本当は……1

  目を開けると、綱吉は一人きりで自室のベッドに横たわっていた。
  窓の外はすっかり暗くなっている。
  獄寺はどうしたのだろう。いつもはうるさいぐらいにまとわりついてくるあの陽気な男は、どこに行ったのだろう。
  額にかかる髪を指で無造作にかきあげてから綱吉は、微かな溜め息をついた。
  そうだ、獄寺はいなくなってしまったのだ。
  もう二度とここへ戻ってくることはないだろう。
  あの男は、長年支えたボスよりも、幼少の頃から慕っていた年上の医者のほうがいいと言って、ここを去ってしまったのだから。
「隼人……」
  掠れた声で綱吉は呟いた。
  もう戻らない人のことを考えて、綱吉はまたひとつ溜め息をつく。
  心にぽっかりと穴が空いてしまったように、寂しくてならない。空白になってしまったこの場所を、いったい何で埋めればいいのだろうか。
  兆候は何もなかった。綱吉に触れられて嫌がっている様子もなかった。むしろ向こうから何度も求めてきて、いつになく激しく抱いた覚えならある。
  このところずっとそんな感じで、綱吉は言葉にできないもどかさしさを覚えていた。
  バスルームで立ったまま挿入したこともあったし、執務室の散らばった書類の上で正面から獄寺を犯したこともあった。それでも獄寺は綱吉にぞっこんだったし、離れるどころか互いの絆はいっそう深くなっていったと思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。
  あれは全て、綱吉の勘違い……自分勝手な思い込みだったと言うのだろうか。
  ノロノロと身を起こすと綱吉は、身支度を整えた。
  獄寺がいない今となっては、身の回りのことは自分でするしかない。
  今夜は確か、同盟マフィアとの懇親会があるはずだ。
  本当はそんなことはどうでもいいのだが。ちらりと本音が胸をよぎる。
  マフィアなんて、なりたくてなったわけではない。
  ならざるを得ないのっぴきならない事情があって、やらされているだけだ。
  他の連中がどうだか知らないが、自分はとにかくマフィアになりたいと望んだことは一度としてあったことはない。
「あー……行きたくない」
  すっぽかしてやろうかと、ふとそんな思いが頭を掠めた。子どもの頃のように、自室にこもってドアに鍵をかけ、頭からシーツをかぶってやりすごすのだ。誰が来ても、何があってもドアを開けずにベッドの中でぎゅっと目をつぶって、ただただ時間が過ぎるのを待つだけの日々。無為に過ごす時間が、あの頃の自分にはとても大切なもののように思われた。そう、あの頃の自分には。
  髪を整えると綱吉は、少し前に獄寺が選んでくれたコロンをうっすらと肌につける。
  適当に選んだスーツは、クリーム色の獄寺のお気に入りのスーツだ。
  このスーツを買ったばかりの頃に、車の中で獄寺を抱いた。ほとんど無理やりだったが、狭い空間に響く獄寺の啜り泣きがあまりにも艶っぽく、二度、三度と犯したことを覚えている。あの時、思い余って綱吉は獄寺の白い首筋に所有の印を残した。
  愛していたのだと思う。獄寺がそばにいることが当たり前になりすぎていて、失うまでその存在の大きさに気付いていなかった。
  だから自分は大馬鹿者なのだ。
  大切な存在に気付かず、むしろ蔑ろにしていた。これでは愛想を尽かされても仕方がない。
  はあぁ、と深い溜め息をつくと綱吉は、居心地のいい自室を後にした。



  同盟マフィアとの懇親会は、落ち着いた雰囲気の小さなレストランで行われた。奥の個室を貸しきってのこぢんまりとした会になる予定だ。
  懇親会自体に興味すら覚えなかった綱吉だから、どこのファミリーかどころか、相手の名前すら確かめていない。
  これでは相手に失礼だということはわかっているが、いつもうるさいぐらいに前情報を教えてくれていた獄寺がいないのだから仕方がない。
  レストランのドアを開け、気乗りのしないノロノロとした足取りで綱吉は奥まった個室へと足を向ける。
  個室の前には鋭い眼差しのボディガードが数名、銅像のようにピクとも動かずに立ち尽くしている。
  懇親会の相手は既に中にいるらしい。
  うんざりとした気分で綱吉は個室に入った。
  衝立の向こうによく知った後ろ姿を見つけた綱吉はその瞬間、ぴくりと指先が震えるのを感じた。
  はっと息をのんで、それから綱吉は恐る恐る口を開いた。
「……隼人?」
  確かめるように名前を呼ぶ。心臓がドキドキとなって、ともすれば震えそうになる声をなんとか誤魔化そうとする。
  いつもの獄寺ならここでパッとこちらを振り返って、満面に人懐こそうな笑みを浮かべるはずだが、今日は少々勝手が違うようだ。
  名前を呼ばれた獄寺は椅子から立ち上がると、綱吉のほうへと軽く会釈を送ってきた。
「親父の代理で来ました」
  グレーのスーツを身につけた獄寺は、いつになく落ち着いているようだ。ところ構わず相手を威嚇して回っていた隙のない眼差しは今はなりを潜めている。とは言うものの、どこか他人行儀なところが少し寂しくもあるのだが。
「あ……ああ、そうか。隼人のお父さんだったんだ、懇親会の相手」
  そう呟くと綱吉は、ホッと息を吐き出した。
  正直なところ、緊張していたのだ。獄寺がそばにいないから、なおのこと失敗はできないと知らず知らずのうちに肩に力が入りすぎていたような気がする。
「よかった、隼人が来てくれて」
  綱吉がそう告げると、獄寺は照れたようにわずかに顔を赤らめた。伏し目がちにテーブルへと視線を漂わせると、控え目な笑みを向けてくる。
  獄寺の表情を見ていると、彼が自分に愛想を尽かして出ていったことが嘘のように思われた。自分はまだ、獄寺に好かれている。嫌われて逃げ出されたわけではないのだろうということが窺われた。
「隼人は……」
「あの、十代目……」
  ふと気が付くと、お互い同時に言葉を発していた。
  あ、と綱吉は口をつぐむ。
  獄寺のほうも決まり悪そうに黙り込むと「どうぞ」と綱吉に先を続けるようにと譲ってくる。
  綱吉はかぶりを振ると、シャマルのことをいつから好きだったのかを教えてほしいと獄寺に尋ねた。怒っているわけではないが、獄寺がいなくなって寂しかったこと、悲しかったことを綱吉は淡々と告げた。
  とは言っても、獄寺がいなかったのはほんのわずかな期間のことだ。しかしその喪失感は半端なかった。考えられないほど大きな無気力感に襲われた。なにもしたくない、なにも考えたくない、そう思わせるほど影響力は大きかったのだ。
  綱吉の言葉に獄寺は、躊躇いがちに口を開いた。
  普段の獄寺らしからぬ弱々しい声が、綱吉の耳に響いてくる。
  しんと静まり返った部屋の中に、獄寺の小さな声が吸い込まれていくようだ。



  ようやく口を開いたものの獄寺はもたもたと呟くばかりでその内容はまったく要領を得ないかった。
「あの、実はその……」
  ボソボソと口の中で言葉を繰り返しては、言い淀む。そんなことをさっきから何度も繰り返している。
  なによりも気にかかったのは、獄寺とシャマルの関係だ。これまで綱吉は、二人の間に師弟関係以上の感情が存在するなど考えたこともなかった。それなのに獄寺は、綱吉の部屋を出て行く時にシャマルのことを以前から慕っていたのだと告げたのだ。
  そんなふうに獄寺がシャマルのことを見ていたようには思えなかった。綱吉から見たシャマルは、仲はあまりよろしくないがいざという時には頼りになる年の離れた獄寺の兄といった立ち位置なのだとばかり思い込んでいた。
  だが、そうではなかったのだ、実際は。
  獄寺は、綱吉に対する恋愛感情と同等の感情をシャマルに対しても抱いていたのだと言う。
  そのことを訊きたくて、しかしどう尋ねればいいのかがわからず、綱吉の舌はますます重くなる。かといって、問い質すようなことはしたくはなかった。
  綱吉と別れた今、獄寺が年上の医者の元で幸せに過ごしているのなら、それはそれで構わない。 追い詰めるつもりはないし、今が幸せならそれでいい。綱吉はそう思っている。
  だが、もしも獄寺が幸せでないなら……その時は、無理やりにでも獄寺を奪い返そう。ともすれば、そんなふうに心の底で後ろ暗いことを企ててしまいそうになる。
  それだけ獄寺に対する未練というか執着が、いまだ綱吉の心の中には存在しているのだ。
  綱吉はできる限り優しい声で元恋人を呼んだ。
「ねえ、獄寺君。君、本当は俺のこと、どう思っているの? もしかしたら、今でも……」
  ──好きなんじゃないの?
  綱吉はそう尋ねようとした。



(2016.3.5)


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