珍しく一回目の目覚ましの音で綱吉は目を覚ました。
素早く手を伸ばして時計のタイマーを止めると、ベッドの中で大きく伸びをする。頭はスッキリとしており、朝の空気が清々しく感じられる。
着替えようとしてパジャマのボタンに手をかけたところで綱吉はふと気づいた。
いつも部屋の片隅にかけてある制服がないのだ。
「あ……れ?」
部屋の中を見回してみるが制服一式だけが、どこにもない。
とりあえず上だけは学校指定のカッターシャツに着替えて階下へとおりていくと、リビングに自分の制服があるではないか。
「オレの制服!」
声をあげると、台所から母の奈々が顔を出してきた。
「あら、おはようツッ君。今日は早いのね」
いつもは時間ギリギリなのにね、と母にニヤニヤと笑われ、綱吉はぷう、と頬を膨らませる。
「今日は獄寺君と山本が家まで迎えにきてくれるから早く起きたんだよ」
決まり悪そうに綱吉は返した。心なしか、ぶっきらぼうな物言いになってしまった。
奈々はすべてお見通しとでもいうかのように、「はいはい、わかってますって」と言うと、台所へと戻っていった。
とうとう中学校も今日で卒業することになった。
綱吉たちは揃って地元の高校へ進学することが決まっている。それもこれも、つきっきりでリボーンやハルや獄寺が勉強を見てくれたおかげだ。
「ツナ、最後ぐらいビシッと決めてくるのよ」
そう言って綱吉の背後に立ったのは、ビアンキだ。
アイロンのあたったネクタイを差し出す彼女は、微かに頬を赤く染めてどこかしらうっとりとしている。
「ママンから聞いたわ。日本の卒業式では、好きな人から制服の第二ボタンをもらうんですってね」
そうだっけ? と綱吉は考える。そんなこと、これまで気にかけたこともなかった。ハルや京子ならもしかしたら知っているかもしれないが。
「へ……へーえ、そうなんだ」
知らないと言うのはなんだか悔しいような気がするが、知っているふりをしたところでボロが出るのがオチだ。第二ボタンかぁ、と綱吉は胸の中で繰り返す。
「そうなのよ」
と、会話に割り込んでくるのは奈々だ。
朝ご飯食べちゃいなさいと言いながらも奈々は、うっとりと宙を見つめた。
「私の頃は第二ボタンだったのよ。好きな人に校門前で握手してもらった後で、第二ボタンをください、ってお願いをしたものよ」
「ロマンチックだわ、ママン」
ビアンキが横から相づちを打つ。
綱吉は当たり障りのないように、「へーぇ」とか「ふーん」とか、適当に頷いている。
「でもね、最近はネクタイなんですって。学生時代のほの酸っぱい思い出、って感じがして、素敵よねぇ」
奈々が言うと、ビアンキも同じようにうっとりと頷き返す。
見てられないとばかりに綱吉はさっさと食卓につき、朝食に手をつけ始める。
母とビアンキの半ば夢を見ているようなぽや〜ん、とした顔をこれ以上見ていられなくて、綱吉は早々に席を立った。
「じゃあ、行ってくるよ」
そう言って玄関で靴を履いていると、パタパタと奥から母が追いかけてきた。
「ねえ、ツッ君。ネクタイ、もう一本持って行っといたほうがいいんじゃない?」
並盛中学の屋上から校庭を見おろすのも今日で最後だと思うと感慨深い。
眼下の景色をひとつひとつ瞼の裏に焼きつけながら綱吉は、チラリと隣に立つ獄寺に視線を馳せた。
卒業式まで、あと三十分。
行きは、綱吉と獄寺、それに山本の三人で、並盛公園で写真を撮った。山本が持ってきたデジカメのタイマーが思うように動かなくて、後から撮った写真を見返したら、おかしな顔の写真がいっぱいだった。
いつもより早くに学校に着いたので、山本は野球部の部室を見に行っている。綱吉と獄寺は、屋上で景色を眺めていた。
校庭の隅に植えられた桜の木には、ポツポツと蕾が膨らみ始めている。あれが満開になる頃には自分たちは、高校生になっているのだ。
「ちょっとひんやりしてますね」
獄寺が呟いた。
数日前から春めいて暖かくなってきていたが、やはり屋上に出るにはまだ少し寒かったようだ。
「そうだね」
返しながら綱吉は、朝の会話を思い出していた。
好きな人の制服の第二ボタン……いや、ネクタイか。どっちでも構わないが、卒業の記念にするのだろう、きっと。好きな人と一緒に過ごした日々をいつまでも覚えておくために。
確かに、ビアンキが言うようにロマンチックな思い出になるだろう。
しかし、と綱吉は考える。
自分が好きなのは、獄寺なのだ。自分と同じ男の獄寺に、好きだと告げるのはどうなのだろう。きっと獄寺は驚くだろう。いや、もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。
これまで友人として一緒に過ごしてきた時間までもが、なくなってしまうかもしれない。そう思うと恐くて、自分からは口にできないような気がする。
好きだと気づくまでに一年、綱吉はかかった。
最初は京子やハルと同じように仲間として、友人として大切なのだと思っていた。だが、そうではなかった。自分はまさしく獄寺隼人のことが、男女の恋愛感情のそれと同じに、好きなのだ。
そのことをどう告白したらいいのかを、夕べはベッドの中で延々と考えていた。
人を好きになるのは悪いことではないと思うが、相手が自分と同じ男だった時は、どうすればいいのだろう。誰かに聞きたいと思う一方で、この気持ちを誰かに知られたら、自分は立ち直ることができないかもしれないと綱吉は思う。
告白したい。
だけど、知られるのが恐い。
はーっ、と溜息をついた綱吉は、フェンスに背を預けるようにして立った。
極力、獄寺の顔は見ないように真っ直ぐに前を向いて、屋上の給水塔をじっと凝視する。 「オレ……並盛中で獄寺君と一緒に過ごすことができて、すごく楽しかったよ」
「……いきなりどうしたんスか、十代目」
怪訝そうな獄寺の様子に、綱吉はますま緊張してくる。挙動不審なことをしでかしたらどうしようと不安に思いながらも、ふう、と深呼吸をする。
今、この場にいるのは綱吉と獄寺の二人きりだ。目の前には給水塔があって、誰かがいたとしても、ここで二人が話している内容までは聞こえないだろう。
「あの、オレ……」
「でも、俺も楽しかったです。十代目のそばにいられてよかった。俺たち、これからも一緒ですよね!」
口早に言い放つと獄寺は、へへっ、と照れ臭そうに笑った。
自分が言いたかったことを先に言われてしまったような気がして、少し悔しい。
「うん」
頷くと綱吉は、眩しそうに目を細める。
実際、屋上を照らす日の光が眩しかったのだ。春の日差しとまだ少し冷たい空気が、心地よい。
「高校も一緒に通えることになって嬉しいっス」
その言葉もそうだ。綱吉が伝えたいと思っていた言葉だ。
ああ、もう──と、綱吉は小さく呟いた。
「叶わないな、獄寺君には」
自分が言おうとしていた言葉を次々と口にされて、すっかり綱吉はしてやられてしまった。だけど、そんな獄寺だからこそ、自分は彼のことを好きになったのかもしれない。
自分と同じことを思ってくれている、同じ気持ちを共有しているという感覚が、好きという気持ちに繋がっていくのかもしれない。
「へっ……なにが、ですか?」
首を傾げる獄寺の頬に、さらりと銀髪がかかる。日差しが当たると髪はキラキラと煌めいて、それがとても綺麗に見えた。
「いや、なんでもないよ」
そう言って綱吉は、ふい、と視線を逸らした。
これ以上見ていたら、自分が獄寺のことを好きだという気持ちが伝わってしまいそうで、恐かったのだ。
卒業式が始まる寸前まで、二人で屋上にいるつもりだった。
もっと話したいことがある。もっと、共有したい気持ちがある。
とりとめもない言葉をポツリポツリと交わしながら綱吉は、タイミングを見計らっている。
いつ、言おう。
どうやって獄寺に自分の気持ちを告げようかと思っている間にも、刻一刻と卒業式の開始時刻が迫ってくる。
ふと校庭へと視線を向けると、人影が校門を潜ってくるのが見えた。まばらながらも学校へと人が集まり始めているようだ。
「もう少ししたら式が始まりますね」
獄寺の声は淡々としていた。
「そうだね」
言わなきゃ。今、言わなければ自分はきっと後悔するだろう。言わなきゃダメだと綱吉は、胸の内でこっそりと自分を叱咤する。だけど、なんて言えばいいのだろう。いきなり好きだとストレートに告白したところで、獄寺が喜ぶとは限らないだろう。
もっと遠回しな表現は……と考えるうちに綱吉は、今朝方、母やビアンキと交わした言葉をふと思い出した。
好きな人の第二ボタン。ネクタイ。ボタンをください。最近はネクタイが。握手をして。ロマンチック。ほの酸っぱい思い出……。
真っ直ぐに獄寺を見つめると、綱吉はできるだけ平静を装って口を開いた。
「あの……もしよかったら、ネクタイ、交換しない?」
そうすれば、二人が一緒にいた思い出は形として手元に残るだろう。
「ああ、それ、いいアイデアっスね。さすが十代目!」
綱吉の気持ちに気づいているのか、それともこれっぽっちも気づいていないのか、獄寺は嬉しそうに手を打った。
「是非、交換しましょう、十代目」
言うが早いか獄寺は、シュルリとネクタイを解いていく。
「い…いの? 本当に?」
綱吉が尋ねると、獄寺は大きく頷いた。
「もちろんです! 十代目のネクタイは、今日の記念に大切に取っておきます。十代目と一緒に中学生活を過ごした証ですから!」
なんて無防備な顔をして、そんなことをサラリと言ってしまうのだろう、この男は。
「オレも……オレも、大切にするよ、獄寺君のネクタイ」
綱吉も同じようにネクタイを外した。大好きだよと、気持ちを込めて獄寺のネクタイを受け取る。手から手へと渡され、交換するネクタイは、学校指定のものだからどちらも同じようにしか見えないが、獄寺のネクタイを受け取った途端、綱吉の心臓はドキドキと鼓動を鳴らし始めた。
「なんか照れますね、こういうのって」
淡い笑みを口元に浮かべた獄寺は、「こんなことするの、初めてっスよ」と照れたように白状した。
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