『Dare 1』
(作:篠宮 めえ)
物陰に隠れてサンジは、見てしまった。
できることならば目にしたくなかった光景を、知りたくはなかった現実を、その瞬間に思い知らされた。
自分では駄目なのだと、何故だかそんな風に思ってしまった。
穏やかな潮風に吹かれて、サンジはじっとその光景を見つめていた。
いつものように昼寝をするゾロの傍らにしゃがみ込むと、あたりの様子をきょろきょろと確かめ、確かめしながらルフィはそっと顔を近づけていく。
サンジのいる位置からは逆光となっていてよくわからなかったが、それでも想像ぐらいはすることができた。
唇と、唇が、触れ合う瞬間──
そよそよという風の音がサンジの耳のそばで響いている。
くるりと踵を返すと、サンジはキッチンへと向けて足早にその場を立ち去った。
つん、と鼻の奥が痛い。
パタン、と音を立ててキッチンのドアを閉めるとシンクの下からタマネギを取り出し、手当たり次第みじん切りにし始めたのだった。
サンジがその気持ちに気付いたのは数ヶ月ほど前のことだ。
最初は、気になるだけだった。掠れた低い声や、ごつごつとした手が気になった。あの声で仲間を思いやるくせに、サンジに対しては辛口の言葉を返すばかりだった。ごく稀に機嫌のいい時には笑いかけてくれたりもするが、たいていは寝てるか食べてるか怒っているかのどれかだった。そのくせ、あの手は妙なところで優しいのだ。優しくて、穏やかで、そして冷たい。まるで諸刃の刀だ。油断していると怪我を負う。そんな緊張感が、たまらなくいい。
ちょっかいを出してみようと思ったのは、ゾロの誕生日が近付いてきた頃だった。
清廉潔白な顔をして常に硬派を気取っているゾロを、からかってやろうと思っていたのだ、最初は。
セックスがどんなものかを思い知らせてやりたい一心だった。
なのに奴は、サンジのセックスがよくないと言う。それは本当のセックスではないと、頭ごなしに否定された。抱いておいてそれはないだろうと思ったが、何故だか反論することが出来なかった。
その頃にはもう、ゾロのことが気になっていたのだろう。たった一度きりのセックスだったが、あの時のことを思い出すと今でもサンジの身体は甘く疼いた。少し高い体温に抱かれたいと、サンジの胸はキリキリと痛む。抱きしめて、キスしてもらいたい。体中余すことなく指で、唇で、舌先で触れてもらいたいと、腹の奥底が疼き出す。
叶わないこととわかっていて尚、この身体は疼くのだ。
「ああ……」
溜息を吐いて、サンジは口にくわえていた煙草をポイ、と海に投げ捨てる。
穏やかな海だけが、サンジの溜息の理由を知っていた。
真夜中のキッチンで、サンジは自慰行為に耽っていた。
昼間の光景が忘れられず、嫉妬にも似た悔し涙を目尻に浮かべながらサンジはゾロの手つきを思い浮かべる。
あの男の手は優しかった。ごつごつと節くれ立ってはいたけれど、丁寧にサンジの身体を愛撫してくれた。ざらりとした感触の舌は奔放だった。乳首を舐め上げられると、サンジの身体はピクピクとなった。まるで岸に打ち上げられた魚のようで、どことなく惨めだったのを覚えている。自分ばかりが気持ちよくて流されているような感じがして、居心地が悪かったのを覚えている。
からかい半分で手を出した相手に、ここまで入れ込んでしまうことになるとはサンジ自身、思ってもいなかった。
自分の手でペニスを扱くのは寂しかった。
どれだけ快楽を追い求めても、手に入れることの出来るものはほんのわずかなちっぽけな快感だけだ。擦れば勃起するし、それなりに気持ちもよくなる。だけど、それだけ。それ以上のものを得ることはできない。
こんなにも、焦がれているのに。
こんなにもあの男のことが気になっているのに、思い通りにいかない現実に子供っぽい癇癪を起こしてしまいそうになる。
あれから……あの男とセックスをしてから、どうにも触れてもらいたくて仕方がない。
セックスをしたのはただの一度きりだったが、あの時の記憶を頼りに、サンジは毎晩のようにマスターベーションをしては満たされない身体をどうにか宥めすかしていた。
特に、養父とコック仲間とを交えた思い出したくもない乱交の夜以来、サンジの身体はゾロを求めるようになっていた。
それなのにあの男は、すかした顔をしてサンジを無視するのだ。
触れるどころか、声さえもかけてくれない男のことを思って自慰行為に没頭する自分が情けなくて、もうこれで最後にしようと思うのだが、夜になるとはまた、キッチンでマスターベーションをしてしまう。
ズボンのチャックを全開にして、解放されたがる熱をぎこちなく放出する。自分の手だけではもどかしくて、何度もサンジは嗚咽を噛み殺さなければならなかった。
明け方の湿った空気でサンジは目を覚ました。
じっとりとした生暖かい空気が、寝苦しさを呼び寄せていた。
いつもよりかなり早い時間だったが、サンジは起き出した。キッチンに行けば、冷たい水がある。水でも飲んで、少しゆっくりとしよう。それから朝食の支度に取りかかったとしても遅くはない。
頭が痛いのは、よく眠れなかったからだ。
眠ろうとすると、ゾロとルフィがキスしている光景が頭の中に浮かんできて、サンジの眠りを妨げた。
嫌になるほど何度も同じシーンを繰り返し見て、精神的にも疲れ果ててうとうととしたのが明け方近くのことだ。
思い出したくもないのに鮮明に頭の中に蘇ってくるその光景は、色褪せることもなく、サンジの頭の中を巡っている。今もそうだ。途切れることなく頭の中に浮かび上がってきては、サンジを悩ませる。
あの男はルフィのことが好きなのだと、サンジの心を苛もうとする。
溜息を吐いて甲板に上がると、すぐ目の前にはゾロが佇んでいた。
「なんだ、もう起きてきたのか」
目があった瞬間、ゾロが声をかけてきた。
「お……おう」
寝苦しくて仕方なく起きたのだと、サンジは肩を竦めた。
返しながら、ゾロに昨日のことを尋ねようかどうしようか考える自分がいた。
ゾロはいったい、ルフィのことをどう思っているのだろうか。キスをするほどの仲だから、もちろん嫌いではないはずだ。いったいこの二人はどの程度の仲なのだろうか。
どう切り出したら知りたい答えを手に入れることが出来るだろうかと密かに考えながら、サンジはズボンのポケットから煙草を取り出した。火をつける手が、微かに震えている。
風を避けるふりをして、ゾロから顔が隠れるように半分背を向けて煙草に火をつけようとした。
「そっちは風上だぞ」
冷ややかな声が、サンジの肩をビクリと跳ね上がらせる。
「お前……この間から、何をビビッてんだ?」
不意にゾロが、そう尋ねた。
To be continued
(H17.2.25)
|