きれいな形の唇だなと、綱吉は思った。
それ以来、彼の唇から目をはなすことができない。
整った形の唇で、今日は何を喋るのだろう。どんなことを喋ってくれるのだろうと思うと、楽しみでならない。
少し口は悪いけれど、それでも綱吉はいつも楽しみにしている。
怒ると少し怖いところもあるし、思い込んだら脇目も振らず一直線な面もあるけれど、そういった諸々の部分も含めて綱吉は、獄寺のことを好いている。
獄寺の勢いに押されてつきあいを始めたが、いわゆる恋人というものになってかれこれ二週間が過ぎた。
朝、一緒に登校し、昼休みには一緒に弁当を食べ、揃って下校する。これまでとなんらかわることのないスタイルに、肩透かしを食らったような感じがする。
恋人って、こうだっけ?
こんなにも変化のない、あっさりしたものだっけ?
もちろん女の子とつきあったことなどない綱吉だったから、世間一般で言うところの恋人像を思い浮かべての比較でしかないが、どうも自分の思い描く恋人というものからは少しずれているような気がしないでもない。
とは言うものの、綱吉だって嬉しくて仕方がないのだ。
獄寺と出会って、友達になった。そこから親友になるまで時間はそうかからなかった。
もっとも言いだしっぺの獄寺のほうはもしかしたら、恋人であることよりも右腕であることのほうを重視するかもしれないが、それはそれで構わない。
獄寺のことは嫌いではないし、大切な親友だと綱吉は思っている。それがもう少し変化して、恋人になったとしても何ら不思議はないはずだ。
だから、何か喋って欲しい。
綱吉が気に入るようなことでなくても構わないから、獄寺の言葉で、なにか喋って欲しい。
人気のない教室の片隅で、綱吉はそんなことを考えていた。
補習が終わると、綱吉は図書室へ向かう。
獄寺は、綱吉と一緒に下校するために図書室で時間を潰してくれているはずだった。
鞄を肩にかけ、綱吉は小走りに図書室へと向かう。
遠慮がちに図書室のドアを開けると、奥の方の机で熱心に本を読んでいる獄寺の姿があった。
眼鏡をかけ、黙々と本の頁を捲る獄寺はいつもと違う雰囲気で、綱吉はドキッとした。
「待たせてごめんね、獄寺君」
そっと近づき声をかけると、獄寺は顔を上げた。パアッとにこやかに笑みを浮かべ、ガタガタと椅子をずらして立ち上がる。
「お疲れさまでした、十代目!」
綱吉の補習が終わるのを待っていてくれたというのに、獄寺はやたらと楽しそうにしている。
なにかいいことでもあったのだろうかと思わずにはいられないほど、楽しそうだ。
「本、もういいの?」
読みかけの本をパタンと閉じた獄寺に、綱吉は尋ねかけた。
獄寺は、ニコニコと笑いながら帰り支度を始めている。
「はい。十代目をお待ちしている間の時間潰しに読んでいただけですから」
その割に、真剣そうな表情をしていたと綱吉は思う。本を片手に、書架のほうへと獄寺が移動するのにあわせて綱吉も後をついていく。
「なに読んでたの?」
尋ねると、嬉しそうに獄寺は顔をほころばせる。
「たいした本じゃないっスよ」
待ってもらっていたくせに自分は現金だなと綱吉は思った。こうして獄寺が楽しそうにしている様子を目にすることができたことのほうが嬉しいとは。
書架がずらりと並んだその奥まったところへ、獄寺は足を向ける。
シンとした図書室の中には、受付に図書当番の生徒が一人と、受付脇のドアから出入りができる続き部屋になった書庫に司書の先生が一人いるだけだ。他の生徒はあまり利用していないのか、それともたまたま今日だけこんなに閑散としているのかは、日頃はあまり図書室を利用することのない綱吉にはわかりかねた。
目的の棚に、獄寺は手にした本を戻した。
「荷物のところで待っててくださってもよかったんですよ、十代目」
獄寺が言うのに、綱吉は小さく笑った。
「うん。でも、俺がついてきたかったんだ」
そう言って、獄寺の隣に並ぶ。
「これ、面白かった?」
返却したばかりの本の背表紙を指でなぞりながら、綱吉は尋ねかける。
「はい」
怪訝そうに、それでも獄寺は嬉しそうに頷く。この本がよほど気に入っているのだろう。 「待ってる間、暇じゃなかった? つまらないとか……思わなかった?」
恐る恐る、綱吉は問いかける。待ってもらうのは嬉しいが、いつも獄寺はいったいどんな気持ちで自分を待っているのだろう。いちど気にかかりだすと、尋ねずにはいられない。
「つまらないなんて……」
そんなこと、と、獄寺は少しムッとした表情で返してきた。
「十代目をお待ちし、お守りするのが右腕である自分の役目ですから」
そう、あっさり言い切ることのできる獄寺が、少しだけ綱吉は腹立たしい。
そんなふうに思ってほしくはなかった。
自分と獄寺は、同じ男同士とは言え、今はつきあっているのだ。恋人を待つのが役目などと言われても、嬉しくはない。
「でも、俺はそんなふうに言ってほしくはないよ」
さらりと告げると綱吉は、獄寺が戻した本の背表紙を指の腹でそろりとなぞった。
恋人としてつきあっているのに、右腕としての責任やその他諸々のことを持ち出されても困ってしまう。
獄寺と肩を並べて家への道を歩きながら、綱吉はぼんやりと思った。
つきあっているということは、だ。マフィアのボスだとか、右腕だとか、そういったものからは切り離されて当然だと綱吉は思っていた。それなのに獄寺は、ことあるごとに右腕右腕と口にする。これでは、つきあう前となにもかわらないではないか。
一緒に学校へ来るのも、一緒に帰り道を歩くのも、つきあっているのならもうちょっと世間一般で言うところの恋人同士らしくしてみたいと思うのは、これは綱吉の我が儘でしかないのだろうか。 肩を並べて道を歩きながら、綱吉は溜息をついた。
もっと、恋人らしいつきあいをしてみたい。
二人で買い物にでかけたり、遊びにでかけたり。日頃、二人で何気なく当たり前のようにして過ごしてきたことを、今度は恋人としての目線で見てみたい。
そういったことをどう伝えればいいのか、中学生の綱吉にはわからない。言葉でうまく説明することができないから、きっとよけいに苛々してしまうのだろう。
どう伝えたらいいのだろうか。
どう言えばいいのだろうか。
隣を歩く獄寺の横顔をちらちらと盗み見ながら、綱吉はもうひとつ溜息をついた。
いつもの分かれ道はもう、すぐそこだ。あの角を曲がれば、すぐに分かれ道が見えてくる。
早く言わなければ。勇気を出して言ってしまおう。今、ここで。ぐっと奥歯を食いしめて、両の拳を握りしめ、綱吉は口を開こうとした。
「あ……」
不意に、獄寺が素っ頓狂な声をあげた。
なんだろうと綱吉が立ち止まる。
「ああーっ!」
悲壮な顔をして獄寺が、ポケットを探っている。制服のポケット、ズボンのポケットと探してまだ見つからないのか、今度は鞄を覗き始める。
「どうしたの、獄寺君?」
綱吉の声に、獄寺は一瞬だけ顔を上げた。
「ケータイ……ケータイがないんスよ、十代目」
確かここに……とブツブツ呟きながらも鞄の中にはなかったのか、またしてもジャケットの内ポケットやら、ズボンの尻ポケットを探り出す。
「ええっ……教室に忘れたんじゃないの?」
「HRの時には間違いなくあったんで、教室か、それとも図書室か……」
と、肩を落として獄寺は言った。
「俺、学校までとりに戻ります」
だから家まではお送りできませんと告げる獄寺の制服の裾を、綱吉は咄嗟に掴んでいた。 「あの……俺も、一緒に戻るよ、学校まで」
言ってから綱吉は、シマッタと思った。どうしてそんなことを言ってしまったのだろう、自分は。家はもうすぐそこだというのに、このまままた学校まで引き返すなんて。
それでも、獄寺と一緒にいる時間が長ければ長いほど、今の綱吉にはつきあっていることをより実感することができた。
「いや、あのでも、俺が忘れたんですから……」
言いかける獄寺に、綱吉はいいことを思いついたとばかりに笑いかけた。
「俺、教室のほう探すからさ。獄寺君は図書室を探してよ。そうしたら、半分の時間で探すことができるだろう?」
そう言って綱吉は、獄寺の手を引いた。
「行こう」
恋人同士のつきあいにこだわるあまり忘れかけていたが、どんなところにでもきっかけはあるはずだ。
手を繋いで学校までの距離を戻る間、綱吉は嬉しくてたまらなかった。
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