共有時間1

  ふと目に付いたから、声をかけた。
  何でもない、普通の一日の始まりだった。
「よお、サンジ、何の話してんだ?」
  ウソップが声をかけた途端、サンジの足技が鼻っ柱を叩き潰す。
「ひぎっ……」
  自慢の鼻を押さえてウソップが悶絶するのを横目に、サンジは隣りにいたゾロに言葉を放った。
「悪りぃ、邪魔が入った。場所、かえようぜ」
  わかったという風にゾロが手をひらひらとさせ、格納庫へと続く階段をおりていく。
「盗み聞きしてんじゃねえよ、ハナ」
  そう言うとサンジもゾロの後を追って甲板を大股に横切っていった。
  いったい何の話をしていたのだろうかと、ウソップは甲板を立ち去るサンジの後ろ姿を見送りながら考える。
  ウソップとサンジは、恋人同士だ。自分と同じ男で、年上の、あのサンジが、自分に心底惚れ込んでいるのだとはウソップ自身、いまだに信じられないことだった。
  サンジの無類の女好きは出逢った時からわかっていたから、ウソップもそう気にはしていなかった。それよりも、男の自分を恋人にするサンジのことだ。もしかしたらいつか、ウソップよりももっと強い男のほうへと宗旨替えしてしまうのではないかと、真剣に悩むことがあった。もちろん、サンジにそんなつもりはさらさらない。しかし、さっきのように避けられると、気になって仕方がない。もしかしたらサンジは、自分ではない誰か──それがゾロだとは、さすがのウソップも口にはできなかったが──のほうへ気持ちが傾いているのではないかと、そんな余計な心配をしてしまうことも多々あった。
「やっぱ、俺じゃあ頼りなさすぎるのかな……」
  小さく呟いて、ウソップはいつまでも格納庫へと続く階段を見つめていた。



  キッチンではサンジが片付けをしていた。
  明日のための仕込みをして、サンジの一日は終わる。
  ウソップは甲板で釣りをしながら、サンジがキッチンから出てくるのを待つ。
  いつも、サンジが仕事を片付ける頃には魚籠の中に魚が五、六匹は入っている。少ないながらもこれらは、翌日の朝食やおやつに使われた。
  その夜はちょうどウソップが釣り糸を引き上げたところでパタン、とドアが開いて、足音がした。
「待たせたな」
  くわえタバコのサンジがにっこり笑って、甲板で待つウソップの背中をぎゅっと抱き締める。
「おう、お疲れさん」
  ウソップが振り返ると、チュ、と音がして、サンジに唇を奪われた。煙草の香りのキスは、ほんのりと甘かった。
「あ……」
  少し照れたようにウソップは、俯いてサンジから離れた。
  恋人同士の付き合いをしてはいても、こういうことには照れがつきまとう。ウソップとしては、側にいて他愛のない話をしたり、さりげなく手を繋いだりするだけで充分満足できるのだが、サンジはそうではなかった。
  女性に対して積極的なのと同じでサンジは、ウソップに対しても積極的だった。年上の特権を振りかざしてキスを迫ること幾度となく、寝込みを襲うこと数回に渡っており、そろそろウソップとしても何とか対策を練らなければならないと思っているところだ。
「それ、片付けてこいよ」
  サンジはウソップに声をかけ、自分は魚籠を取り上げる。釣り竿はいつも、ウソップ工房の一角に片付けている。魚籠は、キッチンだ。魚用のケースを取り出すと、冷凍庫から大量の氷を取り出し、ケースに氷を放り込む。適当なところで釣れた魚をケースに入れ、また氷を入れた。気が向けばその場で血抜きをすることもあったが、今夜のところは氷締めにしておいて明日、処理をするらしい。
  それが終わると、いつも甲板でしばらく、二人きりの時間を楽しんだ。
  今夜はどうするのだろうかとウソップがちらりとサンジのほうを見ると、サンジは機嫌よく鼻歌を歌いながらケースの蓋を閉めるところだった。
  声をかけようとして、ウソップはふと自分のにおいが気になった。さっき、魚を釣っている時に、何がどうなったのかわからなかったが、頭から海水をかぶってしまっている。髪も潮でベッタリとしていたが、それ以上に乾きかけの服もベタベタしている。このまま眠るわけにはいかないだろう。
「あー……俺、さっは海水頭からかぶったから風呂行ってくるわ」
  そう言うとウソップは、そそくさとキッチンを後にする。
「おう。待っててやるよ」
  サンジが返した。
  ウソップの目の端に、のんびりと煙草を口にくわえるサンジの姿が映っていた。



  サンジを待たせているからと、ウソップは慌ててシャワーを浴びた。
  水に近いようなぬるいお湯を頭からかぶると、頭のてっぺんから足の先まで石鹸で泡だらけにした。ざっと洗い流すと、大急ぎで服を身につけた。
  甲板でサンジが待っているのだと思うと、のんびりとなんてしていられない。
  慌てて甲板に駆け上がったところで、ウソップははたと気付いた。
  ──ゾロが、甲板にいる。
  サンジは、ゾロと何事か話し込んでいるところだった。時折、楽しそうに笑っているのは何故だろう。
  ちょうど、二人からは死角になる場所にウソップがいたのが、いいことなのか、悪いことなのか。会話までは聞き取ることができないが、楽しそうな二人の様子ははっきりと見えた。
  昼間の様子といい、今のこの様子といい、サンジはもしかしたら、ウソップよりもゾロといるほうが楽しいのではないだろうかと思わずにはいられない。声をかけるのも憚られるような、そんな雰囲気の二人だった。
  一瞬、頭を鉄槌か何かで殴られたような感じがして、ウソップはふらふらとその場を 離れた。どうやって男部屋まで戻ったのか、ウソップには覚えがない。
  ハンモックに潜り込むとケットを頭からかぶり、ウソップは悶々と考えた。
  何故、甲板にゾロがいたのだろうか。何故、サンジはあんなにも楽しそうにしていたのだろうか。何故──? 考えだすときりがなかった。
  やはり自分では、サンジにとって役不足なのだろうかと、ウソップは唇を噛み締める。
  それとも。
  もしかしたら手を出さなかったことで、サンジに愛想を尽かされてしまったのかもしれない。
  ウソップだって男だ。性的な行為に興味がないわけではなかったが、まだ、その必要はないと思っていたのだ。
「やっぱ年下はウザいかな、何かと……」
  自分がサンジの立場だったらと、そんなことを考えながらウソップは眠りに落ちた。
  眠るウソップの目尻は、ほんのりと湿っていた。



  翌朝、まだ早い時間にウソップは誰かの手で揺り起こされた。
「起きろよ、鼻野郎」
  まだ薄暗い早朝の男部屋で、眉間に皺を寄せたサンジが、剣呑な眼差しをしてウソップを睨み付けていた。
「あ……」
  すぐにその理由に気付いたウソップは、決まり悪そうな顔をしてサンジを見つめ返す。
「あの……」
  ハンモックからおりようとして、サンジに腕を掴まれた。
「逃がさねえ」
  舌なめずりをしてサンジは、ウソップを見つめている。誰か起き出しそうな気配はないかと、期待を込めてウソップは仲間たちを順繰りに見たが、誰一人として起きてくるような気配はない。
「あの…あの……──」
  言葉の出てこないウソップの唇に軽く触れるだけのキスをすると、サンジはにっこりと笑った。
「待ってたんだぞ、あれからしばらく」
  そう告げるサンジの目はしかし、笑っていなかった。
「ちょっとシャワーを浴びに行った割に、長かったんだな」
  そう言われると、返す言葉がない。ウソップはケットを握り締め、ハンモックの上で後退ろうとした。
  今にも食らいついてきそうな気迫で、サンジが告げた。
「俺は心が広いから、キス百回で許してやる」



  ウソップ工房からはキッチンが見える。
  今日は何とはなしにサンジの姿を見ていたくないウソップは、甲板の片隅に七つ道具を持ち出していた。
  チョッパーとルフィが物珍しそうに交互に覗きにくるのを何とかかわしながら、ウソップは作業を続けていた。
  手のひらに乗せた懐中時計の部品を、ウソップはいつになく真剣な顔つきで検分している。
  停泊先の港で少しずつ部品を揃えた懐中時計は、あと少しで完成する。完成した懐中時計をサンジにプレゼントすることができたら、その時には……と思っていたウソップだったが、その夢は果たせそうにないような気がしてならない。
  夕べ、サンジはゾロと何かしら喋っていた。二人があんなに親密だったとは、正直、ウソップは思っていなかった。会話の内容も気になったが、それよりも、サンジがゾロと一緒にどこか遠いところへ行ってしまいそうな気がして、怖くて足を踏み出すことができなかった。
「……やっぱ俺、弱いからな」
  呟いて、慌てて頭を左右にブンブンと振った。
  作業中に余計なことを考えていると、失敗の元だ。
  これから、サンジとどんな関係になっていくのかは、後で考えればいい。今はまず、この懐中時計を完成させることが先だ。
  ウソップは手元のねじ回しを握り締め、厳しい表情で部品の調整をし始めた。



To be continued
(2007.8.26)



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