また眉間に皺を寄せている。そう思って綱吉は、そっと教室の後方へと視線を向ける。
ちらりと見遣った後ろの席で、獄寺は不機嫌そうな顔をして座っている。
いつもなら視線が合うと満面の笑みを浮かべる獄寺だったが、今日はいつもと様子が違った。 目を合わそうともせず、わざとらしく綱吉から顔を背けて席についている。
喧嘩をしているのだから、当然と言えば当然だ。
しばらく獄寺の様子をうかがっていたが、いつまでたってもこちらを向いてくれないことに焦れて、綱吉は溜息をついた。
なにがあっても絶対にご機嫌取りなんてするものか。そう思って、前を向く。
綱吉がよそ見をしていたことに気付いている教師が、今は授業中なのだぞという眼差しでギロリと睨み付けてくる。
綱吉は慌てて、教科書の頁を開けた。
原因は、些細なことだった。
つまらないことで口喧嘩をしたら、お互いに引っ込みがつかなくなってしまったのだ。
苦笑しながらも綱吉が折れるか、忠犬よろしく獄寺が折れるかで、いつもなら片のつく話だった。
しかしこの時はたまたま二人とも、虫の居所が悪かったのだろう。罵詈雑言の応酬の後、お互い引くに引けなくなり、今に至る。
月曜の夕方からだから、今日で三日、獄寺とは口をきいていない。
休憩時間のたびにやってきてはうるさくする獄寺がいないことが、綱吉にとってどこか新鮮に感じられた。獄寺がいなくても、山本や笹川兄妹が綱吉の周囲にはいた。賑やかさは半減するものの、いつもとさしてかわらない日常が、綱吉の前にはあった。
それに引き替え、と、綱吉は思う。
獄寺は四六時中、不機嫌そうな表情をしている。何をするにも一人で行動し、誰とも言葉を交わそうとしない。ごくたまに山本が声をかけにいっているが、眉間に皺を寄せたまま、たいして喋っていないようだ。
「お前ら、まだ、喧嘩してんの?」
弁当を食べながら、山本が尋ねる。
「あ……う、うん……」
どう返したらいいだろうと思いながら、綱吉は渋々口を開く。
喧嘩の原因があまりにもくだらなさすぎて、後ろめたい気持ちになってしまう。
「いい加減に仲直りしろよな」
そう言うと山本は、ドン、と綱吉の背中を叩いた。
「いっ……」
「お前と獄寺が一緒にいないとさ、なんかこっちの調子まで狂っちまうんだよな」
悪気のない笑みを浮かべて山本が言うのに、綱吉ははっとした。
自分だけではなかったのだと思うと同時に、頑なに一人でいる獄寺はどうしているだろうかと、急に気になりだす。
綱吉がちらりと獄寺のほうへ視線を走らせると、あからさまに視線を逸らされた。
「今日の放課後には、ぜってー獄寺と仲直りしろよな、ツナ」
山本は、綱吉の肩をポン、と叩いた。
「……うん」
山本の手前だからと頷いたものの、まるで仲直りできる気がしない。
綱吉はこっそりと、溜息をついた。
月曜日の放課後のことだ。
綱吉は、獄寺と二人で学校を後にした。
山本は野球部の練習でいなかった。
二人でのんびりと歩きながら帰る道すがら、綱吉の家で一緒に宿題をしようという話になった。
その時点ではまだ、喧嘩はしていなかった。
綱吉の部屋でジュースとお菓子を広げ、気が進まないなりに宿題をテーブルに広げた時も、まだ二人してくだらないことを話していた。
なんでこんなことになってしまったのだろうかと、綱吉は思う。
広げたノートに問題をもたもたと書き写し、考える。綱吉が問題を書き写している間に、獄寺はすらすらと問題を解いていく。問題を書き写している間に答えを出しているのだと言われると、それだけで獄寺のことを尊敬してしまう。
一見すると不良に見えないでもない外見の上、普段は暑苦しいぐらいに自分にべったりとへばりついて、一緒になって馬鹿なことをしている獄寺だが、実はこんなにも頭がいいのだ。やっぱりすごいなと、索漠と思ってしまう。空になった綱吉のコップを見て「ジュースをお注ぎしましょうか」だとか、「こっちのスナック菓子もあけましょうか」と甲斐甲斐しく世話を焼いてこられると、なんだか自分がどうしようもないダメな人間になってしまったような気がして──事実、自分はダメツナなのだが──、大きな溜息が出てしまった。 そのあたりからやけに居心地が悪くなってきて、獄寺に対してよそよそしい態度をとってしまった。
自分の家の、自分の部屋だというのに、くつろぐこともできない。気持ちがささくれ立って、しだいに何を尋ねられても適当な言葉しか返すことができなくなってくる。
シャープペンの頭に噛みついて、じっとノートを睨み付けた。
問題の意味がわからない。
苛々する。
手際よく問題を解いていく獄寺に、嫉妬してしまいそうだ──
なんとか問題を解き進め、わからないところは獄寺に教えてもらいながら宿題を終わらせることができた。
ぬるくなったジュースを飲み干して、綱吉はほうっと溜息をついた。
「やっと終わったぁ」
うーん、とのびをして、そのまま背後の床へと倒れ込む。
「あー、しんどかった」
綱吉の言葉に、獄寺は小さく笑っている。
「お疲れさまでした、十代目。でも、全部終わりましたね」
自分のことのように嬉しそうに、獄寺が言う。
「うん。終わってよかったよ」
獄寺がいない日は、宿題を終わらせるのにもっと時間がかかる。まがりなりにも家庭教師であるリボーンは気紛れにしか宿題を教えてくれない。日によって教え方が違い、何も教えてくれない時は自分でこなすしかなかった。そうでなければスパルタ式に教えてくるので、正直なところ、綱吉は獄寺に教えてもらうほうが気が楽だった。
こんなふうに友達づきあいをする相手がいるというのは、いいものだと綱吉は思う。
これまで、特定の親しい友人がいなかったからだろうか、獄寺や山本、京子やハルと一緒にいると、楽しくて仕方がない。
今だって、そうだ。
さっきは少しばかり苛々してしまったが、それでも、こうして二人で他愛のないことを話していると、楽しいし、この時間がもっと続けばいいのにと思ってしまう。
楽しいのは、悪いことではない。
もっと彼らと一緒にいたいし、もっと彼らのことを知りたいと思う。
「俺、今すっごい幸せ」
小さく呟いて、綱吉は笑った。
綱吉の声が聞こえなかったのか、獄寺は不思議そうにそんな綱吉を見つめていた。
沢田家でちゃっかり夕飯を一緒に食べる獄寺を、綱吉は好ましく思っていた。
なんだかんだと言いながら獄寺は、ランボとは仲がいい。同レベルで喧嘩をしているところは少々大人げないようにも思われたが、それでも、チビたちをうまい具合にあしらっている。口は悪いが面倒見もよく、文句を言いながらもまめに遊んでくれたりもする。
こんなに要領のいい人間が、ダメツナと呼ばれる自分の右腕になるのだと常から豪語していることが、不思議でならない。
自分に、その資格はあるのだろうかと時折、考えこむこともある。
今はまだ、獄寺のその真っ直ぐな気持ちに言いくるめられるようにしてその場の雰囲気に流されているが、それではいけないと最近、綱吉は感じるようになってきた。
自分で考えて、決めていかなければならない。
そう思うと、一歩を踏み出すことがこわくてたまらない。
マフィアになんてなりたくない。誰かが怪我をするところも、できることなら見たくない。今のこのままで、時間が止まってしまえばいいのに。
楽しいことだけ、嬉しいことだけ、皆がいて騒ぎ合って、仲良くしているこの時間だけがあれば、それで構わない。
綱吉がそんな気持ちでいることをリボーンが知ったら、おそらくあまりいい顔はしないだろう。
母の料理に舌鼓を打ちながら、綱吉はこっそりと獄寺を盗み見る。
この不安な気持ちは、いったいどこからやってくるのだろう。
自分はいったい、何を不安に思っているのだろう。
獄寺が、楽しそうに笑っている。
つられて自分も笑いだしてしまった。
笑顔の下で不安な気持ちが、ぐん、と一回り、大きくなった。
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