もうこれ以上は食べられないというほどしっかりと夕食を平らげた。
獄寺は、まだくつろいでいる。いや、そうではない。どことなくそわそわしているところを見ると、いとまを告げるタイミングを見計らっているようだ。
「獄寺君、用事でもあるの?」
尋ねると、どことなく決まり悪そうに獄寺が頷く。
「じゃあ俺、コンビニに行きたいから、途中まで一緒に行こうか」
そう言って綱吉は、獄寺を家から連れ出した。
家の中の賑やかさとはうってかわって、表は静かだった。車道を行き交う車の走行音と、ときおり聞こえてくるクラクションの音。どこかの家から微かに聞こえるテレビの音。静かなのか、賑やかなのか、わからなくなりそうだ。
「宿題、教えてくれてありがとう」
そう言って綱吉が笑うと、獄寺は嬉しそうにニカッと笑う。
「いえいえ、そんなことお安いご用です。いつでもおっしゃってください、十代目」
オーバーアクションで獄寺が告げるのに、綱吉は苦笑する。
自分は果たして、獄寺が心酔するほどの価値のある人間なのだろうか。そもそも綱吉が十代目候補でなければ、獄寺はこんなふうに心を開くこともなかったのではないだろうか。そう考えると、何となく今の状況に違和感を感じてしまう。
「また、教えてくれるかな?」
次の約束を今、取り付けておこう。
今日のような時間を過ごしたいから、今の内に獄寺にねだっておこう。いつか、本当の綱吉に気が付いた獄寺に愛想を尽かされないよう、先に約束をしておくのだ。
「もちろんです、十代目」
嬉しそうに微笑む獄寺の目元がどことなく潤んでいるように見えるのは、街灯のせいだろうか。
「あ、コンビニだ」
何となく照れを感じた綱吉は、慌てて顔を背けた。
綱吉がコンビニのドアをくぐると、獄寺も後をついてきた。
「時間、大丈夫?」
尋ねると獄寺は、大丈夫ですと返した。
急いでスナック菓子とジュース、それからランボのための駄菓子をひとつ選んで、購入する。 獄寺は、そんな綱吉を待っている。
「獄寺君、時間、本当に大丈夫なの? 急ぐなら俺のこと待ってなくてもよかったのに」
綱吉がコンビニを出る。後をついてくる獄寺は、そんなこと、十代目がお気になさらないでくださいとか何とか言いながら、腕をブンブンと振り回している。
一生懸命に喋る獄寺は賑やかだ。コンビニの駐車場を横切って獄寺の家のほうへと足を向けたところで、暗がりの中から車が飛び出してきた。
「うわっ」
「十代目!」
ぶつかる──そう思った瞬間、ぐい、と腕を後ろに引かれた。足がもつれてよろけたところを、力強い腕に抱き留められる。
甲高いブレーキの音を残して、車は駐車場を横切って、車道へと戻っていった。
「あ……ぶな……」
やるせない気持ちというのは、こういうことを言うのだと、綱吉は思った。同じ男同士なのに、体格で劣る自分がこうして抱き留められるのは、何となくいい気がしない。自分だって男なのだ。こんなふうに守ってもらうのは、気に入らない。
「お怪我、ありませんでしたか?」
くぐもった獄寺の声に、何故は綱吉はドキンと心臓を高鳴らせる。
「う、ん……大丈夫だよ。ありがとう、獄寺君」
そう言って綱吉は、獄寺からするりと体を離した。
「まったくなんて奴だ、あの野郎。いっそ、俺のボムで吹っ飛ばしてやりゃあよかったかもしんねえ……」 ブツブツと物騒なことを獄寺は呟いている。
「あの、獄寺君、もういいよ。俺も獄寺君もこうして無事だったんだからさ」
綱吉の言葉に、獄寺はまだ何か言いたげな様子をしている。
こうして自分のことを想い慕ってくれるのは、嬉しく思う。しかしそれが逆に、綱吉を苛立たせることもあるということに、獄寺は気付いているだろうか。
「ねえ、獄寺君」
立ち止まり、綱吉は呟く。
「なんですか、十代目?」
同じように綱吉に合わせて立ち止まると、獄寺は怪訝そうな表情をする。
「俺、自分のことぐらい自分でできるからさ。そんなに心配してもらわなくてもいいよ」
朝、家まで迎えにきてもらったり。宿題を見てもらったり、授業のノートを写させてもらったり。そういったことをしてもらうのが、当たり前のようになってきている。それではいけないと思いながらも、流される自分がいる。
このままでは、いけない。
ずっと獄寺に頼りっぱなしの自分では、いつか自分が、本当にダメになってしまう。
綱吉が望んでいるのは、友達づきあいのできる相手だ。マフィアの右腕以上に、今の綱吉が必要としているものだということに、獄寺は気付いているだろうか。
街灯の下で、自分よりも背の高い獄寺の目を覗き込む。
暗がりの中でエメラルドの瞳が、濃い緑色となって陰鬱に綱吉を見つめ返している。
「それは……」
恐る恐る、獄寺は口を開いた。
「それは、俺が十代目の右腕失格ということですか」
そうではないと、言いたかった。
綱吉はぐっと唇を引き結んで、獄寺を見上げる。
「それ以前に俺たちって、友達だよね?」
そう尋ねた綱吉の顔は、心なしか引きつっているように見えないでもない。
今、ここで、はっきりしておきたいと綱吉は思っていた。
たとえ獄寺を傷付けることになったとしても、綱吉は、自分の気持ちを告げたいと思った。
向かい合って立ち尽くすと、獄寺のほうが視線が高くなるのは仕方のないことだ。
それでも、綱吉はそんな獄寺に負けないようにと背筋をピンと伸ばして向き合った。
「俺は獄寺君のこと、友達として大切に思っているけれど……獄寺君は、どうなの?」
友達ではない。
本当は、友達以上の感情が、綱吉の中では渦巻いている。しかしそれを口にしてしまったら、今の二人の関係は崩れ去ってしまうかもしれない。そう思うと、なかなか一歩を踏み出すことができない。
「俺、は……」
突然のことに、困ったように獄寺は口をパクパクとさせている。
金魚みたいで可愛いなと、綱吉はこっそり思う。
今はまだ、友達でいい。綱吉が友達以上の感情を獄寺に対して持っていることがわかってしまったら、彼は何と思うだろう。十代目第一の彼のことだから、綱吉の感情を優先するだろうか? それとも、男の自分が同じ男である彼に友情以上の気持ちを抱いていることに対して、嫌悪感を示すだろうか。
「十代目の右腕として……」
今はまだ、本当のことは知らなくてもいい。
だから…──
パシン、と音があがった。
夜道に響いたのは、平手打ちの音だ。
「俺の言ったこと、わかってる?」
自分の気持ちを隠したまま綱吉は、獄寺の気持ちを手に入れたがっている。もどかしいのはそのためだ。
狡くて、幼い子どものようでいて、その実、子ども以上に質が悪い。
呆然としたまま獄寺は、はたかれ頬に手をやった。
「十代目……」
声が、掠れている。泣きそうな表情の獄寺を見ていると、綱吉の胸の奥がチリチリと痛んだ。泣きたいのは、こちらのほうだ。
「俺の言葉を正しく理解してくれるまで、獄寺君とは喋らないから」
八つ当たりのような言葉を残して、綱吉はくるりと踵を返した。
手のひらが熱いのは、獄寺の頬を叩いたからだ。
鼻の奥がツンと痛いのは、今にも泣き出しそうな獄寺の表情を間近で見てしまったからだ。
一、二歩よろよろと歩いたところで、綱吉は全力で駆けだしていた。
家へ、帰ろう。
たった今、吐き出してしまいそうになった自分の気持ちは胸の奥にしまい込んで、明日からはいつもの自分に戻って獄寺と言葉を交わせばいい。
そうして、この秘めた想いには、鍵をかけておこう。
この気持ちが獄寺に知られることのないように、決して表に出てくることのないように、鍵をかけて、閉じこめてしまおう。
これは、頑として右腕になりたいとしか口にしない獄寺への、たったひとつの意地悪だ。
家の灯りが見えてきた。なんとなく霞んで見えるのは、どうしてだろう。
玄関のドアを乱暴に開けると、綱吉は二階の自分の部屋に駆け込んだ。
バタバタと音を立てながら明日の用意をすませてしまうと、そのまま服も着替えずベッドに潜り込んだ。
灯りの消えた部屋の中で、綱吉はこっそりと唇を噛み締めた。
胸が痛いのは、獄寺のせいだ。
綱吉の気持ちにこれっぽっちも気付いてくれない、獄寺のせいだ。
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