『二度恋』
拳を握り締めていると、不意に声がかかった。
「あら、どうしたの?」
ロビンだった。
気配もなく背後から忍び寄ってきたかと思うと、ロビンはゾロの耳にこっそり耳打ちをした。
「手、気をつけないと、皆にバレちゃうわよ」
からかうような声の調子にムッとしてゾロが振り返った時には、ロビンはスタスタと甲板の向こう側へと行ってしまうところだった。
改めてゾロは、手を開いた。
拳を握り、また開く。
この調子だときっと、こめかみにも青筋が浮かんでいたのだろう。怒ると手を握り締めるのは、幼い頃からのゾロの癖だ。表に出して昇華できる怒りならどうとでもできたが、内に籠もった怒りが発散できない時、ゾロはいつも拳を握り締めていた。これまで誰も気付かなかったその癖を、ロビンはいともあっさりと見抜いていた。ことあるごとに彼女は、ゾロに耳打ちをしてくる。それが嫌で彼女には近付かないようにしていた。まるで心の中を読まれているような気がして、あまりいい気はしなかったからだ。
甲板から目を逸らすと、今度は拳を握らないように親指の爪を噛んだ。
波の音が途切れると、甲板の向こう側に集った仲間達の賑やかな声が聞こえてくる。
ここ最近のモヤモヤとした気持ちは、これはいったい何なのだろう。
こういった気持ちは、これまで経験したことがない。
こんな……こんな複雑な気持ちは、初めてだ。
カシカシと爪を噛んでいると、またしても楽しげな声が聞こえてくる。
声は、サンジとナミのものだった。
認めてしまえばいいのにと、胸の奥底で誰かが告げる。
ゾロはかぶりを振って違うと返す。そんなことは、ない。好きだなんて、絶対に嘘だ。仲間で、自分と同じ男で……そんなヤツを好きだなんて、何かの間違いだ。
苛々とした気持ちできつく目を閉じる。
甲板で不貞寝をしても、気分は晴れるどころかどんどんと落ち込んでいくばかりだ。
どうしようかと溜息を吐いた。
しばらくしてコツ、コツ、という振動が体に伝わってき、ついで足音が聞こえてくる──サンジだ。サンジが、近くにいる。
ゾロは体を硬くしてじっと息を潜める。
今は、誰とも言葉を交わしたくない。一人きりの殻にこもっていたい。そう願っているのに、サンジの足音はゾロのすぐ傍までやってきて、立ち止まる。
「おい……寝てるのか?」
微かな煙草のにおいがゾロの鼻をくすぐっていく。
眠ったふりをしてじっとしていると、サンジがポツリと呟いた。
「初めて会った時に、なんて口の悪りぃヤツだ、って思ったんだろ?」
ゾロは黙っていた。
サンジの気配がふっと柔らかくなった。笑っているのだろうか?
しゃがみこんで、ゾロの髪を撫でてくる。
「だけど、そん時から俺のことが気になってた、って、言ってたよな」
サンジに言われて、そうだったかなとゾロは考える。
もちろん、気にはなっていた。同い年で、同じぐらいの身長で、男とくれば、どうしても自分と比較してしまう。負けないように虚勢を張りたくもなるというものだ。
「──…何が言いたい」
腹の底から絞り出した声にはしかし、力がなかった。
ゾロは目を開け、サンジの顔を正面から見据えた。
サンジは、穏やかな目をしていた。
ゾロを馬鹿にするでもなく、真面目な顔でじっと見つめ返してくる。
「同じ年なんだぜ、俺たち。気になってもおかしくはない。だろ?」
サンジの言葉は、ゾロの言葉でもある。
「……その延長で好きになったとしても、か?」
言いながらゾロは、自分の声が掠れていることに気付いた。恥ずかしくて、うまく声が出てこない。
「そうだな。俺は、好きだけどな、オマエのそういうとこ」
悪戯っぽく目を細めて、サンジは告げた。
好き。
その好きは、どういう種類の「好き」なのだろうか。
ゾロは目をぱちくりと見開いて、サンジをじっと見つめた。
「女共が言っている、恋愛対象の好きって意味なのか?」
尋ねると、サンジは淡い笑みを口元に浮かべる。こういう時のサンジは、自分よりも大人っぽく見える。それが悔しくて、ゾロは拗ねたように目を伏せる。
「俺は、恋愛対象として、オマエを見ている──そう、言って欲しいのはオマエのほうだろ?」
──そうなのだ。
サンジの足音を耳にした瞬間から、ゾロはわかっていた。
初めて二人が出逢った時に、おそらく、自分はサンジのことを心のどこかで恋愛の対象として見ていたのだ。それを悟られるのが嫌で、嘘で塗り固めていた。自分と同じ年で、身長も同じぐらい、自分と張り合えるだけの力を持つこの男のことを、そういう汚れた目で見ているとは思いたくなかったのだ、ゾロは。
悶々と悩んでいたのは、自分の気持ちを正直に告げるべきなのかどうかをはかりかねていたからだ。サンジと対等だった自分が、負けてしまうのではないかと、そんなことばかりを気にしていたのだ。
「──……もし、そうだと言ったら?」
小さな声でゾロは告げた。
もう、正直に言ってしまおう。この気持ちを、告げてしまおう。
サンジが何と言っても構わない。自分の気持ちに素直になってしまえば、楽になるだろうから。
ゾロは、俯いたままじっとサンジの言葉を待った。
「じゃあ、お互い様だ。俺も、初めてオマエを見た時から気になっていた。多分、好きだったんだと思う」
いったい、どんな顔をしてサンジは喋っているのだろうか。
ゾロがちらりと顔を上げると、サンジは恥ずかしがるでもなく、普段と同じ少しスカした感じで喋っていた。
「こっから、二度目の恋になればいいのにな」
鼻歌を歌いながらサンジは、新しい煙草に手をのばす。
「てめ、恥ずかしすぎ」
居たたまれなくなってゾロが呟く。
サンジは笑っていた。
「何言ってんだ。俺たち、好き同士なんだぜ?」
END
(2007.8.23)
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