遅れてきた誕生日1

  ハッピーバースデーの声が重なる中、ハルはこの場にいない人の顔を捜して集まった人々の顔を見回した。
  もう、何度目になるだろう。
  今年のハルの誕生日には、自分は日本にはいないとはっきり告げられていたというのに、それでも獄寺の姿を捜してしまうのは、不安だからだろうか。
  今、この場に一緒にいてほしい人は、どこにいるのかわからない。
  まわりの雰囲気に流されて、なかば楽しそうに装いながらも心ここにあらずといった状態でその日をなんとか乗りきったものの、やはり不安はおさまらない。
  ふと気づけば自身の誕生日から半月ばかりが過ぎていて、いちばん会いたい人とはかれこれひと月近くも顔を合わせていないということに思い至った。
  潜入活動の任務が獄寺に割り当てられたのは、ハルの誕生日がやってくる少し前のことだった。ボンゴレファミリーの一員として、そしてボスであるボンゴレ十代目の右腕として、獄寺はふたつ返事で引き受けた。「すぐに戻ってくるから」と軽く言い残して、ちゃんとした別れもできないままに彼はイタリアへと旅立った。
  以来、連絡はひとつもない。
  彼の上司は、中学時代にハルが熱をあげた綱吉その人だ。もしかしたら、声をかければ近況ぐらいは教えてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながらも、身内というだけでそう易々と教えてくれるものだろうかと胸の底では懐疑的になる自分もいる。
  結局、綱吉に尋ねることもできず、余計に膨れ上がった不安を抱えながらハルはさらに一週間を過ごした。
  昼間はまだよかった。誰かしら人の目があったし、一人にならなければよかったから。だが、夜になると一人の時間がやってくる。一人だけであれこれ考えてしまうと、そこから底の見えない深い深い不安が忍び寄ってくる。
  連絡のつかないことが怖かった。
  メールも電話も、手紙すらなく、たった一人で彼の安否を気遣い、ただ待つことを強いられているのが辛くてたまらなかった。
  何度も綱吉に尋ねようとしたが、できなかった。そうしてしまえば楽になるだろうことはわかっていたが、そこからまた新たな不安が訪れるだろうこともハルにはまたわかっていた。
  不安で不安でたまらなくて、夜も眠れない日が続くようになったある日、京子にランチの誘いを受けた。



  オープンカフェのテーブルに並ぶのは、サンドイッチの皿と飲み物、それにサラダだった。思ったほど食欲もなく、かといって二人の手前、食べないわけにもいかず、頼んだカフェオレのカップの持ち手を摘まんだまま、指遊びをして気を紛らわす。
  目の前に座る二人は言葉少なだった。
  そう、ハルとしては京子と二人きりでランチをとるつもりだったのだが、何故だか綱吉も一緒だったのだ。
  とは言うものの、別におかしくもないだろう。結婚秒読みの二人が、昔からの友人を心配するのはなんら不自然なことではない。
  それにしても、とハルは思う。どことなくぎこちない様子でハルの態度をうかがう二人は何を思っているのだろう、と。
  あまりよくない知らせでもあるのだろうかとハルが顔をあげた拍子に、綱吉と目が合った。
「あっ、あの……」
  なにか言いたそうに綱吉が口を開きかける。
  やはりよくないほうの知らせだろうかとハルは微かに表情をこわばらせた。
  覚悟はしていた。綱吉の立場を思えば、恋人の獄寺だって常に危険とは隣り合わせの生活を送っていると言えるだろう。おそらくは、他の構成員だって同じはずだ。つき合い始めたばかりの頃に、いつかその日が来るかもしれないということを覚悟したはずだが、いざとなると体がすくんでしまう。
  わたわたする綱吉を見て、隣に座っていた京子がハンドバッグの中からなにかを取り出した。
「ハルちゃん、これ。夕べ遅くにようやく獄寺君と連絡がついたんだって」
  言いながら京子が手渡してきたのは、小さなボイスレコーダーだった。
「はひっ?」
  小さな小さな機械の塊は、ハルの手の中にすっぽりとおさまるほどの大きさしかない。
「……ごめん、ハル。詳しくは言えないんだけど」
  と、綱吉がボソボソと口の中で呟く。また、ごまかされるのだろうか。いつだったか昔、未来の世界で綱吉に真実を教えてほしいと泣いてすがった記憶がハルの脳裏を掠めていく。
「本当はハルの誕生日の前日に定期連絡が入ることになってたんだけど、事情があってどうしても連絡できなかったみたいで」
  また、女の子たちだけが蚊帳の外に放り出されてしまうのだろうか。
「嘘や隠し事は嫌ですよ、ツナさん」
  先手を打ってそうはっきりと宣言すると、綱吉は少しだけ気まずそうに肩を竦めて京子のほうを見た。
「ツナ君、言ってあげて」
  京子がそっと促す。
  言いにくそうに綱吉は、あー、とかうー、とかボソボソと口の中で何か呟いてから、はあ、と溜息をついた。
「ごめん、ハル。実は昨日の夕方には獄寺君と連絡がついてたんだけど、雲雀さんから待ったがかかって、ハルには教えられなかったんだ。連絡の後、草壁さんが独断でボイスレコーダーを編集してくれたみたいで……それで、ハルに知らせるのが……」
「ハルには内緒なんですよね、お仕事の内容は」
  綱吉や獄寺がどういったことに関わっていて、どんなことをしているのか、今のハルはだいたいのところは知っているつもりだ。だが、やはり女の子だからというだけで、綱吉も獄寺も教えてくれない部分は山とある。特に獄寺は言葉数も少なく、本当のことを話しているのかどうかわからないこともしばしばだった。
「部外秘の任務はハルだけじゃなく、皆平等に内緒だよ、今は」
  昔を思い出しているのだろうか、考え考え、綱吉が言葉を紡ぐ。
「それ以外は当人同士の問題だと思うから、悪いけど後は獄寺君から直接聞いてくれるかな」
  なにも隠してはいないというように綱吉は両手を軽く上げ、ひらひらと振ってみせた。
「でも、その獄寺さんがまだ帰ってこないんですけど」
  唇を尖らせてハルが憤懣やる方ないといった様子で憤るのに、綱吉は困ったようにただただ苦笑するばかりだ。
「そのボイスレコーダーね、夕べ遅くに草壁さんがツナ君のところへ届けてくれたんだよ、ハルちゃん」
  とりなすように横から京子が口を挟んできて、ハルはわずかに眉間に皺を寄せた。
  その後は、綱吉の言葉も、京子の声も、ハルには何一つまともに聞こえてはいなかった。
  ボイスレコーダーを大切そうに握りしめ、深い深いため息をひとつ、ついただけだった。



  どうやって家へ帰りついたのか、自分でもよく覚えていない。
  一年前に実家を出たハルは、マンションで獄寺と半同棲をしている。自分が持つ鍵でドアを開け、部屋にあがる。
  大きな孤独が部屋には居座っていた。
  ドアの閉まる音も、水を出す音も、いちいち耳についてうるさく感じられる。
  キッチンのテーブルの上にボイスレコーダーを置くとハルは、黙々と料理を始めた。
  じゃがいもを鍋に入れるとコンソメ味のスープに浸し、くつくつと煮込む。時間をかけて味を調え、途中でベーコンの欠片を加える。
  椅子に腰を下ろして鍋を見つめながら時折、視線をボイスレコーダーへと向けてみる。
  中になにが録音されているのか知らないが、きっと個人的なメッセージなのだろう。あのいかつい草壁が、雲雀の目を盗んでメッセージを編集してくれたのだと思うと、少しドキドキする。
  いい知らせなのか、悪い知らせなのか、それすらか聞かずに二人と別れてしまったことをハルは少しばかり後悔した。だが、聞いたところで気持ちが落ち着くかというと、それも怪しいところだ。
  鍋が立てるコトコトという音と、優しいじゃがいもの香りがキッチンに広がっていくにつれ、ハルの気持ちも穏やかになっていく。
  多分、ボイスレコーダーのメッセージを聞いても落ち着いていられるだろう。
  コンロの火を止めてようやくハルは、ボイスレコーダーを真っ直ぐに見つめることができた。
  ボイスレコーダーのスイッチを入れるとカチ、と微かな音がした。
  この中には獄寺からのメッセージがおさめられている。小さな機械の塊を握る手が震えて、うまくスイッチを押すことができない。
  何度かスイッチを押したところで、人の気配がすることにハルは気づいた。
「なにやってんだ、こんな時間に」
  怪訝そうな声は、ハルが会いたいと切望していた人の声だった。
「ご……く、寺……さん?」
  なんで、と呟くよりも早く、抱き締められていた。
「遅くなって悪かった。欲張ってあれこれ調べてたら思ったより時間がかかっちまってな」
  トクン、とハルの心臓が鼓動を脈打つ。
「無事でよかったです。連絡がないから心配で、不安で……」
  怪我はないのか、そのことばかりが気にかかっていた。もしかしたらもう会えないのではないかと思うと、怖くて怖くてたまらなかった。
  小さく震えると、その震えをかき消すかのように、獄寺の腕に力がこもる。
「昨日の夕方にやっと十代目に連絡を入れることができたんだ」
  それは、知っている。ランチの時に綱吉がそんなことを言っていた。
「連絡を入れたときにはもう日本に戻ってたんだけどな、雲雀のやつが色々とうるさくて」
  言い訳がましく呟く声が、ハルの耳に響いてくる。
「……遅すぎです」
  ぽそりと告げたハルの声は、あからさまに獄寺を非難した。
「遅いですよ、獄寺さん。もっと早く連絡をくれてもよかったんじゃないですか」
  誕生日の少し前に「行ってくる」と告げられてから、顔を合わせることもできなければ声を聞くこともできず、やきもきしながらただ帰りを待つばかりだったのだから。
「だから、任務の都合で……」
  またしても言い訳だ。女の子を蚊帳の外に放り出して、男の子たちだけで何もかも知っているという優越感に浸るのだろう、きっと。
  獄寺の腕の中でもぞりと身じろいだハルは顔を上げると、恋人をぎっと睨みつけた。



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