『その時』



  夜の甲板に一人でいると、あれこれと思い悩んでしまうことが多い。
  最近、特にそうだ。
  今までならそんなことはなかったのに。
  甲板は鍛錬をする場所で、一心不乱に身体を鍛えることだけを考えていれさえすればよかった。
  なのに、そうではなくなった。
  甲板の自分の居場所を、横からかっ攫っていったヤツがいる。
  そう思うと、だんだんと苛々が募ってくる。
  ゾロは親指の爪を噛んで、海を見遣った。
  今も、そうだ。目の前には苛々の原因がいて、ことあるごとにゾロに喋りかけてきている。
  この男をどうやって黙らせてやろうかと、あれこれ思案してみるのだが、どうにもいい考えが浮かんでこない。
  どうしたら、いいのだろうか。
  どうすれば、目の前のこの男は黙ってくれるのだろうか。
  カシ、と爪を噛めば、目の前の男はニヤニヤと笑ってまたしても喋りだす。
  お喋りな男は苦手だ。
  いや、苦手というわけではない。
  これがルフィやウソップやチョッパーならきっと、気にも留めないだろう。
  目の前の男がサンジだから、苦手に思うのだ。声を聞いていると、苛々してくるのだ。
  ──それにしても、何故?
「うるさい、眉毛」
  考えが定まらないのは、目の前のこの男がよく喋るからだ。
  一人きりでゆっくり考えることが出来れば、何故、この男の声がこんなにも苛々するのかがわかるだろう。
  ゾロは踵を返すと一人きりになれる場所を探して甲板を立ち去ろうとした。
「あ、おい。待て、クソマリモ」
  そう言ったかと思うと、サンジの手がゾロの肩をぐい、と引く。
「おわっ……!」
  上体を逸らすような格好になったゾロがよろけると、思っていたよりも力強いサンジの腕に腰を掴まれた。
「あ、わりぃ」
  へへへ、と照れたように笑いながらサンジが言う。
  何故、ここでこの男は照れるのだろうかとゾロは思った。
  だいたいにして、妙なのだ。
  これまで、特に親しかったわけでもないサンジが、ここ一週間ほどで急に親しげに喋りかけてくるようになったのだ。それも、どうでもいいような他愛のない話をダラダラとゾロにだけしてくる。朝食の時にルフィがどうだったとか、おやつの時にチョッパーにだけこっそりドーナツを渡しただの、夕飯の献立はゾロの好みだっただろ、だとか。そんな、ゾロにしてみればどうでもいいような話を四六時中つきまとわれて、聞かされるのだ。
  いったいサンジに何があったのだろうかと、ゾロはまたしても親指の爪を囓っていた。



  翌日も、朝からサンジのテンションは高かった。
  どうやらゾロ限定らしい怪しいニヤニヤ笑いと、周囲の目もはばからずどうでもいいようなダラダラ話のオンパレードに、いい加減ゾロの怒りのゲージも臨界点を越えようとしていた。
  朝食の席だから黙っていようかと我慢していたところに、ロビンの言葉が鋭く突き刺さった。
「最近、特に仲がいいのね、お二人さん」
  何を考えているのかわからない笑いを口元に浮かべ、ロビンが言う。
  一瞬、仲間の会話も途切れ、静まりかえった空気の中でゾロは一人気まずい思いをしていた。
  慌てて反論しようとゾロが口を開くか開かないうちに、サンジが言葉を返していた。
「あ、やっぱりわかる? さっすがロビンちゃん」
「あら、ロビン。知らなかったの?」
  サンジの言葉を受けて、ナミが横から口を挟んでくる。
  何を言うのだ、この女は──と、ゾロはギロリとナミを睨む。目の端では、これ幸いと他人の皿にまで手を伸ばしては朝食を腹に詰め込むルフィと、ナミの言葉に怯えるウソップ、チョッパーの二人が早々に男部屋へと退散しようとしている姿が見えた。
  いったい何なんだと、ゾロが席を立とうとしたところで、ナミがもったいぶって告げた。
「付き合ってるのよ、この二人」
  まるで頭を鉄か何かで殴られたような感じがして、ゾロの目の前が真っ暗になった。
  いったいいつからそんなことになっていたのだろうかとゾロは恐る恐る女二人とサンジの姿を順繰りに見つめる。
「いやだなぁ、ナミさん。まだ、手も握ったことないような可愛いお付き合いですよ」
  そう言ってサンジは、くねくねと体をくねらせた。
  いつからだ? いったいいつから、自分とこのエロ眉はそんな関係になっていたのだ?──だいたい、いつ、付き合うといった話が出たのかも、ゾロにはさっぱりわからない。
「見かけによらず純情なのね、コックさん」
  ウフフと笑って、ロビンが言う。
「ええ、まあ、そうなんですよ」
  ポッと頬を染めて言葉を返すサンジを見ているうちに、ゾロの中から苛々が噴き出してくる。
  毎日毎日、つまらない話を散々聞かされた。ずっと我慢していたのだ、自分は。なのに目の前のこいつは、事もあろうか、付き合っているなどと仲間に吹聴して回っていたのだ。
  腰に下げた刀の柄に手をかける。
  切り捨ててやる──ゾロが本気でそう思った瞬間、脳天気なルフィの声が響いた。
「サンジ、おかわり!」



  食事もそこそこに、ゾロは甲板に出た。
  男部屋に戻っても、ウソップとチョッパーがいる。あの様子だと、たった今自分が知ったばかりの会話の内容は、二人ともきっととっくに知っているのだろう。そう思うとゾロは、部屋に戻りたくても戻れなかった。
  頭が痛かった。
  一方的に話を聞かされ続けた代償がこれなのかと思うと、虚しくてたまらなかった。
  甲板のいつもの場所でトレーニングを始めたが、気持ちが集中せず、ついつい先ほどの会話を頭の中で何度も繰り返し再現していた。
  自分とコックが付き合っているのだと、ナミは言った。そしてサンジも、そのことを否定するどころか、恥じらいながらも肯定していたのだ。
  何故、男の自分が同じ男であるサンジと付き合わなければならないのだろうか。いったいいつ、そんな会話を交わしたのかも、ゾロには覚えがない。
  単なるサプライズなのだろうかと考えたものの、それにしては凝りすぎている。
  ここ最近……そう、この一週間ほどのうちに交わした会話を出来る限り思い出そうと試みもしたが、これといって手がかりになりそうな会話を思い出すことはなかった。
  いったい、どうなっているのだろうか?
  鉄アレイを握りしめたままゾロがぼんやりと考えていると、またしてもサンジがやってきた。
  警戒してゾロは、サンジを睨み付けた。
  この男の話を一方的に聞かされていただけで付き合っていることにされてしまっているのなら、今度は一緒にいるだけで孕まされただのなんだのというオソロシイことにもなりかねない。
  警戒しいしい、ゾロは後ろに身を引いた。
「……さっきの話、な」
  くわえた煙草から立ち上る煙が、のんびりと流れていく。
「お前さん、覚えてないみたいだったから話しておくけど」
  と、サンジは真面目な口調で話しだす。
「付き合ってくれと言ったのは確かに俺のほうだけどな、OK出したのはお前だからな。今更、取り消しなんてすんなよ」
  穏やかな笑みを浮かべたまま、サンジは言った。



  ──いつだ? いったいいつだ?
  サンジがずい、と顔を寄せてくる。
  ゾロは焦りながら尻で後ろに後退る。
  鉄アレイを握りしめた手のひらが、汗でじっとりと濡れている。背筋を伝う冷や汗が、不快感を残してタラリと落ちていく。
「これは…──」
  と、サンジは口元にニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「手付けだ」
  硬直して身動きの取れなくなったゾロの頬に指を滑らせ、サンジは低く囁いた。
  咄嗟にゾロは目を閉じた。ギュッ、と両目を閉じ、息を詰めていると、唇に何やら柔らかいものが押し当てられた。
「…んっ……」
  サンジの手が優しくゾロの耳朶をなぞり、身体がぞわりと総毛立つ。
  恐る恐る目を開けると、目の前にはサンジの顔があった。
「ん、ん……」
  心臓がドキドキと早鐘を打ち出す。
  ヤバい、喰われる──そう思った瞬間、サンジの唇が離れていった。
「あの時のことは、そのうち、おいおいな」
  そう言ってサンジは、キッチンに戻っていった。
  ゾロの心臓の鼓動は、しばらくドキドキと鳴り響いていた。





END
(2007.8.13)



その時     見張り台にて     二度恋

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