映画を見に行こうと獄寺に誘われたのは、水曜日の夕方のこと。
何も考えずにいいよとOKをしたら、木曜日の朝っぱらから学校をサボって映画館に連れて行かれてしまった。
自分はいつも獄寺に振り回されているなと思いながらも、綱吉はこの状況を楽しんでもいる。
強引で、強気で、マイペース。ボンゴレ十代目一筋の獄寺のことが気になりだしたのは、少し前のことだ。
成績だってスポーツだって余裕でこなせる獄寺が、無我夢中で綱吉を慕ってくる。何もかもダメダメな自分のことが好きなのだと言われても、なかなか実感がわいてこない。獄寺は、本当に自分のことが好きなのだろうか? 本当に、沢田綱吉という個人を好いていてくれるのだろうかと、疑心暗鬼になってしまうことが少なくはない。
獄寺のことは、嫌いではない。友達で、大切な仲間で、少しどころかかなり気になる存在だ。
いわゆる好き…という感情なのだろうと、綱吉は思っている。
だからこうして映画に誘われたらホイホイとついて行ってしまう。
だから、スカスカの映画館の薄暗がりの中で、二人きりで隣り合って座っていると、ドキドキしてしまう。
肘掛けに置いた二人の肘が、微かに触れている。
繋がった部分から心臓の鼓動が獄寺に伝わってしまうのではないかと、綱吉は気になって仕方がない。
「なかなか面白いですね」
こそこそと耳打ちをしてくる獄寺に、綱吉はわずかに体を反らした。至近距離で声をかけられ、頬がカッと熱くなる。
映画の内容よりも、触れあった獄寺の肘が気になった。
アクション映画だからだろうか、うるさいほどの音が館内に響いている。
ふと気付くと獄寺が、綱吉の顔を覗き込んできていた。
「面白くないですか?」
暗がりで相手の表情など見えるはずもないのに、何故だか綱吉はドキドキしてしまう。
「えっ……」
スクリーンでは、派手なカーチェイスが続いている。三流映画の割にアクションシーンはなかなか面白い映画だ。もしかしたら今日はたまたま、観客が少ないだけかもしれないと、ぼんやりと綱吉は思う。
「十代目、さっきから画面見てないっスよ?」
耳打ちしてくる獄寺の体から、コロンのにおいがふわりと漂ってきた。柑橘系の爽やかなにおいに、綱吉の胸の鼓動がいっそう大きく鳴り響きだす。
「そ、そんなことな…い……」
言いかけたところで、ぐい、と獄寺の顔が近づいたのが薄暗がりの中で感じられた。近いと思った瞬間、何か柔らかなものが唇に触れて、離れていった。
「ぁ……?」
慌てて綱吉は、自分の指で唇に触れてみた。
何かが今、確かに触れたような気がした。
暗かったからもしかしたら勘違いなのかもしれないが、獄寺の唇が、自分の唇に触れたような気が、する。
「獄…寺く、ん?」
見ると、獄寺も自分と同じように手のひらで唇を覆っている。
「あの……」
こんな時、何を言えばいいのだろうか。
少し考えたものの、何も言葉が浮かんでこなかった。
綱吉は、そのまま黙って正面のスクリーンに目を向けた。
そのまま映画が終わるまで、二人はじっとスクリーンを見つめていた。
映画が終わると、席に座っていた人たちが一人、また一人と表へ出ていく。
照明のついた劇場内で綱吉は荷物を手に、獄寺をちらりと見た。
「出よっか、獄寺君?」
綱吉が声をかけると獄寺は、どことなく素っ気なく頷いた。
二人とも、気もそぞろな足取りで、獄寺の部屋へと向かった。
こんな時間から学校をサボっていることが母に知られたら、何を言われるかわかったものではない。
獄寺の部屋は綱吉の家からそう遠くはないワンルームマンションにある。
カタログの中から抜け出したような部屋だと、綱吉は思う。素っ気ない部屋だが、ベッドの上には衣類や気に入りのアクセサリー、雑誌などが転がっており、どことなくホッとできる空間になっていた。
「狭い部屋でスンマセン」
獄寺が言うのに、綱吉は小さく笑った。
「何言ってんのさ、獄寺君。俺の部屋のほうが汚いって」
自慢できることではないが、綱吉はそう言って誤魔化し笑いをする。
「映画、面白かったね」
マンションの近くの自動販売機で買ってきたプルトップのお茶を獄寺から受け取りながら、綱吉は言った。
本当は映画の内容なんて、頭の中にはほとんど残っていない。銀行強盗をした主人公が刑事に追われてカーチェイスをしているところだけで、後はすっかり飛んでしまっている。
「ああ……そうですね、面白かったですね」
歯切れの悪い言葉を獄寺も返す。
彼ももしかしたら、映画の内容など覚えていないのかもしれないと、綱吉は思った。
暗がりの中で、確かに唇が触れたと思った。
たぶん、間違いではない。
獄寺の部屋で缶のお茶を飲んで、他愛のないお喋りをして、そのまま家へと帰ってきた。 いつの間にか時間は夕方になっていた。
いったい自分は、何をしていたのだろうか。
映画を見て、獄寺とポツリポツリと言葉を交わして。
昨日の時点ではあんなにも映画に行くことを楽しみにしていたというのに。映画館ではこれ以上はないというほどドキドキしてしまった。それなのに、肝心の言葉が伝えられなかったようなモヤモヤとした感じだけが残っている。
消化不良になりそうだと、綱吉は思った。
触れあった唇の感触を思い出すと、それだけで頬が熱くなってくる。
リボーンあたりに見られでもしたら、何を言われることかわかったものではない。頬の火照りを冷まそうと手団扇でパタパタと顔を扇ぐ。
夕飯を食べ終わると早々に部屋に戻った。
登校すらしていないから、宿題などやりようがない。ベッドに突っ伏してゴロゴロとした。
映画館でどうして獄寺と唇が触れたのだろうか。
そんなこと、滅多にあるものではないだろう。
それとも、あれは故意にだったのだろうか?
獄寺に尋ねるのは躊躇われた。あれは偶然だったのだと言われるのが恐くて綱吉は、獄寺に訊くこともできないのだ。
ベッドの上でああでもない、こうでもないと考えていると、山本から電話がかかってきた。
今日、学校で出た宿題の連絡だった。
今から行くからと言われ、綱吉は了承するしかなかった。
しばらくしてインターホンが鳴った。
「今晩は、お邪魔します!」
あっけらかんとした声が階下でしたかと思うと、トントンと階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
「よ、ツナ」
ドアを開けて入ってきた山本が、軽く手をあげて声をかける。その後ろに、肩をいからせた獄寺が立っていた。
「いらっしゃい山本、獄寺君」
声をかけ、綱吉は二人を部屋に招き入れた。
「ツナも獄寺も二人して学校サボるんだもんな」
へへへ、と笑って山本は座布団を引き寄せるとその上に胡座をかく。
「いや、俺も、まさか朝から行くとは思ってなかったんだけどさ」
言い訳がましく綱吉は言う。頬が熱いのは、気のせいだろうか?
ちらりと獄寺のほうへと視線を向けると、彼はどこか困ったような表情をして俯いていた。
「まあ、とりあえず片付けちまおーぜ」
底抜けに明るい山本の声にどこか救われたような気がして、綱吉は大きく頷いた。
「そうだね。獄寺君もほら、早くこっちに座って」
そう言って綱吉が座布団をポンポン、と叩いてみせる。いつもなら綱吉に声をかけられるまでもなくさっさと腰をおろしてしまうのに、何を遠慮しているのだろうか。
「あ……はい」
いつもより控えめな様子の獄寺は、ミニテーブルを挟んで綱吉の向かいに腰をおろすと、持ってきたノートや筆記用具を取り出した。普段とは違うノロノロとした獄寺の動作に、山本は怪訝そうな顔をしている。
どことなく気まずい雰囲気のまま、三人は宿題を片付けはじめた。
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