『見張り台にて』



  その日の夜は、ゾロが見張り台に上がる番だった。
  夕飯を早々に切り上げると、ゾロはお気に入りの鉄アレイを手に、マストを上っていった。
  誰もいない見張り台から海を眺めるのは気持ちがよかった。
  真っ暗なだけの航路を照らすのは、月と、星の明かりばかり。静けさの中で息を詰めていると、世界の呼吸が聞こえてきそうだ。
  しばらくすると、サンジが夜食を持ってマストを上がってくる。
「ほら、差し入れだ」
  ぶっきらぼうにそう言うと、夜食と、それからゾロが喉の奥から手が出るほど欲しがっている酒瓶を一本、手渡す。
  その夜はなんだかゾロは機嫌がよかった。空には雲ひとつなく、かわりに星々が空を埋め尽くしていた。手渡された酒瓶がお気に入りの銘柄のものだったというのも一因となっているかもしれない。
  いつもなら夜食の入ったバスケットを手渡したサンジが下に戻ろうがどうしようが、お構いなしのゾロだったが、その日は少し違っていた。
「お前も、少し飲んでみるか?」
  ゾロは酒瓶を手に、嬉しそうにサンジに声をかけた。
  ちょうどマストを下りようとしていたサンジの動きが一瞬止まり、驚いたようにゾロの顔を覗き込んでくる。暗がりだからお互い相手の表情が見えることはないだろうが、それでも、雰囲気で何となく相手がどう思っているのかが感じ取れてしまう。
  サンジは小さく笑って──ゾロには、そんな風に感じ取れた──、見張り台の中に入ってきた。
「じゃ、お言葉に甘えて、少しだけな」
  珍しいこともあるのだと、その時のゾロはそんな風に思っていた。



  夜食を入れたバスケットの中にサンジは必ずコップを入れてくれていた。ゾロはいつも面倒臭くて瓶から直に酒を飲んでいたが、サンジにそのまま酒瓶を回すわけにもいかないだろう。一人なら使うことのないコップに半分ほど酒をついで、サンジに手渡した。
「ほら、飲めよ」
  ぶっきらぼうにゾロがコップを差し出すと、チャプン、と中の酒が大きく揺れる。
「おう、悪いな」
  ニカッと笑ってサンジはコップを受け取った。
  ゾロが夜食を食べている間、サンジは別に入れておいたつまみを一口、二口、食べた。
「あー、やっぱ誰かと一緒に飲む酒はウマいな」
  酔ったのだろうか、少しばかり饒舌になったサンジが、ゾロのほうを見て嬉しそうに笑っている。
  ちらりとサンジを見たゾロの心臓が急にドキドキと音を立て始める。サンジのあまりにも嬉しそうな顔が、少し、格好よく見えた……ような気が、した。
「機嫌、いいんだな」
  ぽそりとゾロは言った。
「ん? そうか?」
  にこにこと笑いながら、サンジは返す。
  サンジとは、顔を合わせれば喧嘩ばかりしているような気がする。もっとも、このところのサンジはゾロにあれやこれやと喋りかけてきていたのだが。
「ま、機嫌もよくなるってもんさ」
  なおもサンジは笑っている。
「やっぱり、あれだよな。好きな相手と一緒にいられるなら、どこにいても幸せ、って言うだろ?」
  と、サンジ。
  ゾロは呆れ返ってサンジの顔をまじまじと見つめる。月明かりの下では微妙な表情の変化までは読みとれなかったが、サンジが嬉しそうに笑っているのだけは、ゾロにも判別できた。
「好き、って……」
  戸惑ったようにゾロが呟く。
  最近、サンジのことがよくわからない。
  以前のサンジなら、理解できた。顔を合わせば喧嘩ばかりで決して仲がいいとは言い難かったが、それでもサンジの考えそうなことなら、だいたいのことは予測できた。それが今は、これっぽっちもわからない。
  ゾロの知っているサンジはいなくなった。
  今、目の前にいるサンジは、ゾロの知らないサンジだ。
  ゾロは、サンジに気付かれないように溜息を吐いた。



  夜食を食べてしまうと、ゾロはつまみに手を出した。
  サンジの作るものは、食事でもつまみでも、ウマい。これにお気に入りの酒があると、さらに気分がよくなる。
  ゾロは酒をぐい、と煽ると、サンジをちらりと見た。
  いつもなら、この時間にはサンジも部屋に戻って眠っているはずだ。なのに今夜は、部屋に戻ろうともしない。夜食のバスケットを下げるつもりでゾロが食べ終わるのを待っているのかと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
  どうしたものかと思っていたら、サンジが無言でゾロの顔を覗き込んでいた。
「わっ……な、なんだ、いったい」
  ドギマギしながらゾロは後退る。
  喧嘩仲間の時のサンジのほうが、ゾロには理解できる。今のサンジは、いつものサンジではない。こんな妙なサンジを、ゾロは知らない。
「──なあ。本当に忘れちまったのか?」
  じっとゾロのを見つめながら、サンジが尋ねる。
  気のせいだろうか。サンジの声は平坦な声だったが、どこか悲しそうに聞こえた。
  ゾロは酒をグビリと飲み、そっぽを向いた。
「知るか。俺は、オマエと付き合うなんてこと、言った覚えはない」
  多分、ゾロの覚えている限りは、サンジと付き合うといったような言葉は口にしていないはずだ。
  そもそもサンジは男だ。男の自分が、何故、同じ男のサンジと付き合わなければならないのだろうか。考えただけでも反吐が出そうになる。
「本当に? 本当に、覚えてないのか?」
  しつこいぐらいにサンジに見つめられ、ゾロは苛々と夜食のバスケットをサンジに押し付けた。
「ごっそーさん。ウマかった」
  そう言ってゾロは、この話は終わりだとさりげなく示す。
  サンジはバスケットを受け取ると、大きな溜息を吐いた。



  バスケットを持ってキッチンへ戻っていったサンジを見張り台の上から見送ったゾロは、罪悪感を感じていた。
  本当に覚えていないのだ、ゾロは。
  いったい自分はいつ、サンジと付き合うなどと言ったのだろうか。それ以前に、サンジのことを好きだと言ったことがあるのだろうか? 或いは、サンジのほうから、「好きだ」というアピールはあったのだろうか?
  だいいちゾロは、恋愛の対象としてサンジを見た覚えがなかった。もちろん、同じ男として尊敬する一面を持っていることは認めている。自分と同等に張り合うことのできる男だという認識も持っている。しかしその上で、サンジを恋愛の対象として見ることは、ゾロにはできなかった。
  もし、一度でもそんな目でサンジのことを見てしまったら……。
  深く息を吸い込んで、ゾロは目を閉じる。
  眠るわけではない。
  少しだけ、考え事をしたいのだ。
  自分は、サンジのことが好きなのだろうか? 好きだと言ったのだろうか? それとも、好きになってほしいのだろうか?
  ……やっぱり自分が、サンジを好き、なのだろうか?
  ぐるぐると思考だけが頭の中を駆け巡っている。
「だー、もー!」
  ボリボリと頭をかくと、ゾロは見張りのために目を開け、じっと暗い海を睨み付けた。





END
(2007.8.20)



その時     見張り台にて     二度恋

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