いったいいつになったら自分たちは、元の世界へ戻ることができるのだろうか。
綱吉に気づかれないよう、獄寺はこっそりと溜息をつく。
たった一日にして、頭の中がごっちゃになってしまった。二十四歳の綱吉とのこと、十四歳との綱吉のこと、そして二十四歳の自分とのこと。考えれば考えるほど、頭の中が混乱してくる。
そう思うと、こんなふうに部屋に閉じこめられたのはかえってよかったのかもしれない。
そうだ、ゆっくりと考えるための時間が与えられたのだと思えばいいのだと、獄寺は自分自身を納得させる。
機械的に頁を捲る手をふと止めると、綱吉のほうへと視線を向ける。
ぼんやりと窓の外を眺める綱吉は、手持ち無沙汰で仕方がないといった様子をしている。 「コーヒー、今度は俺が淹れましょうか」
声をかけると、いるともいらないともつかない曖昧な声が返ってくる。
「十代目?」
声をかけるが、心ここに有らずといったぼんやりとした表情で、綱吉はじっと窓の向こうを見つめている。
「なにか見えますか?」
声をかけ、綱吉のすぐ隣へと移動する。
窓の向こうには、中庭が見えていた。手入れの行き届いた庭木が整然と並んでいるのが見えるだけだ。
「オレ、あそこで倒れてたらしいんだよね」
さらりと呟いた綱吉の言葉は、獄寺には重くのしかかってくる。
自分は中庭ではなかった。獄寺はふと考えた。十年後に現れた場所が異なるのは、どうしてだろう。
なにか……十年バズーカ以外の力が働いていたということなのだろうか──?
部屋を後にした二人は中庭へと向かった。
屋敷の中だけでなく、庭までも几帳面に整備されている。
雲雀の手が入っているのか、それともリボーンの趣味なのか。どちらにしろ、自分の趣味ではないと獄寺は思う。
「たぶん、このあたりだと思うんだ」
と、綱吉が示したあたりを獄寺はじっと眺める。
どこもかわったところはない。噴水をぐるりと取り囲むのは、煉瓦を敷き詰めた半月型の通路だ。すぐ近くには薔薇のアーチがあり、その向こうに広がる立体迷路のような庭園には、何種類もの花木が植えられている。
「ここ……っスか……」
すぐには言葉が出てこなかった。
獄寺が十年後の世界にやってきた場所はシャワールームだった。それに、十年後の世界へやってきた綱吉とのタイムラグも気になる。
どこか、作為的なものを感じずにはいられない。
自分たちのあずかり知らないところで、なにか大きな力が働いているのだろうか?
「オレたち、なんで同じタイミングで同じ場所に現れなかったんだろうね」
獄寺が疑問に思っていたことを、綱吉は口にした。
その通りだと獄寺は頷く。
ランボの十年バズーカに被弾したのが一人ではなく二人だったからだろうか? だから、タイムラグが発生した? それとも……やはりなにがしかの力が関わっているのだろうか?
眉間に皺を寄せて獄寺があれこれと考えていると、綱吉の手がそっと腕を掴んできた。
「そろそろ部屋へ戻ろっか、獄寺君」
考えても考えても、わからない。
二人一緒に被弾したことが原因となって、十年バズーカが誤作動を起こしたと考えてもいいものなのだろうか。
そうすると、場所とタイムラグはこの誤作動にどう関わってくるのだろうか。
先ほど、綱吉が中庭を見下ろしていたのと同じ場所に立って、獄寺は窓の向こうを眺めている。
十年バズーカに被弾したのは綱吉の部屋だった。
その時、十年後の自分たちはいったいどこで、なにをしていたのだろうか。
獄寺自身は十年バズーカに被弾すると同時に十年後の綱吉の部屋に──正確には、綱吉の部屋のシャワールームに──現れた。覚えている限りでは、十年後の自分はシャワーを浴びていたわけではない。
それでは、綱吉のほうはどうだったのだろうか。
自分よりも二時間ほど前に十年後の世界へとやってきた綱吉は、中庭に倒れていたと言う。その時、十年後の綱吉はどこでなにをしていたのだろうか。
十年後の二人が自分たちとどうか関わっているのかが、まったく見えてこない。
じっと中庭を眺めていると、甘い香りが漂ってきた。綱吉がカップを手に、獄寺を呼んでいる。
「獄寺君、コーヒー飲もう」
今度はおいしく淹れたからと、綱吉が言う。
振り返った獄寺は、微かに笑った。
「はい、十代目」
考えてもわからないものは、わからない。
十年後の自分たちに尋ねるしかないだろうと思うと気が重くなったが、いつまでもここにいるわけにもいかないだろう。
気分を切り替えるように獄寺は頭を振った。
「どうかした?」
尋ねかける綱吉に「いいえ」と返すと、手渡されたコーヒーに口をつける。
熱くて甘いだけのコーヒーだったが、それでも獄寺にとっては嬉しかった。綱吉の気遣いが、純粋に嬉しかった。
「俺、頑張りますから、十代目」
そう宣言すると獄寺は、コーヒーをぐい、と一息に飲み干したのだった。
その日は結局、あれこれと考えるだけで終わってしまった。
十年後の自分たちが仕事で忙しくしていたためだ。
聞きたかったことを聞くことすらできなかった。
綱吉と二人して、屋敷のあちこちをのんびりと見て回った。一度回ったところも、丁寧に見て回った。なにかしら手がかりはないだろうかと、食い入るようにあたりの様子をうかがったが、ひとつとして手がかりは得られなかった。
いったいいつになったら自分たちは、元の世界へ戻ることができるのだろうか。
はあ、と溜息をつくと、隣にいた綱吉が、「仕方がないよ」と苦笑した。
「そう簡単に、オレたちがここにいる理由がわかるとは思えないんだよね」
なんとなくだけど、と、綱吉は言い足した。
そうなのだろうか? そんなに難しいことなのだろうか、真相に近づくということは。
「明日、十年後のオレに話をしてみるよ」
あまり気の進まない様子で綱吉が告げた。夕べのことがあるからあまり顔を合わせたくないのは獄寺も同じだった。とは言え、自分が二十四歳の綱吉と二人きりで会うのも避けたいところだ。
「じゃあ、俺は十年後の俺に話を聞いてみるっス」
嫌なことにかわりはないが、それなら安心だと獄寺は言った。
「なにかわかるといいね」
元の世界へ戻る手がかりを得たい。それだけが今の獄寺の望みだ。
綱吉と二人で元の世界へ戻って、そして……。
ベッドの中に潜り込むと、綱吉のにおいが鼻先をくすぐった。
二人でひとつの部屋、ひとつのベッドを使うことが、どことなく恥ずかしくてならない。 夕べの一件で、二人は同じ部屋を使うよう言われてしまっていた。別々の部屋にすると、隙を見て二十四歳の綱吉がこっそりと獄寺の部屋に出入りをするかもしれないからとのことだった。
それにしても、だ。
別に同じベッドにする必要はなかったのではないかと獄寺は思う。
同じベッドで眠ったりしたら、心臓の音がドキドキと鳴っているのが綱吉に聞こえてしまうのではないだろうか。
少し距離を取ってベッドに仰向けに寝転ぶと、獄寺は心臓のあたりに拳をあてる。
ドクン、ドクン、と早鐘を打つような激しい勢いで、心臓が鳴っているのが感じられる。 「……獄寺君、もう寝た?」
暗がりの中に、綱吉の微かな声が響いた。
静かに、獄寺を驚かさないように、そっと綱吉の手が伸びてきて、獄寺の髪に触れる。
「十代目……」
綱吉の手が自分の髪に触れているのだと思うと、それだけで緊張する。体に力を入れたまま、獄寺はじっと息を殺しておとなしくしている。
「ごめんね、獄寺君。オレが頼りないから、心配だろ?」
どこか不安そうな綱吉の声に、獄寺は微かに呻いた。この人は、自分の分までも不安になっている。どうしたらいいのかわからない中で、無事に自分を元の世界へ連れて帰ることを考えて、こんなにも心配してくれている。確かに、端から見ると綱吉の優柔不断なところは頼りなく見えなくもない。しかしそうではないのだということを、獄寺は知っている。
もがき、悩みながらも綱吉が常に前へと進もうとしていることを、獄寺は知っている。
「だいじょーぶっス、十代目」
心配なんてしてませんと、きっぱりと獄寺は告げた。
それから暗がりの中、手探りで綱吉にキスをした。
チュ、と乾いた音がした。その音が嬉しくて、獄寺は綱吉の唇にやんわりと吸いついた。 綱吉の唇のあたたかさにホッとする。
自分は大丈夫だ。不安になんてなっていない。自分の不安を綱吉が引き受けてくれているのなら、自分は、綱吉のために元の世界へと戻るための手がかりをなんとしてでも探し出そう。
二人で元の世界へ戻るため、どんな些細なものでもいいから必ず手がかりを見つけ出すのだ。
そう、獄寺は胸の内で誓ったのだった。
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