緊張した空気があたりを包み込む。
顔を上げると綱吉は、二十四歳の自分を静かに見据えた。
二十四歳の綱吉は、おや、と小首を傾げると、ふっと表情を緩めた。人を安心させる柔らかな笑みを浮かべて三人の顔を順繰りに見つめた。
「いつ何時、元の世界へ戻ってしまうかわからない状態で外出するのは関心しないな」
さらりと告げると彼は、二十四歳の獄寺の隣にさっと腰をおろす。夕べの彼とは雲泥の差だと十四歳の綱吉は思う。
「……すみませんでした」
一言、綱吉はそう言うと二人の獄寺へとちらりと視線を馳せる。二人とも、黙って二人の綱吉の様子を見守っている。
「それに、もうすぐ解明されそうなんだ、二人がどうしてこちらの世界へ来てしまったのかが」
と、二十四歳の綱吉が勿体ぶって話すのに、二十四歳の獄寺が怪訝そうな視線を向ける。眉間に皺が入っているのは、少なからず綱吉の言葉の真意を自分なりにあれやこれやと考えているからだろうか。
「じゃあ、あまり出歩かないほうがいい……んだよね」
自分自身に言い聞かせるかのように、綱吉はポソリと呟いた。
二十四歳の綱吉は深く頷くと同意を示した。
「可哀想だけど、そういうことだ」
ファミリーレストランでそそくさと食事を平らげた十四歳の綱吉と獄寺は、二十四歳の自分たちに付き添われて屋敷へ戻ることになった。
仕方がないと、綱吉は思う。
自分たちのホームグラウンドはここではない。自分たちのホームグラウンドは十年過去に遡った先にしかないのだから。
屋敷に戻った綱吉は、獄寺と二人で部屋にこもった。
与えられた部屋は居心地が悪くて、どことなく肌にしっくりとこない。お尻の下が落ち着かないというか、どうも自分の居場所ではないという感じがして仕方がないのだ。
長椅子に腰をおろしてぼんやりとしていると、夕べのことがふと脳裏をよぎった。
獄寺の、白い肢体が鮮明に綱吉の頭の中に蘇ってくる。
「あ……」
滑らかな肌をしていた。触れると、ヒクヒクと腹が波打ち、獄寺の形のいい唇からは甘い声が洩れた。淡い緑色の瞳は始終潤みがちで、目元はほんのりと朱が差したように赤かった。自分と同じ男の獄寺を、色っぽいと思った。
「どうかしましたか、十代目?」
小首を傾げて尋ねてくる獄寺に、綱吉は大きく首を横に振る。
「う…ううん、なっ、なんでもないっ!」
慌ててそう告げると、さっと視線を逸らす。じっと見ていると、それだけで夕べのことを思い出してしまう。あの華奢な体が自分の下でどれだけ乱れたかを思い出すと、腹の底に痺れるような感覚が蘇ってくる。
「コーヒーでも淹れましょうか」
尋ねられ、綱吉は黙って頷いた。
いったいどうしたら、自分たちは元の世界へ戻ることができるのだろうか。
二十四歳の自分は、十四歳の自分たちがこの世界へきてしまったのかがもうすぐ解明されると言っていた。しかしそれは、いつなのだろうか。いつ、解明されるのだろうか。
はあ、と溜息をつくと、綱吉は窓の外へと視線を向ける。
中庭の噴水に、小鳥たちが集まってきている。よく手入れされた庭木が一定の間隔を置いてずらりと並ぶ様は上から見ていて少しだけ気持ちが悪い。こんなふうに整然としているのが不自然なような気がして、綱吉はまた、溜息をつく。
「退屈っスね」
綱吉の気持ちを、獄寺がそのまんま言葉にしてくれた。
「……うん」
退屈で退屈で、そのうち腐ってしまいそうだ。
「することがない、ってのも辛いよね」
言いながら綱吉は、自分の部屋にある携帯ゲーム機を思い浮かべる。こんなに退屈だとわかっていたら、ゲームのひとつでも持って未来に来るのだったと自嘲気味に口元を歪める。そんなことができるはずないことはわかっていたが、そうでも思わなければやれきれない。
獄寺は、と見ると、彼は昨日のうちに書斎で目をつけていた本を片手に、読書に勤しんでいる。
退屈なのは自分だけなのだと思うと、やりきれなさが綱吉の中で一層大きく膨れあがる。 本当に自分たちは、元の世界へ戻ることができるのだろうか?
テーブルの上に放置されたコーヒーは、口をつけることもないままに冷めてしまっていた。せっかく獄寺が淹れてくれたのに。
綱吉はカップを手に取ると、冷めたコーヒーを飲み干した。
早く、元の世界に戻りたい。ここにいると、獄寺が二十四歳の自分に抱かれてしまったことを思い出さずにはいられなかった。口ではなんとでも言うことができるが、綱吉の中のわだかまりはいまだ胸の隅っこに転がったままだ。
このモヤモヤとしたなんとも表現できない気持ちを、なんと呼べばいいのだろうか。
カップを手に一度は立ち上がりかけたものの、すぐにまた綱吉は長椅子に腰をおろす。
どうしたらいいのかがわからなかった。
自分がどうすべきなのかが、わからない。
両手でカップを包みこんだ綱吉は、じっと底に残るコーヒーを眺めた。
腕につけた獄寺のバングルが、キラリと光った……ように、見えた。
気のせいかと思ってじっと見つめていると、またバングルが光る。
首の後ろがチリチリと焼け付くような感じがして、そこで初めて綱吉は、自分のICタグをシャツの下から取り出した。
「……光ってる?」
ぼんやと綱吉は呟く。獄寺は、ICタグの光には気付かずに本に夢中になっている。
どうしたものかと思いながらも綱吉は、自分のICタグをじっと見つめる。
もう一度、タグを包み込むようにしてポワッ、と柔らかな光を放ったかと思うと、次第にタグは暗くなっていく。まるでタグの中に吸い込まれていくかのようにして光が消えていくと、後には無機質な金属の冷たさばかりが残った。
いったい今のは、なんだったのだろうか。
綱吉がじっと自分の手元を見つめていると、獄寺が顔を上げた。
「どうかしたんスか、十代目?」
言ってしまおうか。綱吉は逡巡した。だが、話したところでどうなると言うのだろうか。 「ああ……うん、なんでもないよ」
そう言って綱吉は、獄寺にニコリと笑いかける。
二人で過ごす時間がこんなにも穏やかで静かだとは、思いもしなかった。
今までは……気持ちを伝え合う前は、もっと賑やかだった。他愛のないことで会話が盛り上がると、それだけで嬉しかった。
今は、どうだろう。気持ちを伝え合い、体を重ね合わせた今は、こんなに穏やかな時間があったことに綱吉は驚いている。会話もなく、互いにぼんやりとしているだけだというのに、こんなにも居心地よく感じられる。交わす言葉は多くなくてもいい。すぐ側に、肌を合わせた相手がいるというだけで気持ちが和らいでいく。退屈だが、愛しい時間だ。
「コーヒー、淹れようか?」
今度は綱吉が尋ねかける。さっき、獄寺にコーヒーを淹れてもらった、そのお返しだ。
「そんなこと、俺が……」
「いいから。獄寺君は座ってて」
言いかけた獄寺の言葉を遮ると、綱吉は長椅子から立ち上がった。
二人で向かい合ってコーヒーを飲む。
静かだった。
物音は、二人が立てる音以外、なにも聞こえない。
「静かだね」
綱吉が呟く。
「静かっスね」
獄寺も呟く。
ドアの向こうの廊下も、今はしんと静まり返っているようだ。
ここが十年後の世界だなんて信じられないと、綱吉はいまだに思う。
獄寺と二人で十年後の未来の世界に迷い込んだまま、元の世界に戻ることができなくなった自分たちを助けてくれるのは、いったい誰だろう。十年後の自分たち? それとも、自分たち?
コーヒーに口をつけると、苦かった。
獄寺が淹れてくれたコーヒーとは違い、ただ苦いだけのコーヒーに綱吉は眉間に皺を寄せる。
「……失敗した」
ポツリと言うと、困ったように獄寺の顔を覗き込む。
「オレ、コーヒー淹れるの失敗したみたいだ」
ごめんねと告げると、獄寺は首を横に振って「そんなことありません、おいしいっス」とコーヒーを一気に飲み干してくれる。
無理しちゃってと綱吉は思う。その無理をさせているのは、自分。獄寺はこうやって無理をすることで、綱吉の不安な気持ちが落ち着くように気遣ってくれている。
「元の世界に戻ったら、おいしいコーヒーの淹れ方を、獄寺君に教えてもらわなきゃね」
二人でコーヒーを淹れるのだ。とりとめのない言葉を交わしながら、二人で。そうして、こんなふうにして穏やかで退屈な時間を過ごす。
獄寺の頁を捲る指先の白さや、はらりと零れる前髪や、すっと細めた目元の色っぽさを堪能したいと思う。
今、ここだけの時間にしてしまうにはあまりにも惜しくてならない。獄寺の告白は、元の世界に戻ったとしても有効でなければならない。
「もちろんです、十代目」
ボソボソと獄寺は返した。
|