ポケットに、隠しものをしている。
朝、家を出る時からずっとポケットに入れている。
終業のチャイムが鳴り、そそくさと帰り支度を始めた綱吉は、ポケットの中にあるものを気にしながらもポケットに手を入れることすらできないでいる。
「十代目ー、今日はどうしますか?」
クラブ活動や塾のためにさっさと教室から去っていく人波が落ち着いたところで、帰り支度を終えた獄寺がいそいそと寄ってくる。
「あー……うん」
はあ、と溜息をついて綱吉は明後日のほうへと視線を向ける。
「あ、俺は部活なのなー」
視線を感じた山本は、綱吉と獄寺の二人にニカッと笑いかける。
「あ、部活なんだ」
「そう。今から河川敷走るのな」
この寒い中、野球部は河川敷をランニングすることにしているらしい。表の寒さを思うと綱吉の体はブルッと小さく震えた。
「じゃあ、また明日な」
軽く手を振って山本が教室を出ていくのを見送ってから、綱吉はハッと我に返った。
獄寺と二人きりだ。
ドキドキとなりそうになる心臓を制服の上からキュッと握りしめ、綱吉は深呼吸をした。 「オ……オレたちも帰ろっか、獄寺君」
自分一人が気まずいのだが、ポケットに触れないように拳を握ったり開いたりしながら綱吉は声をかける。
「そーっスね。帰りましょう、十代目」
綱吉の様子に怪訝そうに首を傾げながらも獄寺は、ニコリと笑って返してきた。
獄寺と二人きりになると、少しドキドキする。
少し前から綱吉は、獄寺のことが気になっている。未来の世界で初めて自分に逆らった獄寺のことが最近、可愛く見えて仕方がないのだ。
あまりにも気になるものだから、再会を果たしたばかりの正一にこっそり相談を持ちかけたところ、あっさりと「好きだから気になるんだろう?」と、切り捨てられてしまった。
当たり前だろうと言わんばかりの正一の態度に、綱吉は一瞬ムッとしたものの、そうかもしれないと思った。
そうだ。自分は獄寺のことが好きなのだ。
友だちとして大切に想っている。守護者としては、頼りにしている。そして……その気持ちにもうひとつ、恋心を加えたいと綱吉は思っていた。
獄寺はなんと言うだろうか? 男同士だから、気持ち悪いと、そう言われたらどうしよう。いや、それとも、軽蔑されるだろうか? 見捨てられてしまったらどうしたらいいだろう? 落ち込む結果ばかりが何通りも予測できるだけに、綱吉の気持ちは自然と沈みがちになっていく。
昇降口で靴を履き替える頃には、無意識のうちに溜息をいくつもついていた。
「……どーかしたんスか、十代目?」
首を傾げて獄寺が尋ねるのに、綱吉は何でもないと曖昧に笑ってみせる。
「あの……ちょっと、考え事……そう、考え事をしてたんだ」
嘘ではない。
獄寺のことを考えると、溜息が出てしまう。ポケットの中にあるものを渡してもいいものかどうか、逡巡してしまう。
綱吉の言葉を信じたのか、獄寺はそれ以上は追及せず、「じゃあ、出ましょうか」と、スタスタと昇降口を後にする。
「あ……うん」
肩透かしを食らったような、ホッとしたような複雑な気分の綱吉は、頷いて歩き出す。
二人で歩くかえりみちは、やはり居心地が悪い。
山本が一緒にいないからだと、綱吉はぼんやりと考える。ムードメーカーの山本がいてくれたら、綱吉もここまでドギマギすることはなかったような気がする。気になって気になって仕方がないのに、二人きりになると途端に気持ちが萎れていく。たとえ男の自分が告白なんてものをしたところで、相手も同じ男なのだ。そう簡単にこの気持ちが成就するはずがない。そう思うと、二人きりになれて嬉しいのに、ダメだった時のことを考えて気持ちがどんどん後ろ向きになっていく。
正一は、自分の気持ちを正直に伝えたほうがいいとも言っていた。素直な気持ちを言葉にして説明したら、相手も同じだけ誠実に言葉を返してくれるだろうと言われた。それは、わかっている。わかっているのだが、やはり拒否された時のことを考えると怖くて自分の気持ちを伝えることに躊躇いを感じてしまうのだ。
「……河川敷、見て帰る?」
ポソリと尋ねかけると、獄寺が弾かれたようにパッと綱吉のほうを見た。
「野球バカ、見に行くんすか? 寒いっスよ?」
寒いのは承知の上だったが、そう言われるとまたしても綱吉の気持ちはしおしおと萎れていく。
「あー……そう、か。そうだよね。寒いよね。おとなしく帰ろっか……」
綱吉の言葉に、またしても獄寺は首を傾げた。
二人きりのかえりみちは、ドキドキしているのに言葉が少なくて、味気ない。
本当はもっと喋りたい。獄寺といろんなことを話したい。たあいのない話をして、笑って、ふざけ合って……もっと、獄寺と一緒にいたい。
ちらちらと獄寺の様子を見ながら綱吉は、少しだけ歩くスピードを緩めた。
あまり早く歩いたら、すぐに分かれ道についてしまう。
まだもうちょっと、一緒にいたい。
特に今日は、獄寺に渡したいものがある。ポケットの中のものを渡してしまうまでは、獄寺を帰すことはできない。
握りしめた拳にギュッと力を入れて、ふん、と息を吐き出す。
今日、絶対に、分かれ道のところで獄寺にこれを渡すのだ。昨日、女の子たちに紛れて密かに買ってきたチョコレート。日本では女の子からがデフォルトだが、外国では好きな相手に渡すものだとビアンキが言っていた。だから自分の気持ちを伝えるために、綱吉は恥ずかしさを堪えてチョコレートを買ってきた。
すべて獄寺に自分の気持ちを伝えるため、だ。
ドキドキとしながら、綱吉はそっと獄寺の横顔へと視線を馳せる。
うまく自分の気持ちは伝わるだろうか?
それとも、やはり男同士は嫌だと断られるだろうか?
そもそも自分が獄寺のことが気になっている「好き」という気持ちは、男女の恋愛感情のそれに近い。受け入れてもらえるだろうか? 自分が獄寺のことを想うのと同じように、獄寺も綱吉のことを「好き」だと言ってくれるだろうか?
「……目……十代目……十代目?」
不意に肩を掴まれて、綱吉は我に返った。同じようなことをグルグルと考えていたら、あっという間にいつもの分かれ道に来てしまっていたらしい。
「大丈夫っスか、十代目。寒いなら俺のマフラーお貸ししますよ?」
そう言って獄寺は、自分がしていたマフラーを外して綱吉にかけようとしてくる。
「え、ちょ、いいって……獄寺君だって、鼻の頭が真っ赤だよ。寒いんだろ? マフラーしときなよ」 そう返すと綱吉は、「少しかがんで」と獄寺に告げる。一度は渡されたマフラーをさっと獄寺の首にかけてやると、素知らぬふりでさっと獄寺の額に唇で触れた。ただ掠めただけだが、冷たくなった獄寺の額の感触が、綱吉の唇に確かに感じられた。
「じゅ…っ……」
言いかけた獄寺の鼻先に、綱吉はポケットから取り出したチョコレートをさっと突きつけた。
「これ、返品不可だから」
そう言うと、クルリと踵を返して家への道を歩きだす。
背後で獄寺が、訳のわからない奇声を上げている。
恥ずかしくて恥ずかしくて、綱吉は獄寺の様子をうかがうだけの余裕もないままに、スタスタと歩き続ける。
とうとう渡してしまった。
チョコレートを。
自分の気持ちは獄寺にはこれでわかってしまっただろう。獄寺はどう思っただろう? あのままあの場で、獄寺の言葉を聞いてから別れるのだったと今になって綱吉は後悔しているが、もう遅い。 今さらあの場に戻るのも間が抜けていて、どうにもみっともないことだけは確かだった。
家へ帰ってからの綱吉は、そわそわとしてどこか上の空だった。
多少つっけんどんだったような気がしないでもないが、獄寺に自分の気持ちを伝えたのだ。やり遂げた感じがして、気が抜けてしまったような状態だ。
はあ、と溜息をつくと自室の椅子に腰をおろし、ぼんやりと窓の外を眺める。
表の空気は冷たかった。肌がピリピリとして、切れそうなほど痛くて冷たい空気をしていた。もしかしたら雪が降るかもしれないなと思いながら、綱吉は頬杖をつき、目を閉じる。
獄寺の額の感触が、今さらながら唇に蘇ってくる。
滑らかな肌だった。煙草のにおいがほんのりとしていた。何度もやめなよと注意をして、最近、ようやく煙草のにおいが薄まってきたところだ。それから、柑橘系のコロンのにおいも。こちらは煙草のにおい消し用だと獄寺は言っていた。どっちのにおいも好きだと綱吉は思う。
どちらも、獄寺のにおいだから。
目を閉じたままうっとりとしていると、階下から母の声がかかった。
「ツッくん、獄寺君が来てくれたから上がってもらうわよ?」
その声に綱吉は慌てて目を開き、わたわたと立ち上がろうとして無様に椅子から転げ落ちてしまう。心の準備ができてないのにと焦りながらなんとか起きあがって椅子を立て直したところで、ドアが開いた。
「あっ……!」
まだ、開いてほしくなかったのにと非難めいた声をあげると、入り口のところに姿を現した獄寺の動きが瞬時にして固まる。同時に綱吉も固まった。お互い、気まずい思いを抱えたまま、じっと相手を見つめるばかりだ。
「あの……」
ボソボソと獄寺が言いかける。
「ごめっ……獄寺君、ドア閉めてくれる?」
階下にいるチビや母さんたちには聞かれたくないんだと綱吉が言うと、獄寺は「ああ」と頷いてさっとドアを閉めた。
振り返った顔は不安そうに綱吉を見つめている。
「ええと、その……」
「へっ……返品は、受けないよ」
先手を打って綱吉がきっぱりと宣言する。
あまり格好良くはなかったし、反省するところだらけではあるものの、せっかく伝えた気持ちだから、受け取って欲しいと綱吉は思う。その上で獄寺の気持ちを聞かせてもらうのなら、答えがたとえNOだとしても構わない。もちろん拒否されれば悲しいし、辛い。しかし人の気持ちを自分の思うままにすることなど、できるわけがない。
ほう、と息を吐き出すと綱吉は、獄寺を手招きした。
二人して部屋の真ん中で膝をつき合わせて正座をして、互いに相手を見つめ合う。
神妙な顔をして、自分たちはいったいなにをしているのだろうかと思わずにはいられない。
「あの……返事、今すぐでなくてもいいから、ほしい……なぁ、なんて……」
ははっ、と乾いた笑いを上げて、綱吉はちらちらと獄寺の顔を覗き込む。
眉間に皺を寄せて獄寺は、じっと綱吉を見つめていた。
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