LOVE IS 3

  それが立ち眩みと呼べるような代物ではないことぐらい、サンジにもすぐにわかった。
  馬の足下に座り込むと、両手で口元を押さえた。
  今朝は、白湯だけしか口にしていない。ゾロに渡された干し肉は、狩猟小屋を出る時に見かけたカラスに投げてやった。ゾロはおそらく、サンジの様子に気付いていないはずだ。
  それでいいと、サンジは思った。
  手でしっかりと口を押さえたものの、込み上げてくる吐き気はいつまで経ってもおさまらない。
  目尻に涙が滲んだ。
  ゆっくりと息をすると、ガッ、と喉に塊が込み上げてきた。歯を食いしばったその間から鼻につく刺激臭がして、黄色い胃液がポタポタと地面に落ちた。
「ぐっ……」
  ヒクッ、と喉が鳴った。ヒリヒリと焼け付くような痛さに、更に胃液が戻ってくる。
  もはや体裁を気にしているどころではなかった。
  ゲエゲエとサンジは胃液を吐いた。吐くものはあっという間になくなり、目の端から涙が零れ出す。サンジはいっそう激しくえずいた。
  目を開けると、胃の中に大きな石の塊が入っているような感じがした。サンジは体をゆっくりと動かしたが、胃の底のほうにはまだ吐き気が残っていた。
  いつの間に川からあがってきたのか、ゾロが、マグに汲んだ水を差し出して言った。
「口をゆすぐといい」
  サンジは言われたとおりにした。
  背中をさするゾロの手が大きくて、サンジは何故だか安心することができた。何度か口をゆすぐと、ぬるくなった白湯を少しずつ飲まされた。
「ようやく薬が抜けてきたみたいだな」
  ホッとしたように声をかけるゾロの口元は、心なしか笑っている。
  サンジは、ゾロの腕の中で安心しきったように体を預けていた。
「少し眠るか?」
  大きな手がサンジの体を慎重に抱き上げ、火の側へと連れて行く。
  サンジは、答えるよりも先に眠り込んでいた。



  次にサンジが目を覚ますと、夕暮れの太陽が森の向こうへと沈んでいく所だった。
  ゾロはいなかったが、すぐ近くの大木に馬たちが繋がれていた。
  どこへ行ったのだろうかとサンジがキョロキョロしていると、片手に野兎を下げたゾロが森の中からのんびりとした足取りで出てくるところだった。
「よお。少しはマシになったみたいだな」
  寝袋の上に起きあがったサンジに、ゾロはニヤリと笑いかける。ゾロの目の前で嘔吐したことを思い出したサンジは、ぷい、とそっぽを向いた。
「宮廷でお前がいつも口にしているものとは違うが、干し肉よりはマシだろう」
  そう言いながらゾロは、捕まえてきた野兎の皮を剥いでいく。
  ゾロの手慣れた様子はやはり、サンジを安心させた。宮廷で、王の補佐官から逃げることはできないのだと諦めていた日々の中から救い出してくれたのも、ゾロだ。この男は粗野で乱暴だったが、補佐官に比べるとずっと安心できる男だとサンジは思った。
「串焼きにするのか?」
  サンジが尋ねると、ゾロはそうだと返した。
  太陽が沈んでしまう前に、二人は肉を切り分けた。
  火で焙って塩をかけただけの肉は、うまかった。サンジはガツガツと肉を食べてしまってから、不意に吐き気がぶり返してくるのではないかと思い、早々に寝袋に潜り込んだ。
  そんなサンジを見て、ゾロは笑った。
「薬が抜けちまえば、吐くこともないだろう」
  そう言われたことで、サンジも少しは気が楽になった。
  ここしばらく、ぐっすり眠ることのできなかったサンジだったが、ようやく穏やかな眠りが戻ってきたようだ。宮廷から遠く離れ、補佐官のいないこの野営地では、ゾロがサンジを守ってくれるだろう。
  ゾロは、補佐官とは違っていた。補佐官はゼフ王の富と権力を欲していたが、この男はそんなものは欲していなかった。ゾロの真っ直ぐなところは時としてサンジを傷付けることもあったが、それらは心地よい痛みとなってサンジに今の自分の立場を思い起こさせた。
  宮廷での不自由のない生活に慣れきっていたサンジだが、ゾロとの旅は、宮廷にいた頃の閉塞感を感じさせないものだった。
  宮廷は……補佐官のいる宮廷では、サンジは常に誰かに見張られていた。一人になることの自由もなく、仮に一人になることがあったとしたら、それは、薬のおかげだった。薬は、サンジに一人の時間を与えてくれた。だから、害悪があるとわかっているにもかかわらず、サンジは薬のほうへ、楽なほうへと傾いていったのだろう。



  夜遅い時刻になってから、サンジは川岸まで歩いていった。
  午前中のように立ち眩みを起こすこともなく、足取りもしっかりしてきていることが自分でも感じられた。
  暗がりの中でゾロの目を盗んで、サンジは川に入った。
  ゾロは、焚き火の側でうとうとしていた。今ならきっと、気付かれることもないだろう。
  素早く衣服を脱ぐと、丁寧に畳んで岸辺に置いた。
  宮廷では、サンジの好きな時にいつでも風呂に入ることができた。それが贅沢だとは、ついぞ気付かずにいた。旅に出て初めて、サンジは自分が恵まれた環境にいたことを知ったのだった。
  爪先を川の流れに浸すと、心地よい冷たさだった。もう一度振り返ってゾロの様子を見てから、サンジは川に飛び込んだ。水飛沫が上がり、勢いを得てサンジは水の中に潜り込んだ。水の中で息を吐き出すと、気泡がブクブクと音を立てて水面へと上がっていった。
  水面に顔を出し、サンジは大きく息をついた。水の冷たさが心地よかった。
  手で体をゴシゴシと擦り、ここ数日の汚れを落とそうと努める。よく考えると、城を出て初めての水浴びかもしれない。風呂に入らない日がこんなに続くなんて、サンジには信じられなかった。ゾロは、平気なのだろうか。
  体がふやけそうになるまで水に浸かったサンジは、ようやく川岸へと戻ることにした。
  川から上がると、少し、寒かった。
  折り畳んだ衣服を目にした途端、今度は服の汚れが気になってきた。着の身着のままでバラティエ公国を後にした。着替えなど当然、用意できるはずもなく、サンジは何一つとして自分の荷物を持っていなかった。
  汚れて汗くさくなった衣服を手に取ると、サンジは川の流れでザブザブと服を洗った。これで、少しはにおいが取れるかもしれない。
  濡れた服を固く絞ると、少し考えてからサンジは洗ったばかりのシャツで体を拭くことにした。肩から腕にかけてを拭き終えたところで、不意に腰のあたりを抱き締められた。
「あっ……?」
  振り返るよりも早く、肩口にあたたかな唇を感じた。
  驚いた拍子にシャツを取り落としてしまった。早く拾わなければと思うものの、この腕の中から抜け出す気になれず、サンジは抱き締めてくる腕にそっと指を這わせた。
「シャツを、拾わないと……」
  そう言いながらもサンジは、その場にじっと立ち尽くしたままだ。
  ゾロは、サンジの耳朶をやんわりと噛んだ。
「勝手な行動をとるなと言っただろう」
  怒るでもなく、ふざけるでもなく、ゾロは言った。
「お前の目の届かないところに行ったわけじゃない」
  太股にあたる膨らみを感じながら、サンジは返す。この場所なら、ゾロのいる場所から見えるはずだ。サンジが決して一人でどこかへ行こうとしているのではないことぐらい、すぐにわかるはずだ。
「そうだな」
  ゾロが言った。珍しくサンジの言葉を尊重するような、穏やかな口調だ。
  サンジはホッとして、背後のゾロに体を預けた。腰に回された手を取り、節くれ立った剣だこのできた指に、唇を押し当てた。



  川岸の地面に転がされると、サンジは、ゾロの頬に手をあてた。
  キスをすると、口移しに微かな酒のにおいがはいりこんでくる。いつになく豪勢な夕飯の後、ゾロはしばらく酒を飲んでいた。サンジは酒のにおいに顔を少ししかめたものの、迷うことなくゾロの口の中に自分の舌を差し込んだ。
「んっ……」
  これは、薬のせいではない。
  自らの意思で自分は、ゾロに抱かれている──サンジはしっかりと目の前の男の背に、手を回した。
  触れてくる手も、唇も、ゾロはあたたかい。中でも股間の高ぶりは熱いほどだった。サンジはおずおずと、ゾロの股間に手を伸ばした。これまで、自分から触ったことはなかった。薬で頭が朦朧としている時ならいざ知らず、意識がはっきりとしている時に自分からこんなことをするとは、思ってもいなかった。
  節くれ立った指に乳首をこねくり回され、舌でベロンと舐めあげられると、サンジの体が大きく跳ねた。ピリピリとした痺れるような感覚が全身を駆け巡り、息が乱れていく。
「薬のせいなのか?」
  ふと、思い出したようにゾロが尋ねた。
「ち…がうっ……」
  首を横に振ると、鎖骨のあたりを吸い上げられた。そのままゾロの舌はサンジの肌を滑り降り、臍のあたりを掠めていく。
「ぁ……」
  サンジの先端に男の熱い吐息がかかり、口の中に飲み込まれた。



To be continued
(2007.9.10)



                                                


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