てっぺんの星

  クリスマスツリーのてっぺんの星に触りたくて、子どもの頃、無茶をやらかしたことがある。
  手を伸ばそうが、背伸びをしようがツリーのてっぺんまで手が届かず、庭にあった倉庫から持ち出した脚立によじ登って、星をとろうとした。
  星はキラキラと光って、獄寺の目の前であたたかな金色に煌めいていた。
  手を伸ばして、星に触ろうとした。
  もう少しで星に手が届くというところでしかし、獄寺は不意にバランスを崩してしまった。
  あっと思った時にはもう、体は宙に放り出されていた。
  両手をバタバタとさせてみたものの、大きく傾いだ脚立から振り飛ばされた体は呆気なく宙を舞った。
  だけど不思議と恐くはなかった。
  宙に浮くのは奇妙な感じがした。ふわりと体を空気に包まれて、一瞬、自分が鳥になったのだろうかと子どもの獄寺は思った。
  このまま、自分は空を飛んでしまうことができるのではないだろうかと、そんな馬鹿なことを考えて、口元に笑みを浮かべて獄寺は下を見た。
  硬いタイルの床が、冷たく獄寺を見つめ返していた。
「あ…──」
  このままではまずいと悟ったものの、今さらどうすることもできない。
  覚悟を決めて目をぎゅっと閉じると同時に、体が落下していく。
  叩きつけられる──そう思ったところで、床とは別の硬さが獄寺の体を受け止めていた。
「大丈夫か?」
  優しい口調で尋ねられたのを覚えている。
  だけど子どもの獄寺は、ツリーのてっぺんの星に触ることができなかったその事実にばかり頭がいっており、助けてくれた人の顔を見ようともしなかった。
「星が……」
  そう呟くと獄寺は、穏やかな物腰の男性の腕の中から抜け出そうとごそごそと身を動かした。
「あの星は俺のだからな! お前なんかにやらねーぞ」
  横柄にそう告げると、獄寺はまたしても脚立によじ登ろうとする。
「なんだ、ツリーの星が触りたいのかい?」
  男の優しい声に、獄寺の動きがふと止まる。
「違う! あの星は俺のだ!」
  脚立によじ登りながら獄寺が返すと、男はフッと笑みを浮かべた。
「あれが欲しいんだね」
  そう言うと男は易々と脚立に足をかけ、てっぺんの星に手を伸ばした。
「俺の! 俺の星!!」
  脚立の足下では、獄寺が騒ぎ立てながら地団駄を踏んでいる。
  ツリーのてっぺんでキラキラと光っていた星は、今や男の手の中にあった。返してくれと獄寺が言うと、男は優しい笑みを浮かべて脚立を降りてきた。



「はい、どうぞ。君の星だよ」
  そう言って男は、ツリーの星を獄寺に差し出した。
「あ…りがとう……」
  戸惑いながらも獄寺は、口を動かした。
  小さな白い手の中には、金色をしたピカピカの星。大事そうに握りしめると、獄寺は尖った星の端々にうっとりと目を馳せた。
  星は金色に輝いて、まるで獄寺を呼んでいるかのようだ。
  男は「どういたしまして」とだけ言うと、部屋から出ていった。それきり、獄寺はその男と出会うことはなかった。
  それよりも子どもの獄寺には、手に入れたツリーの星のほうが大事だった。
  手のひらに乗せると、星を裏向けたり表向けたりして、見つめた。キラキラと光ると、室内の様子を斜交いになった面に映し出す。なんど見ても飽きない模様を作り出し、星は光っている。
「きれいだな……」
  呟いて、獄寺は手にした星をあちこちの角度から見つめてみる。横にしたり斜めにしたり、真上に掲げて下から覗き見たりして、ようやく納得したのか、獄寺はニコリと笑った。
  これは、自分だけの宝物だ。誰にも見せないで、どこかに隠してしまおう。ツリーのてっぺんから星がなくなったって、この屋敷にそれを気にする人間は一人もいやしないだろう。
  そう考えた獄寺は手の中に星を隠しこみ、大切そうにぎゅっと握りしめると、自分の部屋へと向かって一目散に駆けだしていた。



  自分は夢を見ていたのだろうか。
  ぼんやりと窓辺に佇んで中庭を眺めているうちに、獄寺は子どもの頃のことを思い出していた。
  生家の古城は、クリスマスになると人でいっぱいになった。
  父親に縁のある人たちがやってきては、次々と挨拶をしていく。
  愛人の子どもである獄寺は、居心地の悪い思いをしながら客人たちが帰っていくのをこっそりと子ども部屋の窓から見おろしていた。
  雪の降っている年もあれば、中庭の噴水池が凍り付いている年もあった。
  愛人の子どもには関係のないイベントだった。だから自分は、ツリーのてっぺんに飾ってある星がほしくなったのかもしれない。誰かに気にかけてもらいたくて、星を手に入れようと躍起になったのかもしれない。
  窓の桟に腰かけて、獄寺は口元に微かな笑みを浮かべた。
  大人になった今、獄寺はツリーのてっぺんに易々と手が届くようになった。
  あの時の星は今も大切に生家の自分の部屋に隠してある。あの頃は、あの星が自分にとってはいちばんの宝物だった。
  しかし今の獄寺には、必要のないものだ。
  窓ガラスに息をそっと吐きかけ、曇ったところを指でなぞった。線を繋げて星の模様をいくつか描くと、満足そうに獄寺はガラスを眺める。
  眼下では、ちょうど車が中庭に入ってきたところだった。
  ボンゴレ十代目を乗せた車が玄関前に停車すると、部下たちがこぞって迎えに出ていく様が見えている。獄寺はカーテンを静かに引くと、その影に身を隠した。
  本来ならば今頃はまだ、獄寺は海外にいるはずだった。キリのいいところで任務を中断した獄寺は、せっかくクリスマスが近いのだからと無理を通して屋敷に戻ってきたのだ。
  綱吉はまだ、屋敷に獄寺が帰ってきていることを知らないはずだ。
  どうやって顔を見せようかと、獄寺は思う。
  中庭にちらりと視線を落とすと、車から降りてきた綱吉が、部下に迎えられて玄関へと続く階段を上っていくところだった。



  階段をあがってくる足音は、綱吉のものだ。
  二階にある綱吉の書斎は屋敷の中央に位置している。ちょうど獄寺が身を潜めた部屋だ。
  暖炉には火が入れられ、パチパチと勢いよく炎が燃え上がっている。その脇には、飾り付けをされたクリスマスツリーがひとつ、てっぺんにキラキラと光る星を掲げて立っている。
  完璧だ。
  獄寺はこの部屋で綱吉を待っている。綱吉はもうすぐこの部屋にやってくる。てっぺんの星は、願いを叶える大切な星だ。キラキラと輝いて、獄寺を見守ってくれることだろう。
  廊下から聞こえてくる足音が、次第に近づいてくる。一足ごとに大きくなる足音に、獄寺はドキドキと心臓が高鳴るのを感じている。
  綱吉に会ったら、まずは何と言おう。
  どんな顔をして、どんな話をしよう。
  そんなことを考えながら、足音に耳を澄ます。
  足音が止まり、ドアのノブがカチ、と鳴る。
  獄寺は全身の筋肉を緊張させて、じっとドアが開くのを待っている。
  てっぽんの星がキラキラと光を放っている。暖炉の炎を金色のその身に映し出して、赤く燃えているかのようだ。
  一拍置いて、ドアが開いた。
  少し疲れたような表情の綱吉が、部屋に入ってくる──



「お疲れ様でした、十代目」
  声をかけられた瞬間、綱吉は弾かれたように顔を上げた。
  俯いていた顔があがり、まっすぐに声のほうへと視線を向けてくる。
「ご…く、寺君……?」
  視線が合った途端、怪訝そうに綱吉は声をあげた。
「はい」
  獄寺が返事をする。
「なんで? 任務の真っ最中じゃなかったの?」
  本来ならそのはずだ。もしかしたら今頃はまだ、現地で埃と汗にまみれた状態でボンゴレ十代目のためにささやかな工作活動をしていたかもしれない。
「ランボのやつがかわってくれたんですよ」
  なんでもないことのようにさらりと獄寺が告げると、綱吉は少し驚いたような表情をした。
「珍しいね。君が、任務途中で誰かと交代することがあるなんて、思いもしなかったよ」
  そう言って綱吉は、はにかんだような控え目な笑みを浮かべる。自分のために戻ってきてくれたのかと尋ねることはしない。そう言ってしまうことで獄寺の気持ちを拘束してしまうことを怖れてか、綱吉はいつも気をつけて喋っている。
「クリスマスが近いので、戻ってきてしまいました」
  静かに獄寺は返した。
  部屋の入り口に立ち尽くしたままなかなか動こうとしない綱吉のそばへ行くと、獄寺はその手を取る。
「ケーキを買ってきました。明日の夜には任地へ戻りますので、少し早いですが二人だけでクリスマスパーティといきませんか?」
  今日を逃せば、年明けまで獄寺が任地から戻ってくることはない。獄寺はどうしても綱吉とクリスマスを過ごしたかった。それが無理ならせめて、クリスマス前に一日なりとも。その思いだけで、なんとか時間を確保したのだ。
  そんな獄寺に気付いたのだろうか、綱吉は嬉しそうに笑った。
「うん、いいね」
  悪戯っ子のように目をキラキラとさせて、綱吉は笑っている。その瞳はツリーのてっぺんで輝いている星の煌めきにも似て、獄寺は胸の奥がほんわりと暖かくなっていくのを感じていた。
「さあ、どうぞ十代目、座ってください。紅茶にしますか? それともコーヒーにしますか?」
  甲斐甲斐しく動き回りながら獄寺は、綱吉のためにケーキを用意する。
  暖炉の前にクッションを置くと綱吉は床の上に直接、腰をおろした。それから、ケーキを用意していた獄寺を手招きする。
「せっかくだから、ここで食べよう」
  綱吉が言った。
  獄寺が床に座ると、綱吉は嬉しそうに獄寺をちらりと見た。
  暖炉の炎が二人の顔に照り返しを作りだし、ゆらゆらと影を踊らせている。
「ねえ、ツリーの星がきれいだよ」
  何気なく綱吉は、呟いた。
  その言葉に誘われてふとツリーのてっぺんを獄寺が見ると、星がキラキラと煌めいていた。
  子どもの頃から自分が宝物のように思っていたてっぺんの星を、綱吉も同じように見ていたのだろうか。
「そうっスね。きれいですね」
  咄嗟に気の利いた言葉が出てこなかった獄寺は、子どものように言葉を返すと、綱吉の横顔に視線を馳せた。
  星を見つめる綱吉の瞳が、暖炉の炎を受けてキラキラと輝いている。
  その様子を見つめるだけで獄寺は満足だった。





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