「俺は……」
ボソボソと言いかけたものの、獄寺はすぐに口を噤んでしまう。
やっぱり気持ち悪かったのだろうか。男からのチョコレートだなんて人に自慢できるわけでもないだろうし、チョコを渡したのは軽率だったかもしれない。綱吉の頭の中では獄寺に対する言い訳がグルグルと回り出す。
どうやって謝ればいいだろう。
いや、そもそも謝る以前に、自分は獄寺にあんなことをしたり、こんなことをしたり、そんなことをしたり……という妄想でいっぱいの日々を送っていることを、まず詫びなければならないのではないだろうか。未来の世界で不覚にも可愛いと思ったあの瞬間から、自分の頭の中は獄寺でいっぱいになってしまっている。
そのことを説明させてもらえれば、少しはチョコレートの意味も理解してもらえるのではないだろうか。
「あの、獄寺君……」
言いかけた綱吉をギロリと睨んで、獄寺が口を開いた。
「十代目」
怖い。眉間の皺はさらに深くなり、眇めた目はギラギラと光っている……ように、綱吉には見える。
「十代目がくださったこのチョコは……」
腹の底から出す獄寺の声は唸るような響きでもって、綱吉の耳に聞こえてくる。
やっぱり怒っているのだ、獄寺は。もしかしたら馬鹿にされたと思っているかもしれない。
「あ、や、あの、それは、その……」
ひいっ! と息を飲み込んで綱吉が頭の中で十にも二十にもなる言い訳を並べ立て始めたところで、がし、と肩を掴まれた。
「家宝にします、十代目!」
「ん、なっ……」
家宝だなんて。そんな大袈裟すぎるよ、獄寺君。胸の内でこっそりとつっこんでから綱吉は、肩を揺さぶる獄寺の手から逃れようと体を捩った。
「あの、食べてもらうこと前提で渡してるから、家宝はちょっと……」
「だけど十代目からチョコなんてもらうの初めてっスよ、俺。神棚に飾って、朝晩柏手を……」
尚も言い募る獄寺を尻目に、綱吉ははあぁ、と溜息をついた。
渡したチョコは、実はそんなに高価なチョコではない。母の奈々がスーパーに買い物に行くと言うから一緒について行って、たまたま目に付いたチョコを買ってもらっただけなのだ。日頃、なにかとお世話になっている獄寺君にお礼がしたいんだと綱吉が言うと、もっともらしく聞こえたのか、奈々は特になにも言わずにチョコを買ってくれた。そんな経緯で手に入れたチョコだから、神棚に飾るほどのものでもないのだ。
むしろ、そんなことをされたら綱吉のほうが居たたまれない気持ちになること間違いないだろう。
とは言え、嬉しいのもまた事実だった。男が男にチョコレートなんてと怒ってきたのかと思っていたから、こうして獄寺が喜んでくれるのはとても嬉しく思う。チョコレートを渡して自分の気持ちを伝えたことは間違いではなかったのだと、綱吉はホッとする。
「……チョコ、嫌じゃなかったんだ」
ポツリと呟くと獄寺は満面に笑みを浮かべて綱吉の顔を覗き込んでくる。
「嫌なわけがないじゃないっスか、十代目からいただいたチョコなんスよ。こんなに嬉しいことって……」
言いながら獄寺の目元がほんのりと赤く色づいていく。
「あ……」
教えてあげようか。言ったら、獄寺は恥ずかしがるだろうか? 艶めかしく目元を朱色に染めた獄寺の顔をチラチラと見ながら、綱吉は考える。
「あの、十代目。男の俺にチョコって……もしかして……」
ようやく気づいたのか、獄寺の動きがしだいにノロノロとしたものになっていく。と、同時に、ほんのりと朱色がかっていた目元だけでなく、耳たぶや頬のあたりまでもが赤みがかって、なんとも可愛らしい表情になっている。
綱吉は手を伸ばすと、呆然となった獄寺の頬に手をあてた。
白い肌がほんのりと色づいて、綺麗だと綱吉は思った。
獄寺の頬から目元を親指の腹でそろそろとなぞり、それから輪郭を辿って唇へと移る。ふっくらとした唇は少しかさついていた。下唇をなぞると、獄寺の唇がうっすらと開いた。
「口、開けて」
綱吉の言葉に、獄寺は素直に口を開いた。心持ち開いた唇の向こうに、並びのよい白い歯が見える。その奥には、赤い舌先が。艶めかしい色気を持って、獄寺の舌先が突き出されようとする。
綱吉はゴクリと音を立てて、口の中の唾を飲み下した。
「……チョコ、食べよう。お腹すかない?」
慌てて獄寺から身を離すと、綱吉は取り繕うように声をかける。気まずくて仕方がないのは、獄寺に性的な色気を感じたからだ。やはり自分は、獄寺のことが好きなのだ。男女の恋愛のそれと同じに、獄寺のことが好きなのだ。
「食べるんスか?」
「だって、食べなきゃ。そのために買ったんだし」
非難めいた獄寺の言葉に、綱吉はドギマギしながら返す。
チラリと獄寺をうかがうと、彼はわずかに眉間に皺を寄せ、じっと考え込んでいる。
「あの……獄寺君?」
声をかけると、獄寺は恨めしそうに綱吉を見つめてくる。
「食べちゃうんスか、これ……」
そう言って獄寺は、チョコを大切そうに両手でぐっと握りしめる。
「だって、お腹空いただろ?」
夕飯の時間まではまだもう少しあるが、成長盛りの男の子たちは、いつも空腹に悩まされている。綱吉の言葉に、獄寺は少なからず気持ちを動かされたようだ。
「そりゃあ、まあ……」
「じゃあ、食べよう!」
綱吉の言葉に、獄寺は渋々ながら頷いたのだった。
チョコの包みは、獄寺が破いた。
いつだったか映画で見た外国映画のように、獄寺は無造作にチョコの包み紙をバリバリと豪快に破いていく。その手つきが、どこかしらエロティックに見える。
包装紙を破り捨てた中から、チョコレートの紙のケースが出てくる。パッケージに描かれた恐竜の絵に、獄寺は目をまん丸にして見入っている。中に入っているのは、もちろん恐竜チョコだ。四角い長方形のチョコの上に、恐竜の姿が描かれているのだ。スーパーでひと目見て、綱吉は「これだ!」と思った。きっと獄寺の気に入るはずだと思っている。
「ええと……獄寺君、気に入った?」
おそるおそる声をかけると、獄寺は骨抜きになったような表情でチョコに見入っていた。 「もちろんです、十代目。俺……やっぱこのチョコ、家宝にして……」
「や、だから食べるんだって!」
もう一度そう告げると綱吉は、さっとチョコを一個取り上げる。
「あっ」
途端に獄寺が悲壮な声をあげる。チョコ一個ぐらい、なんだよと思いながらも綱吉はそのチョコを素早く獄寺の唇に押し当てた。
「はい、食べて」
ぐい、と無理に押し込もうとすると、獄寺が素直に口を開けた。半分だけ口の中につっこんでやると、カリッ、と小気味よい音を立てて獄寺はチョコレートを囓った。
「どう? おいしい?」
どこのチョコかは知らないけれど、スーパーで買ったチョコだ。よく女の子たちが買っているような本命チョコのような高価なものではないから、味の保証はできない。
心配そうに綱吉は、獄寺の顔を覗き込む。
「……おいしーっス。ありがとうございます、十代目」
チョコを咀嚼しながらも獄寺は、嬉しそうに告げる。目をすっと細めて、なんとも美味しそうにチョコを食べてくれる姿がとても嬉しくもあり、また綱吉には可愛らしく見えた。
「そんなにおいしいんだ?」
呟き、綱吉は手の中に残っていた獄寺の囓りさしのチョコを口の中に放り込んだ。
パクリと一口、口の中に入れると、ミルクチョコの優しい味が口の中いっぱいにふわりと広がっていく。
「あ、本当だ。美味しい」
そう言ってチラリと獄寺のほうを見遣ると、彼は頬を赤らめてじっと綱吉の手元を見つめている。
「え、なに?」
どうかしたのだろうかと思いかけて、ああ、と綱吉は気がついた。チョコだ。あの食べさしのチョコレートを、獄寺は自分ひとりで食べてしまいたかったのだろうか。
「ごめん。獄寺君があんまりにも美味しそうに食べてたから、食べちゃった」
あはは、と笑うと、獄寺はいっそう頬を赤らめて、うつむいてしまう。
いったいどうしたのかと思うほどに赤い顔の獄寺は可愛くて、首筋に差した朱色はいっそう色っぽく見えた。
それから二人でチョコを食べた。
言葉少なにぽそぽそとチョコを平らげていき、最後のひとつを目がけて二人が同時に手を伸ばしたところで、時が止まる。
「あっ……」
慌てて綱吉が手を引っ込めようとすると、獄寺が素早くチョコを手に取り、綱吉の唇に押し当てる。さっきのお返しとばかりにぐいぐいと押しつけてくるものだから、綱吉は少しだけ口を開けて、チョコを囓った。カリッ、と音がして、綱吉の口の中に、今度はビターチョコの味が広がる。
「ん……ちょっと苦いかな、これ」
最初に食べたのは甘くて美味しかったんだけど、こっちは大人向けの味だよねと綱吉が笑って言うと、獄寺はなに食わぬ顔をして囓りさしのチョコをさっと自分の口に放り込んだ。
「へへっ……間接キスってやつっスよね、これって」
そう告げた獄寺の顔は真っ赤で、とても幸せそうだった。
なんだ、やっぱり獄寺君もオレのこと、好きだったんだ。不意に綱吉は、獄寺の気持ちに気づいた。
「そうか……獄寺君も……」
言葉にして互いの気持ちをしっかりと確かめ合ったわけではないけれど、綱吉は確信している。お互いに好き合っているのだ、と。
小さな声で頷くと綱吉は、獄寺の頬に手を添え、さっと唇を寄せた。
チュ、と可愛らしい音がして、唇と唇がぶつかる。ほんのりと苦みのきいたビターチョコの味だ。
「これからもよろしくね、獄寺君」
恥ずかしさを堪えて綱吉が言うのに、獄寺は今度こそ茹で蛸のように顔を真っ赤にして、小さく頷いたのだった。
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