初めてのお泊り1

  布団の中で同田貫は、きつく目を瞑った。
  ただ目を閉じただけでは昨日の悪夢が鮮明に蘇ってくるから、きつくきつく、目を閉じる。
  昨日、同田貫は取り壊しが予定されている裏庭の体育倉庫で男たちに犯された。
  以前から確執のあった相手だが、まさかこんな手を使ってくるとは思いもしなかった。
  手も足もガムテープやネクタイやベルトでぐるぐる巻きにされ、何人もの男のペニスを後孔に突っ込まれた。
  口や顔に性器を擦り付けてきた男もいた。
  口の中はいまだに青臭く苦い味が残っているような気がするし、尻にはまだ異物が押し込まれているような感じがする。そう言えば、腹の具合もあまりよくない。
  行為の後、体育倉庫には饐えた青臭いにおいが充満していた。誰のものかわからない精液と涎と、裂けた後孔から流れる血と自らが放った小水とにまみれて同田貫はコンクリートの床の上に転がされていた。
  助けに来る者は誰もいなかったが、そうなってかえってよかったと思う。
  弱っているところを誰かに見られるのは、嫌だった。
  だから外れそうなぐらいに広げられた股関節や傷が痛むのも、吐き気がするのも堪えて、なんとか拘束された手足を自由にした。着ていたものはボタンがはじけ飛び、シャツの袖は片方が取れかかっていたが、それでものろのろと身繕いをして、影の中を歩くようにして家へと帰り着いたのが真夜中過ぎのことだ。
  それから時間をかけて風呂を使った。
  こんな時、一人暮らしで助かったと思わずにはいられない。
  天涯孤独の同田貫に、親兄弟はいない。木造建てのアパートで一人暮らしをはじめて二年が過ぎたが、これまでのところ特に不自由を感じたこともない。
  困ったことと言えば、今朝のように具合の悪い時に食事どころか休校の連絡を入れることすらままならないことぐらいだろうか。
  そう言えば、と、昨日の昼に学食で定食を食べてからは何も口にしていなかったことを同田貫は思い出した。
  昨夜は体を洗うだけで精一杯で、食事のことにまで頭が回らなかった。
  朝も、学校へ連絡を入れるだけで体力を使いきってしまい、その後は布団に潜り込んで泥のように眠り込んでいた。
  今が何時頃なのかわからないが、もうとっくに昼は過ぎているだろう。
  食いっぱぐれちまったなと口の中で呟くと、その途端にぐぅ、と腹が鳴った。
  あんな目に遭わされたというのに、腹が減るのが不思議だった。何もなかったかのように、腹が減って、先ほどから空腹で胃がしくしく痛んでいる。
  何か食べるものでも……と思いかけて、冷蔵庫の中が空っぽだったことに思い至る。米はあるが、研いで炊かなければ口にはできない。買い置きのインスタント類ならシンク上の棚を探せば何か出てくるかもしれないが、それだってレンジに入れるかお湯をかけるかしなければならない。今はできるだけ体力を使いたくなかった。
「……水でも飲んどくか」
  微かな溜息と共に小さく呟くと、同田貫は布団の中からもぞもぞもと起き上がる。
  あちこちに掴まりながらようやく立ち上がることができた。それからすぐ目の前の台所へと、すり足で歩いていく。下肢が痺れたような感じがして、歩くのが辛かった。シンクの縁につかまって水道の蛇口を捻ると、水切り籠の中のコップを無造作に手に取り、水を注いだ。
  生ぬるい水をゴクゴクと喉を鳴らして同田貫は飲んだ。腹が減っている今、そんなことはたいして気にはならなかった。
  喉の渇きを潤して一息ついたところで、玄関のブザーが鳴った。
  こんな時間に来客というのもおかしなものだと思いながら同田貫は、伝い歩きをしながらドアのところまで向かう。
  表から聞こえてくる声は、友人の御手杵の声だった。
「同田貫、いるんだろ? 見舞いに来たぞ」
  近所に迷惑ならない程度の声で、ドア越しに御手杵は声をかけてくる。
「おう」
  短く返すと同田貫はのろのろとドアのチェーンを外した。



「風邪で休んだって聞いたけど……お前、風邪なんか今まで一度もひいたことないよな」
  ドアが開くと、いきなり御手杵がそう言い放った。
「はあ?」
  体のあちこちが痛かったが、それ以上に御手杵の言葉が同田貫の胸に鋭く突き刺さる。
「風邪だよ、風邪。馬鹿か、あんたは。俺だってたまには風邪ぐらいひくんだぜ」
  そう言って肩をそびやかすと同田貫は、御手杵に背を向ける。
  立っているのが辛かった。だが、それを御手杵に知られるのはもっと腹立たしい。
  壁に手をやり、すり足で布団へ戻ろうとする同田貫を、背後の御手杵がどう思って見ているかはあまり考えないようにした。
「……熱は?」
  同田貫が布団に戻ると、後をついてきた御手杵がすかさず尋ねてくる。
「熱、あるんじゃないのか?」
  心配そうな眼差しで、同田貫の顔を覗き込んでくる。
  穏やかな性格の御手杵は、短気で喧嘩っ早い同田貫の友人として、いつも絶妙な距離を保ってくれていた。彼がいなければ同田貫はきっと、よからぬ連中と喧嘩三昧の日々を送っていたことだろう。
「ねえよ、んなもん」
  面倒くさそうに返して布団を頭から被ろうとすると、手を掴まれた。
「これ、どうしたんだ?」
  図体ばかりデカくて温厚な御手杵にしては素早い動きだった。力任せに手首を掴まれ、同田貫は思わず小さく呻いていた。
「あ、悪い。痛かったか?」
  慌てて御手杵が手を離す。その場に取り残された同田貫の手首は、赤くなってところどころ皮膚が擦り切れていた。昨日、男たちに手足を拘束された時の跡だと同田貫が気付いたのは、たった今だ。どうりであちこちが痛かったはずだ。
「こ……れ……風邪、か?」
  違うよなと、御手杵の目が告げている。
  しまったと思うが早いか同田貫は、今度こそ本当に布団に潜り込むと、頭から毛布を被って丸くなる。
「お前……同田貫、ちょっと見せてみろ、今の。休んだ理由、風邪なんかじゃないだろう」
  ぐいぐいと布団を引っ張ると、御手杵は同田貫の毛布を取り上げてしまう。
  同田貫の分が悪いのは、本調子ではないからだ。いつもの同田貫なら、こんなことにはなっていないはずだ。
  ムッとして御手杵を睨み付けると、伸びてきた手を力任せに振り払った。
「俺に触るな!」
  低く、腹の底から声をあげるが、御手杵は尚も同田貫に触れようとする。
「駄目だ。見せてみろって、今の傷。また喧嘩したんだろう、お前。こんなことばかりしてたら本当に取り返しのつかないこと……」
  言いかけた御手杵を、同田貫は突き飛ばそうとした。
  体重をかけて体ごとぶつかっていく。普段の同田貫ならそのパワーで御手杵の体格でも弾き飛ばすことはできただろうが、いかんせん今は調子が悪い。
  ドン、と御手杵の胸の中に飛び込んでいくような格好になってしまった。
「いっ……」
  くたりと御手杵の胸に同田貫はもたれかかった。
  体の痛みに加えて、手も足もなかなか思い通りに動いてくれないのだ。
「おい、大丈夫か?」
  優しく同田貫の体を抱きしめると、御手杵は尋ねかけてきた。
  低く穏やかな声が同田貫の耳元をくすぐる。
「……痛てぇ」
  小さく同田貫が呻き声を上げる。御手杵は抱きしめていた手をぱっと離した。
「悪い……痛かったか?」
  気遣わしげに尋ねる声は優しくて、同田貫は惨めさと恥ずかしさでいっぱいになった。
  こんなふうに弱っているところを御手杵に見られたくはなかった。もっと冗談めかして誤魔化すこともできたはずなのに、うまく誤魔化すことができなかったのだ。
「……気にするな」
  返す言葉はしかし、微かに震えていた。
  弱い自分を見られるのが惨めで恥ずかしくてたまらないのに、優しくしてほしいだなんて、随分と自分に都合のいいことを考えているなと同田貫は思う。
  だが、一度でも弱いとこを見せてしまうと、もう歯止めが効かなくなりそうな気もした。
「大丈夫だ……こんなの、唾つけときゃ治る」
  掠れる声でそう告げると、のろのろと同田貫は御手杵の胸の中から離れた。
  御手杵は不安そうに眉をひそめて同田貫を見つめている。
「……わかったよ」
  ふう、と息をついて御手杵は仕方ないというふうに肩を竦めた。
「何があったかは聞かないけど、今日は絶対に泊まっていくからな。こんな状態のやつを一人きりにはできないだろう?」
  人の良さそうな笑みをうっすらと口元に浮かべて、御手杵は言った。
  正直なところ、助かったと同田貫は思った。
  動けない状態で食事を用意するのは至難の業だと悩んでいたところだった。この男が泊まっていくと言うのなら、せいぜい利用してやればいい。弱っているところを見られるのは困るが、それ以上に空腹は困る。
「じゃあ……とりあえず、何か食うもの用意してくれよ」



(2015.4.5)


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