無数に残る傷跡はもちろん獄寺の背中にも広がっている。
ひとつひとつを数えていけば、いつも獄寺は逃げ出してしまう。いくら恋人といえども、背中に触れられるのも、裸の体をじっくりと検分されるのも、彼にしてみれば恥ずかしくて耐えられないらしい。
だからどうというわけではなかったが、戦いの後には決まって、恋人の体の隅々を確かめてしまう。指と唇と舌と目で、些細な傷跡ひとつ見逃さないように、煌々とした室内灯の下で、綱吉は獄寺を抱く。
すすり泣く顔をなるべく見ないように、白く華奢な背中をじっと見据えて、気がすむまで何度でも抱いてやる。
傷だらけだが、きれいな背中だと綱吉は思う。
自分を守るために傷つき、戦う、愛しい背中だ。
この背中が好きだと、綱吉は思う。
大切にしたいとも。
唇を押し当て、傷跡の上からそっと朱色の刻印を刻んでやる。ひとつひとつの傷を癒してやることはできないが、こうして触れることで綱吉は、獄寺の新しい傷を記憶に刻もうとする。
獄寺は文句を言うでもなく、時折、ピクリと肩を動かすものの、綱吉の愛撫を受け入れる。
自分に対するこういった受動的な態度が、綱吉は気に入らない。
気に入らないから、わざと傷付けてしまう。
まるで子どものようだと、自己嫌悪に陥りながら綱吉は獄寺の体を揺さぶった。
か細い啜り泣きが耳に聞こえてくる。
背後から散々突き上げて、ぐちゃぐちゃにしたくなる。
叩きつけるように腰を揺さぶり、本格的に獄寺を泣かしてしまったのはそれからすぐのことだった。
ドライブに誘われ、息抜きに表へ出た。
仕事以外で獄寺と出かける機会は、実のところあまりない。
お互いに忙しい身だ。綱吉が暇な時には獄寺が忙しく、獄寺の手が空いている時には綱吉が忙しい。そのためここ何年かは特に、二人でプライベートを満喫する時間は限られていた。
今日は特別だと、ドライブに出かける前に獄寺が言ったが、何が特別なのか綱吉にはわからなかった。
わからないままに獄寺の運転する車に乗って、早朝のドライブを楽しんだ。
途中、目に付いたコンビニでサンドイッチとおにぎり、それにプルトップの炭酸飲料とお茶を買った。コーヒーだけは、獄寺が水筒に用意していた。
「どこに行くの?」
目の前の景色をのんびりと眺めながら、綱吉が尋ねる。
「さあ。どこに行きましょうか」
返す獄寺の声は、どこか楽しそうだ。
「別に……獄寺君が楽しければ、俺はどこでもいいよ」
そう言って綱吉は、ふい、と顔を背けた。
口にしたものの、ふと自分の言ったことに気付いて恥ずかしくなったのだ。
窓から見える景色は、少しずつ高台のほうへと向かっているのか、次第に山道へと入っていく。
「ねえ、本当にどこに行くつもりなんだよ」
窓の外に視線を集中させながら、綱吉がポツリと尋ねる。
それすらも獄寺は、楽しんでいるように見える。綱吉が不安に思っていることを楽しんでいるのか、それとも何か別のことを楽しんでいるのか、綱吉にはわからない。
しかしそれが自分に危険を及ぼすようなたぐいのものではないことは、はっきりとわかる。
獄寺の態度にヤキモキしながら綱吉は、窓の外を夢中で眺めるフリを続けた。
カーブ続きの山道を越えると、峠の頂上に出る。
少し肌寒い空気は町中のものより澄んでおり、爽やかな味がしている。
「こんなところがあったんだね」
そう遠くはないが、普段は別の道を利用しているからだろうか、綱吉がここに来るのはもしかしたら初めてかもしれない。
「この間、見つけたんです。あまり車の通りもないみたいですし……ああ、でも、夜間は走りたい連中が集まってきてるみたいですけど」
獄寺の言葉に、綱吉はふぅん、と、頷いた。
二人で並んで見る景色は、いつもと違う町並だった。ずいぶんと遠くまで見渡すことができる。
「……気分転換に、なりましたか?」
不意に尋ねられ、綱吉は反射的に顔を上げた。
「え?」
整った獄寺の顔を覗き込むと、驚くほど真っ直ぐに見つめ返された。
「十代目、このところ思い詰めたようなお顔ばかりされてましたが、何かありましたか?」
獄寺の唇が目の前で動いている。ぽってりとした下唇に、かぶりつきたいと綱吉は思った。
「……ええっ?」
そんなふうに見えていたのだろうか。自分はいったい、どんな表情をしていたのだろうかと綱吉は、獄寺の整った輪郭をまじまじと見つめ返した。
「あの……」
そんなことはないと、返そうとした。
そうではない。獄寺の体に残された傷跡が気になっていただけなのだ。ただ、それだけのことなのだ。
「無理はなさらないでください。何でも俺に言ってください、十代目」
淡い翡翠色の瞳が、じっと綱吉を見つめていた。
コンビニで買ってきたサンドイッチとおにぎりをボンネットの上に広げ、軽いブランチにした。
「出来合いとは言え、やっぱりおいしいね、こうして表で食べると」
おにぎりにかじりつきながら、綱吉が言う。
「そうですね」
返す獄寺は、サンドイッチを頬張っている。
「あ、このシーチキンのおいしいよ」
次のおにぎりを食べかけた綱吉が言うと、獄寺は少し困ったように目を向けた。
「いえ、あの俺、サンドイッチのほうが……」
そう言って言い淀む獄寺の口に、綱吉はおにぎりを押し込んだ。
「大丈夫だよ。獄寺君のは食わず嫌いだから」
母の手料理をおいしいと言って食べる獄寺を、綱吉は知っている。好き嫌いなくなんでも食べる獄寺を見ているから、出来合いの料理が苦手なのがよくわからない。もちろん、出来合いはそれなりの味でしかない。母の作る料理に比べると味気なく、どこか素っ気ない味がしている。
「ご飯にシーチキン……」
うう、と呻き声をあげながら獄寺が呟いた。
もしかして本当に苦手だったのだろうか。慌てて綱吉が獄寺の顔を覗き込むと、口元に米粒がついていた。
「お弁当、ついてるよ」
手を伸ばすと綱吉は、そっと獄寺の口元に触れた。指先についた米粒を、パクリと自分の口に入れる。
「あ、わ、じ、十代目!」
綱吉の行動を目にしてあわてふためく獄寺はしばらくの間、顔色を赤くしたり青くしたりしていた。
人の気配がどこにもなく、車が通ることも滅多にない場所だからだろうか、綱吉に警戒心はまったくなかった。
もちろん、守護者である獄寺が一緒だという安心感があったのも一因かもしれない。
綱吉はゆっくりと獄寺の顎に指を這わすと、唇を寄せていった。
唇と唇を合わせ、何度も角度をかえてついばんだ。獄寺の唇がうっすらと開いてくる頃合いを見計らって、舌を差し込む。
獄寺が食べたシーチキンのおにぎりの味がしている。
「ん、ん……」
唇をはなすと、獄寺は首まで真っ赤にして俯いていた。
「シーチキンの味がした」
そう言って綱吉は、笑った。
「おにぎり、嫌いだった?」
尋ねると、獄寺は困ったように視線を足下へと向ける。
「いえ。食べた時はそうでもなかったですが……今は、好きです」
獄寺はちらりと綱吉を見た。獄寺の白い指は、米粒がついていたあたりを今は何度もなぞっている。まるで綱吉を誘っているように見えないでもない。
「今は、好き?」
なおもしつこく綱吉が尋ねると、獄寺は微かに頷いた。
「──はい」
綱吉はもういちど、獄寺にキスをした。
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