け寄った。
「十代目!」
声をかけると綱吉は驚いたようだった。
ビクッとして、それから目の前に獄寺の姿を認めると肩の力を抜いて綱吉は笑った。どこか困ったような弱々しい笑みに、獄寺は逆に安心した。
「獄寺君……」
小さく呟いた綱吉はしっ、と人差し指を口元に立てて言った。
「十代目、捜してたんですよ」
声を潜めて獄寺は言う。
「うん。オレも、どうやったら獄寺君と出会えるか、ずっと考えて……」
言いかけたところで、ドアが内側から開いた。
「あ……」
見ると、二十四歳の獄寺が部屋から出てきたところだった。
呆気なく見つかってしまったと思ったが、二十四歳の獄寺は、二人を別の部屋に連れて行った。
殺風景な自分の部屋とたいして代わり映えのしない部屋に通された。
「ここ……」
綱吉がポツリと呟く。
「ここは、俺の部屋です。ここなら、しばらくはあの人も気付かないと思います」
そう言って二十四歳の自分は、二人に今日のところはここで休むようにと告げた。
「や、でも……それじゃあ獄寺君はどこで……」
綱吉が言いかける。
「俺はこの時代の人間です。十代目がお気になさるようなことではありません」
部屋ぐらい他にいくらでもあるのだと二十四歳の自分は言う。確かにこれだけ大きな屋敷であれば、部屋の余裕はいくらでもあるだろう。きっと、自分たちが心配するようなことではないのだろう。
それよりも、と、二十四歳の自分は綱吉に視線を向けた。
「さっきのICタグ、渡さなくてもいいんですか?」
「あ……」
言われてようやく気付いたというように、綱吉はポケットに手を突っ込んだ。
「あった、これ……獄寺君、これ、君のICタグだから、ちゃんと身につけておくように、って……」 銀の輪っかに黒い皮紐が巻き付いたバングルを、綱吉から手渡された。獄寺は怪訝そうに手の中のバングルをじっと見つめる。これのどこにICタグが仕込まれているのだろうか。眉間に皺を寄せていると、二十四歳の自分がクスクスと笑っていた。
「そこの……この飾りの部分に、認識コードが記録されている。これを身につけていれば、屋敷内はどこでも出入り自由だ」
そんなことをするメリットはあるのだろうか。自分も綱吉も、そう長期に渡って十年後の世界に居座る気はない。戻れるあてがあれば、いつだって戻る気でいる。それなのに屋敷内を自由に出入りすることができるICタグなどを持たせてどうしようというのだろうか。
「じゃあ、ま、そういうことで」
と、二十四歳の獄寺は綱吉に向き直った。
「そろそろお休みになったほうがいいですよ、十代目」
そう言うと二十四歳の獄寺は、素早く綱吉の頬に手をやった。目の下を愛しむようにするりと親指の腹でなぞると、さっと手を離す。
それから部屋を横切って、ドアのほうへと向かった。
「おい、どこに行くんだよ」
喧嘩腰に獄寺が問いかけると、二十四歳の自分は振り返り、口元だけで笑ってみせた。
「ここに二人がいることがバレるのは時間の問題だ。少しでも時間稼ぎに協力してやろう、ってんだ」 その様子に、獄寺はそれ以上は何も言うことができなかった。
押し黙った獄寺を軽く一瞥して、二十四歳の自分は部屋を出ていく。ドアが閉まり、オートロックのかかる微かな音だけが二人の耳に響いた。
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