「あ゛〜づ〜い〜〜〜!!!」
執務室の机に突っ伏して、綱吉は手足をバタバタとさせている。大人げもないが、ボンゴレ十代目としても部下たちには見せられない醜態だ。
「ごめんねツナ兄、執務室の空調だけ調子が悪くて。修理が終わるまではしばらく扇風機で我慢してくれる?」
申し訳なさそうにフゥ太が言うのに、綱吉ははあぁ、と大きな溜息をつく。
「空いている部屋はいくらでもある、っていうのに……なんで、よりにもよって執務室なんだよ」
そう言うと綱吉は、もう一度大きく溜息をつく。
「扇風機つけてもさ、風が生温いんだよね。午後になると熱風が吹きつけてくるだけだから、暑いことにかわりはないし……」
空調機が壊れてまだ二日だが一向に修理をしてもらえる気配もなく、一見すると怒っているようには見えないものの、綱吉のふ不満は爆発寸前だ。
「だからゴメン、って言ったんだけどな」
と、やはりこちらも不満げにフゥ太が言う。
「あー……はいはい、わかった、わかった」
やや投げやりに手を振って、綱吉はまたしても溜息をつく。
それにしても、暑い。
室温を確かめることは、昨日の午後を境にやめてしまっている。あまりの暑さに何度も温度計を眺めていたら、そのうちに頭痛がしてきたのだ。
「それで、修理はいつ頃になりそうなんだ?」
一日でも早く、元の快適な環境に戻りたい。
綱吉は期待の眼差しをフゥ太に向けた。
「うん……それがね、ツナ兄」
言いにくそうにフゥ太は目を伏せ、綱吉から顔をそらす。言おうか、どうしようか。一瞬、フゥ太の迷いが見えるような気がして、綱吉はわざとらしく、今日、何度目になるかわからない溜息をつく。
おまけに、やっぱり聞きたくないと思った時には既に、フゥ太の口から事務的な説明がなされていたのだった。
要は、技術スタッフで手の空いている者がいないから、しばらくは空調が壊れたままで我慢してほしい、ということらしい。
そんなの無理だよとボヤきながらも綱吉は、既に半分ほどその気になっている。民間の業者を屋敷に入れる気はさらさらなかったから、やはり技術班の手が空くのを待つしかなかった。
「で、いつになったら直るんだ?」
しばらくは我慢するとしても、そういつまでもこのままではいられない。
できれば一両日中にでも直してもらいところだがとフゥ太を見ると、彼の視線は宙をさまよい、口元には引きつった薄笑いのようなものを浮かべている。
「ええと……その……」
ああ、なにか都合の悪いことがあるのだなと綱吉は悟った。
ボンゴレ十代目なんてのは、所詮この程度のものでしかないのだ。
この猛暑の中、空調の壊れた部屋で業務用ファンが送り出す熱風に吹かれて黙々と執務をこなさなければならない。だから昔から十代目になどなりたくはないとあれほどはっきりと口に出して伝えてきたというのに。
「ああ……もういいよ、なんとなくわかったから」
多分しばらくはこのまま、拷問のような日々が続くのだ。
「空調が直るまで、休暇でも取ろうかな」
ポソリと呟くと、すかさずフゥ太が睨みつけてきた。
「このあいだ取ったばかりだよね、休暇」
冷たい声ではっきりと告げられ、綱吉はううっ、と机につっ伏した。
どうあってもフゥ太は、綱吉を熱風が舞う執務室で仕事をさせたいようだ。他にも部屋は空いているだろうに、いくらなんでもこれは横暴すぎる。
「空いてる部屋の空調機をこっちに回せば……」
「技術班は今、別件で忙しいから無理だろ」
忘れたの? と、冷たい眼差しをちらりと向けられ、綱吉はガクリと肩を落とした。
忘れていたわけではないが、技術班は現在、綱吉の特命を受けたジャンニーニの指揮の元、新型の通信機の開発中だ。綱吉の右腕であり恋人でもある獄寺は、今頃はその新型通信機のデータ収集につき合って東奔西走しているはずだ。
ううっ、と綱吉は低く呻いた。
獄寺がここにいたなら、これだけ綱吉が困っているのに姿を現さないはずがない。昨日も今日もいなかったのだから、それぐらいわかっていて当然だろう。
「じゃあ、技術班に新型通信機のテストは延期するように……って言うのは、ダメ……だよ、ねえ?」 上目遣いにフゥ太をちらりと見ると、「ダーメ」と、恐い顔で返される。
「でも……ハヤト兄がこのことを知ったら、すぐにでも駆けつけてくれるだろうね」
二人がつき合っていることなどとうの昔に掌握しているフゥ太は、窺うように綱吉の顔を見た。
「あ、そうか。その手があったんだ」
フゥ太の視線などお構いなしに綱吉は、ポン、と手を打った。
いそいそとパソコンに向かうと、獄寺にあててメールを一通、送る。
これでこの熱風地獄から解放されるとばかりに、綱吉は嬉しそうに頬を緩ませたのだった。
業務用ファンの送り出す熱風が執務室の澱んだ空気をゆっくりと掻き混ぜる。
暑くて暑くて、たまらない。
はあぁ、と溜息をつくと綱吉は、手にした書類から顔をあげ、手を休める。
「今日は少し早いけど、そろそろ……」
「まだ二時にもなってないけど」
言いかけた綱吉の言葉を遮るようにして、フゥ太が言う。
ギロリ、と軽く睨まれ、綱吉はははっ、と乾いた笑いを上げる。
それにしても、暑い。空気はどんどん生暖かくなっていくし、窓の外では蝉がけたたましく鳴いている。額を伝い落ちる汗が目にしみて、綱吉は首からかけていたタオルで汗をごしごしと拭った。 「明日はクールビズで来たほうがいいと思うよ、ツナ兄」
そう言うフゥ太は、半袖シャツの第一ボタンを外し、薄手のベスト姿をしている。馬鹿正直に今日もスーツをきっちりと着込んでネクタイを着用している綱吉一人だけが、もしかしてしなくてもいい暑い思いをしているのではないだろうか。
眉間に皺を寄せると綱吉は、苛々とキーボードを叩いた。
自分のところへ回されてくる書類の確認と、決裁。それに加えて、幹部たちや同盟マフィアのボスたちから送られてくるメールの確認にと、やるべきことは色々とある。
獄寺からの返事は、まだこない。当然だ。獄寺は今頃、ジャンニー二の開発した新型通信機の試用データを集めている最中だ。綱吉が送ったメールなど些細な愚痴でしかないのだから、相手にしている暇などないはずだ。
「あーあ。今ここに獄寺君がいたらなぁ……」
そうしたらきっと、綱吉は頑張ることができるのにと、恨めしそうにフゥ太へと視線を向ける。フゥ太のほうも慣れたもので、涼しい顔をして綱吉の視線を受け流している。
「ハヤト兄は真面目に頑張ってると思うよ」
さらりと嫌味に近いことを言われてしまい、綱吉にしてみれば、頑張らざるを得なくなってしまう。
「チェッ。だったら空調の修理を優先させてくれればいいのに」
そうしたら仕事の効率も上がるんだけどなと綱吉は呟く。さすがに今度ばかりはフゥ太も無視するしかなかったようだ。これ以上の言い争いは余計に暑苦しいだけだったし、無駄な力を使う気力は二人とも、もうほとんど残っていない。この暑さと戦うだけでせいいっぱいなのだ。
「冷たいコーヒーか麦茶が飲みたいな。それか、かき氷」
手元の書類を睨みつけながら綱吉はぼやいた。
どれも無理な要望だとわかっている。フゥ太はそういったことをするために執務室に待機しているわけではないのだし、そもそもそういったことはここではセルフサービスとなっている。或いは獄寺がこの場にいれば、率先して綱吉の世話を焼いてくれるのだが。
「できないことを嘆いても空しくなるだけだよ、ツナ兄」
そう言ってフゥ太は、部屋の隅にある別の机で自分の仕事をしている。彼の職場は本来、ここではない。獄寺が不在の折にはピンチヒッターとして執務室に詰めることが多かったが、いつもは別室で仕事をしている。おそらくは、綱吉一人を空調の壊れた執務室に残すことに罪悪感を感じているのだろう。
「ううっ」
小さく呻きながらも綱吉は、大きく開け放ったドアの向こうへふと視線を向けた。廊下の冷気が少しは入ってくるかと思ったのだが、無駄だった。確かに廊下に出ると少しはひんやりとしているのだが、ドアのこちら側へはどうしても冷気が入ってこないのだ。まるで目に見えないなにかに遮られているのではないかと疑いたくなるほどだ。
「暑い〜」
呻くと、フゥ太が苛々と顔を上げた。
「ツナ兄、余計に暑くなるから言わないでよ」
だけど、暑いものは暑いのだ。ぼやきでもしなければ、やっていられない。
ネクタイをきっちりとしめて、スーツを着込んでいるから暑いのだ。それはわかっている。だが、ここで上着を脱いでしまうことはできない。思い出したようにかかってくるテレビ電話では、綱吉の着ているものまでしっかり品定めをする輩もいるのだ。それを考えると、妙な格好はしないほうがいいだろう。そう思いながらも首にかけたタオルのことにまでは綱吉は思い至らない。それだけ暑さで頭がボーっとなってきているのかもしれない。
はあぁ、と何度目になるかもわからない溜息をつくと綱吉は、手元の書類に視線を落とす。
今日中にこれらの書類の確認を終わらせなければならない。
空調さえ直ってくれればすぐに終わる仕事なのにと、綱吉は歯がゆい気持ちでいっぱいだ。
はあっ、ともうひとつ溜息をつくと、ドアの向こうへ視線を送る。
あの開け放ったドアを一歩でも廊下側へと踏み出せば、あたりの空気はひんやりとして、快適なことがわかっている。それなのに自分はここ、執務室で仕事を続けなければならない。
あんまりだと眉間の皺を深くした瞬間、耳に馴染んだ声が、廊下の向こうから聞こえてきた
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