『微熱』



  仲間達に隠れて、キスをする。
  ちょうど洗濯物の影で、人目を避けるにはうってつけの場所だった。
  夜が明けてもサンジの体は燃えるように熱く、戦いの後の興奮がなかなか抜けきらない。
  ゾロはというと、彼もまた、サンジと同じように体の熱を持て余していた。
「ん……」
  重なった唇の間から、鼻にかかった声が洩れる。眉間に皺を寄せるとゾロは、必死になってサンジの舌を吸い上げた。名残惜しそうにサンジの唇が離れていくと、だらしなく開いたままのゾロの口の端からたらりと涎が零れ落ちる。
「……ヤりてぇ」
  上擦った声でサンジが呟くと、ゾロは困ったように俯いた。
  夕べ、初めて二人は体を繋げた。それまでも、真似事のようなことを何度かしたことはあったが、あんな風に実際に体を繋げ、互いの血や肉を肌で感じたのは初めてのことだった。
「断る」
  一言、そう告げるとゾロはサンジに背を向けた。
  あれは、一夜だけの狂乱。あんなことをそう何度も繰り返すつもりはないと、ゾロはきっぱりとサンジを拒んだ。
  もちろん、そう簡単にサンジが引き下がるだろうとはゾロもはなから思ってはいなかった。こう言えば、ああ言う。まるで子供の口喧嘩のように、誰かが横から止めに入ってくるまで際限なく続く、そんなやりとりを覚悟していた。
  しかしゾロの言葉にサンジは、淡い笑みを浮かべただけだった。
「そうか」
  そう言うと、ふい、と顔を背け、上着の内ポケットから煙草を取り出して吸い始める。
  肩透かしを食らったような感じがして、ゾロは怪訝そうにサンジをちらりと見遣った。
  くわえタバコのまま、ポケットに片手をつっこみ、サンジはぶらぶらと何気ない足取りで部屋に戻っていくところだった。



  いったい、どうすればよかったのだろう。
  サンジの言葉にそのまま流されてしまえばよかったのだろうか。
  実のところ、ゾロには自分の気持ちが今ひとつ理解できていなかった。仲間としてなら、ゾロは、サンジのことはいい喧嘩友達だと思っている。気のおける仲間。背中を預けることの出来る、好敵手。そんな風に思っている。
  しかしそれ以外の気持ちとなると、さっぱりなのだ。
  いったい、どう、思えばいいのだろうか。
  嫌いでは、ない──同じ船に乗る仲間なのだから。
  だからと言って、好きなのかと問われると、それはそれで「仲間だから」としか、返しようがない。
  別の気持ちがそこには存在しているのではないかと、そんな風に尋ねられても困るのだ。
  大きな溜息を吐くと、ゾロは、拳を握り締める。
  実のところ少しだけ、期待していた。
  あの、どこか乱暴だけども優しさの滲む口調で、どこか二人だけになることのできる場所に連れて行ってくれたなら、そうしたらゾロは、サンジの言うとおりにしていたかもしれない。
  抱かれてみて初めて、わかった。
  サンジの肌の熱さ、甘い吐息、そして器用で大きな、手。サンジの心臓の音がドクン、ドクンと大きく鳴っているのを耳にして、ゾロは嬉しかった。普段は女、女で男の自分になど見向きもしないヤツが、男の自分のために呼吸を乱し、眉間に皺を寄せて必死になっていることを思うと、それだけでゾロの体には震えが走った。
「なんで、あんなにあっさり引き下がった?」
  ポツリと呟いて、ゾロは表へと出ていく。
  町の、ゴミゴミとした雰囲気に紛れでもすれば、少しは気分もかわるだろう。何よりも、しばらくはサンジのことを考えずにいられるかもしれない。
  町の賑やかなほうへと向かってゾロは、歩き出していた。



  町へ出た途端、買い物帰りの女共とばったり鉢合わせをした。
  大小様々な荷物を抱えて歩くナミとロビンの二人は、楽しそうに何事か喋りながら、のんびりとした足取りで歩いていた。
「あら、お散歩?」
  先にゾロの姿に気付いたロビンが声をかけてきた。
「……ああ」
  嫌な連中に見つかったとばかりに、ゾロは顔をしかめて返した。
「あら、ゾロ。ちょうどいいところに」
  ニヤニヤと笑いながらナミが、ゾロの方へと近寄ってくる。
「ねーえ、ゾロ。あたしたち、ちょっとばかり買い物しすぎちゃったのよね。荷物、持ってくれないかしら?」
  二人の女性からお願いされても、ゾロはあまりいい気はしない。どうせ、彼女たちの都合のいいように自分が使われることはわかっている。
「ちっ、仕方ねぇ」
  などと、ブツブツ文句を言いながら、二人分の荷物を両手に軽々と抱え、さっき飛び出したばかりのガレーラの宿舎まで荷物を運んでやる。
  女共の荷物ひとつひとつの重量はたいしたことはないが、細々としたものが多いのが難点だ。歩くと、ガサガサと荷物の音がして、ゾロは眉間に皺を寄せた。さらにバランスが悪いと積み上げた箱が落ちそうになる。たいした重さでもないのに、常に腕の筋肉を緊張させて、荷物が落ちないように均衡をとってやらなければならない。力任せに串ダンゴや鉄アレイを振り回していればいいだけの筋トレとは比べものにならないぐらい厄介だと、ゾロはこっそり溜息を吐いた。



  気分がすっきりと晴れないのは、サンジのことが気になるからだ。
  あの男に抱かれるのは、嫌ではなかった。それがゾロには腹立たしかった。
  そして。
  あの男に期待している自分には、それ以上に腹が立った。
  この体の熱が引いてしまえさえすれば、あの男を求めることはなくなるだろう。きっと、身体の中で燻っている熱のせいで、自分はどうにかなってしまっているのだ。
「熱ちぃ……」
  小さく呟いて、ゾロは、借り物のシャツの襟元に指を引っかけ、パタパタと扇いだ。
  もしかしたら、頭から水でもかぶれば、しゃきっとするかもしれない──そんなことを考えながら、宿舎の敷地をフラフラと、どこへともなく歩いていく。
  汗ばむほどの陽気でもないのに、体の内側に熱がこもって、苛々する。この熱にしても、汗となって体の外へと出てくれれば気にするほどのことでもないのだろうが。
  自分を持て余すということも最近では少なくなったゾロだったが、戦闘の後となると、話は別なのだろう。そしてそれはきっと、緊張の糸が切れてホッとした後にやってくる、その人間特有の「なにか」が顕在化したものという意味では、ゾロも皆と同じなのだった。
  宿舎の裏庭に出ると、海からの風と、陸からの風とが入り交じり、うっすらと潮のにおいがしていた。ちょうどいい感じの木陰があった。木の根本に腰を下ろすと、幾重にも重なった枝葉の間から木漏れ日が落ちてきて、ゾロの上に淡い光を投げかける。
  少し目をすがめて、ゾロは樹木の上のほうを見上げた。
  今の自分には似つかわしくない場所かもしれない──そんな風に思いながらもゾロは、目を閉じる。
  昼寝でもすれば、この体の熱さを忘れることができるかもしれない。頭から水をかぶろうと思うと、宿舎の中に入らなければならないのが難点だった。別にどこだっていいのだろうが、水を使おうと思うと、ゾロには、サンジのいる宿舎の中しか思い浮かばなかった。
  だから、水をかぶるのはやめにした。
  今、サンジと顔を合わせたら、自分はどんな表情をするかわからなかった。
  もしかしたら、夕べの自分のように、誰かにつけ込まれるような情けない顔をしてしまうかもしれない。
  だからゾロは、サンジを避けた。
  だから今、一人きりで体の熱が鎮まるのを、ゾロは待っているのだった──






To be continued
(H19.10.8)



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