じゃあ、また。
そう言っていつもの四差路で手を振って別れたものの、獄寺の様子が気になった綱吉はいくらも行かないうちにくるりと踵を返した。
「ちょっと用事を思い出したから」
気紛れに後を歩いていたリボーンに声をかけると、綱吉は元来た道を戻りだす。四差路の角を曲がると、向こうのほうに獄寺の丸く猫背になった背中が見えた。ポケットに手を突っ込んでフラフラと歩いている姿は、チンピラのように見えないでもない。
「獄寺君!」
声をかけ、綱吉は大きく手を振った。
立ち止まった獄寺は背後から駆けてくる綱吉に気付くと、ポケットから手を出し、満面の笑みを浮かべた。
「どうしたんスか、十代目」
駆け寄った綱吉は息を切らしていた。リボーンたちと別れて全力疾走で獄寺を追いかけたせいだ。
「ごめっ……」
ゼエゼエと息をしながら、綱吉は自分より少し背の高い獄寺を見上げる。膝に手をついて、綱吉は息を整えた。
丸めていた背中をしゃんと伸ばした獄寺は、すらりと背の高い、いい男に見える。自慢の恋人だと、綱吉は思う。
「どうしたんスか?」
首を傾げて綱吉の顔を覗きこむ獄寺はにこやかで、従順な忠犬といったところだろうか。 「うん。あの…ね」
ポソリと綱吉は呟いた。
ボソボソと小さな声になってしまうのは、どことなく気まずいからだ。どうしてかわからないが、二人でいると気まずく感じることがある。
伏し目がちに綱吉が小さく笑うと、獄寺は照れたように頭を掻いてごまかした。
二人がつきあっていることは、誰にも内緒だ。
秘密の恋は、こっそりと健全に、進展中だった。教室で、クラスメートの視線を避けてこっそり交わす目配せだとか、何気ない拍子に触れる指先やなんかに、綱吉はいつもドキドキしっぱなしだ。 親友の山本にもこのことは秘密にしている。
男同士でつきあっているということが、綱吉に引っかかりを感じさせていた。喉に小骨が刺さったような違和感を感じながら、獄寺とはつきあっている。
本当はそういうこそこそとしたことはしたくはなかったが、男同士なのだから仕方がない。
普通の男女のつきあいですら何かの拍子に茶化されることのある年頃なのだから、いくらかの警戒は必要かと思われた。
もちろん、リボーンには絶対に秘密だ。
二人がつきあっていることがあの小さな家庭教師にバレたりしたら、間違いなくとんでもないことになってしまうだろう。
だから、二人がつきあっていることは秘密にしている。
こそこそとするのは好きではなかったし、窮屈でたまらなくなることも多々あったが、仕方がない。そうしなければ、二人のつきあいに平穏は訪れないだろうということを、これまでの経験から綱吉は重々理解していた。
結局、いつもの四差路で獄寺と別れて一人で帰路についた綱吉は、口元に柔らかな笑みを浮かべながら家への道をのんびりとした足取りで歩いたのだった。
ドキドキするのは、ふとしたはずみに獄寺のシャツの襟元から白い首筋がちらりと覗いたり、すらりと細い指先がペットボトルのキャップをすらりと撫でる瞬間の悪戯っぽい眼差しに色気を感じるからだ。
無意識のうちにやっているのか、獄寺は時々、色っぽい。
同じ男だというのに、どうしてこうも自分と違うのだろうと綱吉は思う。
自分は、獄寺よりも背が低い。あまりパッとしない外見に、ダメダメなところばかりが目立つダメツナだ。そんな自分のことを獄寺は、好いてくれている。いったい自分のどこが、獄寺のお眼鏡に適ったのかを教えてほしいぐらいだ。
溜息をついた綱吉は、勉強机に肘をついてぼんやりとしている。
昼休みに屋上で、獄寺はパックのジュースを飲んでいた。あの時の首から腕にかけてのラインが色っぽくて、綱吉はドキドキしてしまった。第二ボタンまで外したシャツから、ちらりと覗く獄寺の首や鎖骨のラインが、妙に艶めかしかった。
あの白い肌に触れてみたいと思うことは、このところ日常茶飯事となりつつある。
つきあい始めてそんなに時間は経たないが、それでも、獄寺の色香は中学生のものではないと綱吉は思う。
やはり男同士だからだろうか。
男同士だから、獄寺のちょっとした仕草の一つひとつが色っぽいと思うのだろうか。
山本や雲雀、それに了平が獄寺と同じようにしていたとしても、綱吉は彼らに対してそういう色香を感じたことはない。
このドキドキ感は、いったい何だろう。
獄寺のことが好きだからだろうか。それとも、獄寺が色っぽいからドキドキしているのだろうか。
ぼんやりと考え込んでいると、背後から馬鹿にしたような声が飛んできた。
「ダメダメだな」
リボーンだった。
ニヤリと口元を歪めたリボーンは、部屋の入り口から綱吉をじっと眺めている。
「なっ……リボーン、いつからそこに?」
慌てて背中をしゃんと伸ばした途端、勢い余ったのか綱吉は椅子から転げ落ちた。
「ホント、ダメダメだな、お前は」
そう言われて、何がダメなんだと綱吉は思った。
獄寺のことを考えるだけで、ドキドキする。
二人きりになると、それだけでドキドキすることもある。
言葉を交わす時の獄寺のあの嬉しそうな顔だとか、少し格好をつけて歩いている姿だとかに、綱吉はいつもドキドキしっ放しだ。
憧れとは少し、違う。
自分は、獄寺のようになりたいわけではない。
つきあっていることを、誰かに知ってもらいたいのかと言うと、そういうわけでもない。 それでは自分は、何故こんなにもドキドキしているのだろうか。現在進行形で恋が進展しているというのに、こんなにドキドキする気持ちが続くものなのだろうか。恋というのは、そういうものなのだろうか?
教室で、校庭で、帰り道で、目が合うたびにドキッとする。
好きだと気付いて告白するまでにひと月、かかった。告白してからの展開は、ゲームや漫画のように簡単にはいかないものだということを知った。つきあいだしてからのスキンシップと言えば、これまでとたいしたかわりもなく。肩を並べて登下校の道を歩いたり、買ってきたジュースやお菓子を受け取る時に指先が微かに触れ合うのをこっそり喜んだりするぐらいだ。
もっとこう、ドラマチックな展開を期待していた綱吉には、少しばかり物足りないような気がしないでもない。
しかし、そんな物足りなさを感じながらも獄寺を見るたびにドキドキしているのだから、もしかしたらこれでいいのかもしれない。
ダメダメなダメツナには、これくらいがちょうどいいと神様も言っているのかもしれないと、綱吉は軽く溜息をつく。
「別にいいよ、ダメツナで」
呟いた瞬間、それじゃやっぱりダメツナのままじゃん、と、心の中のもう一人の自分が囁く声が聞こえたような気がした。
こんなドキドキする気持ちを抱えたまま、日々は過ぎていく。
つきあい始めて特にこれといった大きな変化もなく、スキンシップと言えば昇降口で靴を履き替える時によろめいた綱吉の腕を獄寺が取ってくれたぐらいだろうか。それもたったの一度きりのことだ。
世間一般で言う男女の恋人がしているような、手を繋いだりキスをしたりといったことに憧れてはいるものの、そこに至るまでが綱吉にとっては酷く難しいことのように思えてならない。
いったいどうしたら、自然に手を繋ぐことができるのだろうか。頬に手を添えて、キスをしたりすることができるようになるのだろうか。
どうしたら……と、考えているうちに、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった。
もう、どうしたらいいのかもわからない。
どうしよう、どうしようと悩んでいるうちに、わけもなく焦燥感ばかりが綱吉の胸の中で大きく育っていく。
頭の中では、触りたい、手を繋ぎたい、キスをしたいと、そのことばかりがグルグルと回っている。
これじゃあ、本当に自分はダメダメでしかないではないかと思ったものの、いざ行動に移すとなると怖じ気づいてしまって何もできなくなってしまう。
ああ、やっぱり自分はダメツナなんだとガックリ肩を落としたところで、ふと、獄寺の姿が目の中に飛び込んできた。
そうだ、今、自分は学校で授業を受けていたのだとふと綱吉は現実を思い出した。
「どうかなさったんですか、十代目?」
小首を傾げる仕草に、綱吉はまたもやドキッとする。
「え……あ、いや、なんか寝不足みたいで……」
頭をボリボリと掻いて、綱吉は誤魔化した。
やっぱり、獄寺を見た時のドキドキは今も収まらない。つきあっているのに、こんなにドキドキするのもおかしなものだと綱吉はこっそりと思う。
「昼飯、どこで食べます?」
獄寺が尋ねると、山本が屋上で食べようと提案してくる。
このところ、ずいぶんと陽気がよくなってきた。制服の上着を着ていると暑いくらいの日もある。
「そうだね、久しぶりに屋上に行こうか」
綱吉がそう言うと、獄寺は嬉しそうに大きく頷いた。
獄寺の細い銀髪がサラリと揺れて、それを目にした綱吉はまた、わけもなくドキドキとするのだった。
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