本当は…… 2

  会食の内容など、頭に入ってくるわけがなかった。
  今の綱吉には目の前にいる獄寺の一挙一動を追いかけることに必死で、それ以外のことは何も考えられなかったのだ。
  ボーッとした頭のまま、何も考えられない状態で、時間だけが過ぎていく。
  長くて短い時間だった。そして濃密だった。
  これまで二人きりで過ごしたどんな甘い時間よりも狂おしく、もっと深く獄寺のことを知りたいと思う気持ちが次から次へとこみあげてきてたまらなかった。
  触れたいと切望しながらもそうすることのできないもどかしさと、焦燥感が綱吉の中にはあった。
  手を伸ばせばすぐそこに獄寺はいて、触れることだってできる。それなのに彼は涼しい顔をして、まるで他人のようによそよそしい。以前の、綱吉を好きだと言っていた頃の獄寺はいったいどこにいってしまったのだろう。
  不意に、ボソリと綱吉は呟いた。
「……素っ気ないんだな」
  獄寺に相手にしてもらえないことが悲しくてたまらない。自分が透明人間になってしまったように感じられて、胸の奥ではチクチクと針で突き刺されているような痛みが感じられる。
  隼人、と、名前を呼びたい。抱き締めたい。あの唇に触れたい。
  眉間に皺を寄せて綱吉は、目の前の男を睨み付ける。そうしなければ、自分が何をしでかすかわからない。急に自制心がどこかへ行ってしまったようだ。
  獄寺はふと動きを止めると、綱吉を見つめ返してきた。怪訝そうに、うかがうように綱吉の顔を覗き込む。
「お疲れのようですね、十代目。お忙しいところを無理して来てくださったのなら、今日の会合はそろそろお開きにしましょうか?」
  心配そうな表情の獄寺のこの優しさは、本物だろうか? 単なる同情なら、そんな優しさは欲しくはない。今、綱吉が必要としているのは……。
「十代目?」
  また、獄寺が声をかけてくる。
  綱吉はハッと我に返った。
「あ……ああ、ごめん。ボーッとしてた」
  疲れているわけじゃないんだけど、と言い訳がましく呟いてみせるが、獄寺は気遣わしげな様子をしている。
  今すぐここで会合など投げ出して、獄寺を抱き締めたい。肌の隅々にまでこの手で触れたい。彼の熱を感じたい。感じさせたい。
  ギリ、と奥歯を噛み締めてから綱吉は、ゆっくりと息を吐き出した。
「その……」
  訊きたかったのは、獄寺が今、幸せなのかどうかだ。今の環境に彼が満足しているのか、穏やかな日々を送れているのかどうかだ。
「獄寺くん。君、今幸せ?」
  さらりと、なんでもない風に尋ねられたと綱吉は思う。
  ちらと獄寺のほうを見ると、彼は一瞬ハッとしたように目を見開き、それから暫く言い淀んだように見えた。それから少しの沈黙の後、獄寺はゆっくりと口を開いた。低くボソボソとした声で、獄寺が何やら呟いていることはわかったが、要領を得ない呟きが続くばかりだ。
  本当に獄寺は幸せなのだろうか?
  綱吉の疑問は次第に大きく膨らんでいく。
  決して自分勝手な独り善がりだとか、自分に都合のいい妄想とかではないはずだ。
  獄寺の淡い翡翠色の瞳を覗き込むと、気持ちの揺らぎが感じられた。
  幸せなら、気持ちが揺らぐことはないはずだ。それなのに何故、獄寺の気持ちは確たるものではないのだろう。
  もしかして迷っているのだろうか。シャマルとの関係に、何かしら問題があるのだろうか。それとも、綱吉と別れたことを後悔しているのだろうか。
「ねえ、どうなんだい?」
  尚も問いかけると、獄寺は決まり悪そうに俯いた。もう、何も言い返す言葉が出てこなくなってしまったようだ。
  獄寺はふうぅ、と深い溜め息をついた。
「……これ以上は勘弁してください」
  そう告げる獄寺の唇は、微かに震えている。
  彼が幸せではないことは、これではっきりしたとばかりに綱吉は「ふぅん?」と頷く。
  やはり綱吉としては、獄寺を取り戻したかった。彼がシャマルの元にいて幸せならばともかく、そうではないのにいつまでも手放したままでいられるわけがない。トン、トン、と指先でテーブルを叩きながら綱吉は、獄寺の様子をじっと見つめている。
  自分ならばきっと、彼を幸せにすることができる。これまで付き合ってきて、互いのことはどんな些細なことも理解できていた。自分なら、獄寺を悲しませるようなことは決してしないだろう。
「ねえ、隼人」
  艶めいた声で獄寺の名を呼ぶと、ビクッと肩先が震えるのが見てとれた。もともと華奢な体つきをしていたが、綱吉の元を去ってからいっそう華奢になったような感じがする。心を煩うような何かがあるのなら、それを取り除いてやりたい。自分のそばにいた頃の獄寺に戻ってほしい。綱吉の胸の内が、そんな想いでいっぱいになる。
  ゆっくりとした口調で綱吉は、告げた。
「オレのところに戻ってきて欲しいんだ」



  ただただ獄寺は、唇を震わせるばかりだった。
  本当は戻ってきたいのではないだろうか、自分の元へ。シャマルとのことは、単なる勘違い、一時の気の迷いだったのではないだろうか。そんな考えが綱吉の中でますます大きくなっていく。
「あ……」
  困惑したように獄寺は、綱吉を見つめ返してきた。
  淡い翡翠色の瞳が、不安そうに揺らいでいる。
  獄寺は眉間の皺を一瞬、深くした。それから大きく息をついて口を開く。
「──無理です。すんません、十代目」
  掠れた声でそう返すと獄寺は、おもむろに席を立った。
「申し訳ないっす。この後、別の用事があるので失礼します」
  淡々とした獄寺の言葉は、容赦なく綱吉の胸に突き刺さってくる。
  どうして獄寺は、頑なに自分を拒むのだろう。どうして、戻ってくると一言、口にすることができないのだろう。こんなにも自分は獄寺を欲しているというのに、獄寺のほうはいったい何を気にしているというのだろうか。
  頭の中でいろいろと考えているうちに、咄嗟に言葉が出てきた。まだ。ちゃんと考えきれていない。何も整理できていない状態だというのに、言葉のほうが先にポロリと零れ出してしまったような感じだ。
「獄寺君!」
  制止するつもりだった。
  自分も素早く席を立つと、獄寺の後を追いかけようとしていた。実際、足は勝手に動き出し、獄寺のすぐ背後まで近付いていた。手を差し伸べ、スーツに包まれたあの華奢で骨ばった体を抱きしめようとしていたほどだ。
「……いつでもいい。獄寺君の気がすんだらでいいから、オレのところへ戻ってきて欲しいんだ」
  そう言って綱吉は、獄寺の肘に軽く指先で触れた。
「待ってるから」
  今はそれだけでいいと、何故だか綱吉は思った。
  ここでごちゃごちゃと言って獄寺を引き留めたとしても、彼はこれまでと同じように綱吉を拒むだけだろう。たとえ強引に捕まえたとしても、手の中からすぐらするりとすり抜けていってしまうに違いない。ちょっとやそっとのことで自らの考えを曲げないだけの頑固さは、いまだ健在のはずだろうから。
  綱吉の言葉に獄寺は、ふと動きを止めた。
  ドアのノブを握り、回そうとしていた手が止まったかと思うと、こちらへ向き直る。
「ありがとうございます、十代目」
  どことなく強張った表情ではあったが、獄寺はそう言って深々と頭を下げた。
  綱吉のそばから離れることに未練がないわけではないようだ。だが、シャマルのそばに居続けることに対しても少なからず罪悪感のようなものも感じている。かと言って、早々に綱吉のそばに戻ってくるということもなさそうだ。そんな雰囲気が、今の獄寺からは感じ取ることができた。
  微かな笑みを浮かべると綱吉は、獄寺から半歩ほど離れる。
「行っておいで、隼人」
  そんなふうに声をかけるつもりはこれっぽっちもなかったのだが、何故だかすらすらと言葉が出てきた。
  自分でも驚きながら獄寺を見ると、彼も驚いたように目を見開き……それから、いつものような満面の笑みをこちらへと向けてきた。
「はい、十代目!」
  そう言って獄寺が大きく頷いた瞬間、自分たちがまだ一緒に暮らしていて、親密だった頃のような甘い気持ちが綱吉の旨の奥底からこみあげてくる。
  やはり自分たちはまだ、心の底で互いのことを想い合っているはずだ。今は離れていようとも、気持ちは心の深いところでは通じ合っているはずだ。
  こっそりと獄寺の瞳を覗き込みむと、綱吉の視線に気付いた彼ははにかんだようにこちらを見つめ返してきた。



(2016.4.4)


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