『手に入れたいものは 1』



「追い付いちまったな……」
  呟きと同時に、溜息が零れる。
  部屋の灯りは少し前に全部消してしまった。
  真っ暗な中、窓から入ってくる月明かりだけを頼りに、サンジは麦酒をちびりちびりと飲んでいる。
  二十歳なんてまだ先のことだと思っていた。ずっとずっと先、自分には関係のない、気の遠くなるほど未来の話だと思っていた。
  実際にその日がやってきても、何の感慨もなかった。
  ただ、誕生日がきたのだと、索漠と思っただけだ。
  その頃にはもう、だいぶんオカマたちとの生活にも慣れてきた頃で、当然のことながら彼ら/彼女らに誕生日を祝ってもらうつもりもなく、ただいつもと同じように一日を過ごすだけだと思っていた。
  だからその日、サンジは早々に自分の部屋に引き上げると入り口にはしっかりと鍵をかけ、一人の時間を楽しむことにした。
  麦酒と、ツマミと、それから煙草だ。
  静まり返った部屋の中に響く物音は、サンジ自身が立てる音だけしかなかった。静かで、どこかしら張り詰めた空気が心地よい。
  こんな夜は眠るのがもったいなく感じられる。
  ただぼんやりと何も考えずに煙草を燻らせ、ビールを飲む。時折、窓の外で夜告げ鳥が優しい声でさえずっているのが聞こえてくる。連れ合いをさがしているのだろうか、穏やかで美しいその声に、サンジはそっと目を瞑って耳を澄ませる。
  今、ここにエースがいてくれたならと思わずにはいられない。
  こんなにも肌が寂しがっているというのに、抱きしめる腕がないのが残念でならない。
「……エース」
  小さく呟くと、それに呼応するかのようにして窓の外で夜告げ鳥が静かなメロディを奏でる。
  腹の底がじわりと熱を孕みだす。
  サンジは、手に持っていた煙草を灰皿の底に押しつけにじり消した。



  指で下唇に触れる。
  エースがよくしていたように、そのまま唇から顎を辿り、喉、胸元と指を滑り下ろした。
  夜着の上から股間に触れると布地越しに熱が感じられる。
「ああ……」
  吐息のような声が洩れた。
  布の上から何度も手を動かして、盛り上がった部分をなぞってみた。
  血液が集まっていく。熱くて、じわりとした快感が次から次へと腹の底からこみあげてきては、その先のさらなる快楽を求めている。
  ペロリと舌で唇を湿らせると、サンジはゆっくりと時間をかけて下着ごと夜着をずらした。
  下着の中ですでに勃ち上がっていた性器が、ふるん、と震える。指の腹で先端をなぞるとニチャニチャと湿った音がした。
「……んっ」
  焦らすように亀頭の部分に触れた。親指の腹で先走りを伸ばしながら、割れ目の部分を何度もなぞった。
  暗がりだから手元ですら見えないというのに、サンジは目を瞑る。
  そうして頭の中ではエースに触れられた時のことを思い出しながら、手を動かす。
  首筋にかかるエースの吐息、汗のにおい、指の熱さ。触れあった肌を通して、鼓動が混ざり合い、耳に響いてくるのが好きだった。心地よかった。
  お互いの生き方を理解した上で、ずっと一緒にこの先の未来へと歩いていけるものだと思っていた。
「エ、……ス……」
  目尻に熱いものがじわりと滲んでくる。
  鼻の奥がツンとするのは、どうしてだろう。
  自分自身の竿を握りしめ、サンジは手を動かした。忙しない動きに合わせて、ニチャニチャと湿った淫猥な音がする。
  自分は、最低な人間だ。
  食いしばった歯の間から微かな呻き声を洩らして、サンジは果てた。



  体を丸めてベッドで眠る。
  男の体温が恋しかった。
  体の芯はまだ、燻っている。自分の手で扱いたぐらいでは、この熱はおさまらない。どうしなければならないのかは、わかっている。わかっているけれどどうしようもないのだ、今は。
  気怠さから逃げ出すようにしてサンジは、ケットを深くかぶった。頭の上まで引き上げて、ぎゅっと目を閉じる。
  今はただ、何も考えずに泥のように眠りたい。
  エースのことからは目を逸らしていたいというのが、正直なところだ。
  ここにいる間は、考えなくてもいいだろうとサンジは思っている。そもそもエースの死を知ったのはニュースでだ。人づてに聞いた話だけを鵜呑みにすることはできない。
  もしも自分がエースの死を認めるとしたら──頭だけでなく理性でも、エースの死を理解するとしたら──、その時はきっと、エースの墓を目の前にした時だろうとサンジは思う。
  でなければ自分は信じないぞと、サンジは思っている。
  もしかしたら自分の頭が堅いのかもしれない。しかし、そうでもしなければ自分の心を保っておくことができないのだ。
  おそらく、エースの死を受け入れてしまったら、自分はどうにかなってしまうだろう。
  もしかしたら心がポキリと折れてしまうかもしれない。きっと、今のように心を強く保つことはできなくなるだろう。だから自分は、まだ、エースの死を完全に受け入れることはできないのだ。
「……会いてぇ」
  呟くと、掠れた声がケットの中で低く響いた。
「会いてぇよ、エース」
  両手で唇を押さえて、サンジは囁き続ける。
  祈るように、願うように。
  今はもう、会うことのない恋人のことを想いながら。



  目を開けると、真夜中だった。
  体が重い。
  眠る時の体の怠さとはまた違った重さだ。
  寝返りを打とうとして、ふと気付いた。サンジを背中から抱き込むようにして眠る者がいることに。
  誰だと思うと同時に、まさかとサンジは思う。
  この感触、この体温の高さ、そして海と太陽のにおい。
「──…エース?」
  自分は、夢を見ているのだろうか?
  それとも……──?
  躊躇いがちに手を伸ばすとサンジは、自分の腹の辺りに回された腕を掴んだ。エースの腕だ。程良く筋肉のついた、逞しい腕の感触。ごつごつとして骨張った手を取り、口元へと持っていく。
  男のてのひらに、唇を押し当てた。
  ペロリと舐めると、汗っぽい、塩気のある味がした。男のにおいが感じられた。
  腹の底がズクリと脈打ち、熱が集まってくる。
  死んだと聞かされていた男が何故、ここにいるのだろうか。今夜、この時に。
「どうして……」
  言いかけたところで、体がビクン、と震えた。首筋に押し当てられた男の唇に、サンジの体が大きく反応したのだ。
「誕生日だって?」
  不意に耳元で、エースの声がした。
  少し舌っ足らずな甘い声に、懐かしさがこみあげてくる。死んだと聞かされていた男の声を自分は耳にしたのだ。ずっとこの声を、聞きたいと思っていた。
「エース……」



  体が震えるのは、嬉しいからだ。
  まるで初体験を迎える乙女のようではないかと、サンジは思う。
  エースの唇が首筋を這い、ゆっくりと耳たぶを甘噛みした。焦らすように男の手が、サンジの夜着のボタンを外していく。時折、肌に触れる男の手のあたたかさに、サンジは懐かしさを感じた。
「一年ぶりだな」
  さらりとエースは呟く。
  中途半端に夜着をずらされたサンジは、背中にエースのキスを受けた。チュ、チュ、と音を立てて唇が背中を這い回る。
「会いたかった」
  深い溜息をつきながらエースが告げる。
  この一年もの間、この男はいったい何をしていたのだろうかとサンジは思う。ニュースでは確か、この男は死んだことになっているはずだ。それがいったい、どうして今、ここにいるのだろうか。
「ちったぁ成長したか?」
  尋ねかける声が、サンジの背中をくすぐる。
  体を捩り、くすぐったいとサンジは言う。すぐさま体をぐい、と反転させられた。エースのほうを向くと同時に夜着を脱がされ、呆気なく裸にされてしまった。
「あ……」
  エースだと、サンジは思った。
  暗がりの中で輪郭しかわからなかったが、確かにこの声、顔の輪郭、肌の熱さはあの男のものだ。
「エース……」
  まさか生きているとは思わなかった。一年もの間、何の音沙汰もなかったのだ。しばらくの間、ニュースではエースと白髭の死が報じられていた。マルコとかいう海賊がやってきて、エースの遺品だと赤いガラス玉をサンジに渡しもした。
  この目でエースの墓を見るまでは彼の死を信じないと言いながらもサンジは、エースという名の男は死んだのだと心のどこかでは思っていた。この世界のどこを捜そうが、彼はもういないのだ、と。
  唇に、唇で触れてみた。あたたかな感触がする。舌でそっと唇の隙間をつついてみると、口の中へと招かれた。深く唇を合わせ、男の舌を吸い上げる。唾液ごとジュル、と音を立てて吸うと、甘い香りがした。
「ん、ふ……」
  やっぱり生きていたのだ、この男は。だったらどうしてもっと早く、会いにきてくれなかったのだと憤りを感じもする。
  唇を合わせ直そうとすると、ぐい、と体をベッドに縫い止められた。
「……追い付かれちまったな、歳」
  耳元で囁かれた言葉にサンジは、ドキリとする。
  顔を上げると、暗がりの中で男の頬骨が月明かりに照らされていた。




(H23.2.28)


             

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