『TANGIBLE 6』



「アイツは……こういうのがお好みなのか?」
  床に放り出されたままだったサンジが、掠れてはいるがはっきりとした声で尋ねかける。
  自分たちの行為を彼は、ずっと見ていたのだろうか。ゾロは戸惑ったような表情でサンジを見つめ返し、それから血と精液にまみれたままのもうひとりのサンジへと視線を向けた。
「仕方ねぇな」
  呟いたサンジを尻目に緩慢な動きで起きあがると、ゾロはのろのろとした動作で下衣を身につけた。
「おい。手伝え、筋肉マリモ」
  サンジが言った。
「ああ? どうするんだ?」
  とのゾロの問いに、にやりと口の端を吊り上げてサンジは返す。
「どうやらこいつは俺自身のようだからな。放ってはおけないだろう」
  そう言いながらサンジは、もうひとりのサンジに自分の着ていたシャツを着せてやる。
「とりあえずは風呂だな。連れて行ってくれ」
  自分は歩くことだけで精一杯なのだと言外に含ませて、サンジは言った。



  もうひとりのサンジは、消えなかった。
  これまで、同じ場所、同じ時にサンジが二人存在するのは、ゾロしか見たことがなかった。それもほんの一瞬の出来事で、もうひとりのサンジは常にその存在を隠したまま、メリー号に存在していたのではないかと思われる。それが、今回に限ってはなかなか姿を消そうとしないのだ。
  食事の用意をしながらどうしたものかとサンジが考え込んでいると、ロビンがやってきて、いきなりえび茶色のエプロンを突きつけてきた。
「コックさん、これを」
  ロビンがにっこりと笑うと、それだけで花がほころんだようで艶やかになる。鼻の下を長く伸ばしてサンジが愛想を振りまきかけたのを片手で軽く制すと、ロビンは言葉を続けた。
「彼……ええと、もうひとりのコックさんと区別するために、あなたはこのエプロンを常に身につけていてね」
  ロビンの言葉にサンジは両手放しで頷いた。
「わかりました。ロビンちゃんがそうおっしゃるのなら、一週間でも十日でも……いや、一生このエプロンを身につけて……」
  とうとうとサンジが語るのをにこりと笑ってあしらうと、ロビンはくるりと背を向けてキッチンを出ていった。
  パタン、と音を立ててドアが閉まり、そこでサンジはようやく我に返ったのだった。



  目の前には光がある。
  暗闇に囲まれて、喋る相手もなく、たったひとりきりで彼は生きていた。
  サンジという器の中で、昼となく夜となく、彼の心の声を糧に生きてきた。
  しかし、それならば。
  サンジの心の声だという自分にはいったい、存在意義はあるのだろうか。
  自分は、もともと存在してはならない存在だ。何故なら自分はサンジの心の声なのだから。もしこの先も自分が存在し続けようと思うのならば、自分はサンジに吸収され、サンジ自身と融合しなければならない。
  そうしなければ自分は、生きていくことはできないのだから。
  あるいは……。
  あるいは、サンジを殺して自分がサンジとなるか、だ。
  できないわけではない。サンジの心の声だった自分は実体化したのだ。今ならば、不可能なことでもないだろう。
  ふぅ、と溜息を吐くと、サンジはぼんやりと海面を見下ろした。
  甲板に出ていると、太陽の光が目に眩しい。どこもかしこも潮のかおりでいっぱいだし、先ほどからウソップ、ルフィ、チョッパーの三人組がすぐ近くで騒ぎ立てている。やかましいことこの上ない。顔をしかめてサンジは、すぐ側を走り抜けていった三人組を睨み付ける。嫌で嫌でたまらない。彼らと……こんなにも脳天気な連中と一緒にいる自分にさえ、嫌気が差した。
  しかし、自分がサンジとして存在したいのならば、この連中とはうまくやっていかなければならない。ずっとではなくとも、とりあえず、どこかの港に寄港するまでは一緒に行動する必要があるだろう。
  苛々と人差し指の爪を噛んでいると、背後からナミが寄ってきた。
「サンジ君」
  声をかけられてもしばらくの間、サンジはじっと黙っていた。
「ねえ……もう、体の具合はいいの?」
  ナミがそう尋ねかけた瞬間、サンジははっ、と顔を上げ、ナミのほうに向き直った。
  オレンジ色の髪の少女は意地の悪い眼差しで、サンジをじっと見つめている。
  何もかも見透かすような明るいオレンジ色の瞳を見て、サンジはぎゅっ、と拳を握りしめた。
「うちのサンジ君と区別するために、このシャツを着てもらうわ。アンタも、いつまでもうちのサンジ君の服を借りている、ってわけにはいかないものね」
  嫌味かと思ったが、彼女の口調からはそんな感じには取れなかった。どうやら彼女なりに、二人のサンジを区別しようとしているようだ。
「はい。ちゃんと着るのよ、サンジ君」
  人差し指を鼻先に突きつけて、ナミはそう告げた。
  まるで母親のような仕草だ。いらぬお節介を、と思いながらも受け取るしか他なく、サンジは躊躇いながらもシャツを受け取った。濃いえび茶色のシャツを腕に抱えると、サンジは口の中でボソボソと礼を言った。
  それぐらいのことは、サンジにもできた。



  ナミが去った甲板で、サンジはぼんやりと海を眺めていた。
「俺は……生きたい…──」
  呟きと共に、ほろりと頬にあたたかいものが零れ落ちる。
  サンジ自身となって、生きたかった。もう、あの暗闇と静寂だけの世界に戻るのは嫌だ。二度とあちらの世界には、戻りたくない。生身の人間となって過ごしたせいで、こちらの世界に対するしがらみができてしまった。それが悪いことなのかいいことなのかは、誰にもわからない。サンジ自身にだって、おそらくわからないだろう。
「生きたいんだ。俺は……俺は、存在したいんだよ、畜生!」
  甲板の柵を軽く蹴飛ばすと、鈍い音がした。
  こんな船に乗って、こんな連中と一緒にいたくはないと我を張ってみても、サンジは……心の声である自分の本心は、この船にとどまりたいと願っている。そうしてこれからも、彼らと一緒に航海をしたいと切望している。
  何と皮肉なことだろうか。
  何と、残酷なことだろうか。
  溢れる涙をぐっと噛み殺すと、サンジは男部屋へと向かうため、甲板を後にした。
  手にしたシャツをきつくきつく握りしめ、ただ黙って、階段を下りていったのだった。






to be continued
(H16.8.13)



ZS ROOM                                          6