共有時間3

  壊れてしまった懐中時計を手の中に包み込んで、ウソップは涙を堪えた。
  まるで、自分とサンジの関係を示しているようで、なんとも陰鬱な気分だけがウソップの胸の内で燻っている。
  あの時、サンジが声をかけなかったなら、こんなことにはならなかったのだ。そう思うと、ウソップは悲しくて悲しくて仕方がなかった。決して、サンジが悪いわけではないのだ。たまたまあの瞬間にサンジが側にいたというだけで、誰も、何も悪くないのに……。
  それなのにウソップは、自分ではない誰かに責任を押し付けようとしている。サンジのせいで懐中時計が壊れたのだと、そう言えたらいいのにと思う醜い自分が胸の内にいる。
  床に座り込んだウソップはしばらくの間、目の前の壊れた懐中時計をじっと凝視した。
  サンジのために作ったのに。サンジならきっと、この懐中時計を喜んで受け取ってくれるだろうと思っていたのに。
「──…直さねぇとな」
  掠れた声で呟くと、懐中時計を手に、甲板へと上がっていく。
  やらなければならないことが、たくさんあった。



  夕飯の時間になっても、ウソップは黙々と工房でなにやら作業を続けていた。
  難しい表情で細かい部品を触っていたかと思うと、なにやらしきりとネジを回している。時折見せる鋭い眼差しは職人的な厳しい眼差でもあり、こんな時でなければ男としてとても色っぽく見えるのにと、サンジは少し残念に思った。
  サンジはちらりとウソップに視線を馳せると、どうしたものかと溜息を吐く。たとえ悪気がなかったにしても、自分が原因で何かを壊したのだから、謝らなければならないだろう。
  しかし実際ウソップは、サンジの言葉に耳を貸そうともしてくれないのだ。あれから何度も謝ったのだ。それなのに、ウソップは一度としてサンジの方を見てはくれなかった。一度として、言葉を発することもなく、ただひたすらに工具をいじくっている。休憩もせずにずっと、ああして工具を触っているのだ。
  仕方なしに夕飯の支度に取りかかったサンジだった。
  ウソップの嫌いなもののない料理ばかりをテーブルにずらりと並べると、サンジはそのままキッチンを後にする。余計な言葉をかけても、今のウソップは耳を貸してはくれないだろう。
「夕飯ができたから、冷めないうちに食っちまえよ」
  そう、声をかけるのが精一杯だった。



  サンジの言葉も聞こえないほど、ウソップは集中していた。
  取り替えのきく部品は新しいものにし、壊れた懐中時計を組み直した。幸い、足りない部品はひとつだけで、それも特に必要といったものでもなかった。
  その夜、随分と遅い時間になってからではあったが、懐中時計は完成した。蓋には複雑に絡み合う蔦の彫り物がされており、その中央には小さな青い石が嵌め込まれるはずだった。石は、懐中時計が壊れた時に転がり落ちてしまい、どこかへいってしまった。仕方がないからその部分の細工をし直した。ぱっと見には、気付かれることもないだろう。
  こんなに集中したのは久しぶりだと、ウソップは大きく伸びをする。
  硬くなった筋肉がゆっくりと引き延ばされ、背骨がポキポキと音を立てた。
  ふとテーブルに目を馳せると、食事が並んでいた。サンジだ。好きなものばかりの献立を、ウソップは純粋に嬉しく思った。義務感からなのか、それとも罪悪感からなのか、それはウソップにはわからない。しかしそのどちらであっても、サンジはサンジなのだと、そんなことを思いながらウソップは椅子に座った。
  冷めていたものの最高の料理を残さず食べると、ウソップは食器を流しに運んだ。勝手知ったる何とやらで、慣れた手つきで汚れ物を洗ってしまうと、それぞれの定位置へと片付けていく。
  それからウソップは、男部屋におりた。
  サンジはもう眠ってしまっているだろうか。もし起きているなら、この懐中時計を手渡したいと、ウソップは思った。
  男部屋のドアを開けると、灯りがついていた。
  ぎょっとして入り口で立ち止まると、床の上で丸くなって眠るサンジの姿が目の中に飛び込んでくる。どうやらウソップが部屋に戻ってくるのを待ち続けて、そのまま眠ってしまったらしい。
  足音を立てないように部屋に入ったウソップは、毛布を取ってサンジの上にそっとかぶせてやる。
  いつものようにハンモックで眠ろうかと思ったものの、ウソップはそのままサンジの隣りに横になった。
  規則正しいサンジの呼吸の音が心地よくて、ウソップはすぐに眠ってしまった。
  その手には、完成したばかりの懐中時計を大事そうに握り締めていた。



  明け方、人の気配に気付いてウソップが目を開けると、いつの間にか起き出していたサンジが顔を覗き込んでいた。
「あ……」
  どう言ったものかと思案しているうちに、サンジが顔を寄せてきて、唇にチュ、とキスをする。
「悪かったな、昨日は」
  ウソップが何も言えないうちにと、サンジは素早く告げた。
「いいって。ちゃんと直ったしさ」
  そう返しながらウソップは、ごそごそと状態を起こした。右手には、しっかりと懐中時計を握り締めている。
「……俺、ずっとサンジに渡したいと思ってたんだ」
  そう言って、ウソップは懐中時計を差し出した。
「これ…──」
  ゆっくりと焦らすように、ウソップは懐中時計の蓋をあけてみせる。この懐中時計をプレゼントしたら、サンジとの関係も終わるかもしれない。その思いが、いつもは軽快なウソップの口を重くした。
「最後にここのネジを巻いたら、完成だ」
  そう言った途端、サンジの手がウソップの手を包み込んだ。
「これは、俺がもらってもいいものなのか?」
  慎重に、窺うようにサンジが尋ねる。
「ああ。お前にプレゼントしようと思って、この間からちょっとずつ組み立ててたんだ」
  そう言ってウソップが返すと、サンジは包み込んだ手を自分の口元に持っていき、ウソップの指先にキスをした。
「……これは、恋人からの貢ぎ物だと思ってもいいのか?」
  色気のない言い方だなと思いながらも、サンジは言葉を選びながら聞いた。こういう言い方でもしなければ、恥ずかしくてやっていられない。
  サンジの言葉に、ウソップはポカンと口を開けている。
「──ネジを、巻いてもいいか?」
  ウソップの答えを聞かずに、サンジはほっそりとした白い指で懐中時計のネジを巻いた。
  間を置かずして、時計が時を刻み始める。
「ありがとう、ウソップ」
  サンジはウソップの頬にそっと口づけた。



  すっかり男部屋を片付けてしまうと、二人は朝食の用意をするためキッチンへと上がった。これから二人で朝食を用意する。凝った料理でなくてもいい。二人で一緒に作るのが楽しいのだと、ウソップは言った。
  キッチンに入ったサンジは、トーストとサラダ、コーヒー、フルーツの盛り合わせをテーブルに運ぶ。今は大食漢の船長がいないから、比較的のんびりとした朝食になるだろう。
  席に着いた途端、サンジはじっとウソップの顔を凝視した。
「このところ、お前と喋ってなかった。触ってもいなかった。燃料切れだ」
  恨みがましくサンジが告げる。
「え……」
  身の危険を感じてウソップが席を立とうとした途端、向こうずねを力一杯蹴り飛ばされた。
「メシん時は座ってろ」
  鋭い眼差しで睨み付けられ、ウソップはそれだけでヘナヘナと椅子に座り込んでしまう。
「お前……この間から、なんで俺を避けていた」
  いきなりの尋問口調に、ウソップは口をパクパクとさせた。
「なんで、って……そりゃ、お前がゾロと……」
  言いかけてウソップは、慌てて口を閉じた。人のことをとやかく言うのは、格好良くないと思った。普段はともかくとして、特に恋愛中は。
「マリモ?」
  何を言い出すのだといった奇妙な眼差しで、サンジはウソップを見つめる。
「だってさ、ほら……お前、ゾロとよく話し込んでる時があるだろ? だからてっきり、俺は……」
「ああ、なるほど」
  ニヤリと笑ってサンジは、ウソップのほうへ体を乗り出した。
「嫉妬してたんだな、お前」
  ヒヒヒ、と、いやらしい笑い声をあげてサンジは、ウソップの鼻を指を勢いよく弾いた。
「阿呆か、お前は。俺とマリモは何でもねぇよ。同い年だからな、お互いに色々と相談したいことがあるんだよ」
  サンジは呆れたようにウソップを見つめる。
「そんなんでお前、俺を避けてたのか? 馬鹿だな」
  ウソップは可哀想なほど肩を落として、サンジに頭を下げた。
「ううっ……ごめんよ。俺さ、お前はもっと強くて同い年の男がいいのかと思ってた」
  しょんぼりとウソップは、先日からの悩みを口にした。
「だから、あの懐中時計をプレゼントして、さよならを言おうと……」
  ウソップが正直に白状する間に、サンジの表情が怒りに歪んでいく。
「アホか、お前は」
  テーブルの下でもう一度、ウソップは向こうずねを力任せに蹴飛ばされた。
  それから二人で朝食を食べて、片づけをした。



END
(2007.8.31)



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