『Dare 4』
(作:篠宮 めえ)



  幸せは感じなかった。
  ゾロに抱かれたなら自分はきっと幸せになるだろうと思いこんでいたが、現実はそうはならなかった。
  身体は満たされた。あの瞬間だけ。その日からサンジは、別の思いに苛まれている。
  キッチンでのマスターベーションがなくなった分を埋めるように、アルコールにのめり込み始めたのだ。料理用の酒を寝る前に、一口、二口。量は日に日に増えていき、身体はもっと強いアルコールを求めだした。仲間たちはまだ、そんなサンジに気付かない。
  気持ちが内へと向かっていくのは、ゾロとルフィが口づけを交わしていたからだ。あの口づけの意味を、サンジは知りたかった。あれ以来、二人が仲良く言葉を交わしているところを何度も目にしたが、それは恋人同士というよりも仲のいい友人同士のようで、どう見ても色恋に繋がるような雰囲気ではない。あの時、何故、二人はキスしていたのだろう。何故、自分が甲板にいる時を選んで、唇を合わせていたのだろう。
  煙草の本数もいつの間にか増えていた。
  苛々すると、サンジの手はポケットに伸びていた。余分に買い溜めておいた箱がひと箱、またひと箱と減っていくのを目にしながらも、サンジは仕方がないと煙草に手を伸ばす。煙草を吸っている間は、気分が落ち着いた。
  精神的なストレスから少しこけた頬が、サンジの身体から色めいた香りを引き出しつつあった。



  就寝前の一口は、一週間でコップで一杯へとかわっていた。
  その夜、サンジは料理用の酒はこれ以上は使えないと、ゾロの酒に手を出してみた。いい加減なあの男のことだ、少しぐらい減っていても、気付くことはないだろう。
  こっそりと飲んでみると、なかなかの口当たりの良さに、ついつい二杯目、三杯目と手が出てしまう。
  たまにはいいものだと調子にのって飲んでいると、不意にキッチンのドアが開いた。
「あ……」
  言葉が、出なかった。
  手にしたコップを隠す暇もなく、ただただ、じっとゾロの顔を凝視していた。
  ゾロはくい、と片方の眉をつり上げ、ぎろりとサンジの手元のコップを剣呑にひと睨みする。
「コップ酒? お前が?」
  低い声はしかし、サンジを非難しているようなものではなかった。スタスタとゾロは部屋に入ってくると、黙ってサンジの手からコップを取り上げた。
「もったいない飲み方してんじゃねぇ。ガキか、お前ぇは」
  そう言いながらもゾロの声色は優しく、サンジは胸の奥にちりちりと焼け付くような痛みを感じた。
「そういう気分なんだよ、悪りぃか、ああ?」
  遅蒔きながらもサンジが言い返すと、ゾロはにやりと笑って返した。
「そうか。そりゃ、偶然だ。俺もそういう気分なんだ」
  そう言うが早いかゾロは、サンジの正面の椅子にどっかと腰掛けた。榛色の穏やかな眼差しがじっとサンジを見据え、ゆっくりと唇が開いていく。
「もらってもいいか?」



  ゾロがコップを手に取った。今の今までサンジが使っていたコップだ。そこに一升瓶からトクトクと酒を手酌で注ぎ、ぐい、と一気に煽り飲む。
  ごくごくと酒を胃袋に流し込む瞬間、ゾロの喉仏は大きく上下し、サンジの目に焼き付いた。
  この男はなんでこんなにも無防備なのだろうかとサンジは思った。
  あまりにも無防備すぎて、嫌になるぐらいだ。
  戦いの最中には見せないあどけない仕草を時折、この男はする。それも、決まってサンジが油断している時にするのだ、この男は。まるで、わざとサンジを骨抜きにしようとしているかのようで気に喰わない。
  不機嫌を隠すことなくサンジは正面に座るゾロを睨み付け、手元に置いていたコップを取り上げた。
「今日は一人で飲むつもりなんだ。邪魔すんな、マリモ男」
  サンジはそう言うとコップに新たな酒を注ぎ、ぐびりと一口、喉の奥に流し込んだ。カッ、と焼けるような熱が喉を駆け下り、蛇のようにのたうちながら胃袋へと向かって流れ込んでいく。口当たりはいいが、普段アルコールを飲み慣れない者には強すぎるかもしれない。
  ゾロの視線が気になった。
  勢いよく次から次へとサンジが酒をかっ喰らっている姿を、ゾロは黙って眺めている。
  文句を言うでもなく、止めるでもなく、ただ黙ってじっとサンジを見つめている。
「あんだよ、何か用なのか?」
  投げやりな調子でサンジが尋ねた途端、手にしたコップを取り上げられた。
「何すんだ、このクソマリモ!」
  勢いよく立ち上がると、くらりと目眩がした。慌ててテーブルに手をつき、身体を支える。一瞬、意識が途切れそうな感じがして……次の瞬間、サンジはゾロに肩を抱かれていた。
「もったいない飲み方はするな」
  耳元で囁かれた。
  背筋がゾクゾクする。
  顔を上げてゾロを睨み付けようとしたところでごつごつとした手が頬を包み込んできて、唇を奪われた。



  なし崩しにゾロのペースで抱かれそうになり、サンジはぐい、と両手で男の筋肉質な胸を押し返した。
「そんな気分じゃねぇんだ。悪りぃな」
  実を言うと、ゾロに抱かれてしまうことが恐かった。セックスに持ち込まれてしまったらサンジは、ゾロの言いなりになってしまいそうだった。それが恐かったのだ。それだけではない。目の前に突きつけられたルフィとゾロとの関係が、胸の片隅に引っかかってそんな気になることができないというのもある意味、本当のことだ。
  拒まれたゾロは何やら意味深な眼差しでギロリとサンジを睨み付けると、そっと離れていく。
  何か言わなければ。サンジは舌が口の中にはりついて、動かなくなっていくのを感じた。今の今まで酒を飲んでいたのに、喉 がからからに渇いている。声が出てこない。
  ルフィとのことを尋ねるにはいい機会だと思うのに、サンジは何も尋ねることもできず、じっとその場に立ち尽くすばかりだ。
「おい、それはいったい何に謝っているんだ?」
  立ち尽くしていると、ゾロの声が追いつめるようにサンジの耳の中で反響した。
「……どう…──」
「お前、今、なんで謝った」
  言いかけたサンジの言葉を遮って、ゾロが詰問する。抑制されたゾロの声は、それ故、サンジには怖ろしく感じられた。
  自分はいったい、何に謝ったのか──ゾロに尋ねられたままにサンジは考えてみる。自分はいったい、どこで何をどう間違えたのだろうか、と。これが普段の喧嘩だったなら……仲間同士のコミュニケーションとしての喧嘩だったなら、サンジは謝っただろうか?
  おそらくサンジは、謝りはしなかったはずだ。
  今、サンジが謝ったのは、自分自身に対してだ。本能に逆らってゾロとのセックスを拒んだことに対する、自分へのいいわけとして、サンジは謝ったのだ。
  セックスはしたいけれど、ゾロの言いなりになるのはまっぴらだ。だから、自分の欲望を理性で抑え付けた。明らかにこれは、自分の中の欲望に対する謝罪だった。
  ガン、と後頭部を鈍器で殴られたかのようだ。
  サンジは握りしめた両の拳にぎゅっ、と力を入れた。



  もどかしい思いと苛立ちが、サンジの中で交差していた。
  自分がどうしたいのかわかっているのに、思うように行動できない天の邪鬼な自分がいる。ゾロに、自分のことを理解して欲しいと思っているくせに、理解してもらえるように自分から動きかけることにある種の諦めのようなものを持っている。説明するまでもないと、もしかしたらサンジ自身、心のどこかで思っているのかもしれない。
「言えよ。なんでお前、謝ったんだ。あ?」
  ぎろりと睨み付けるゾロの眼差しは優しくて、怖かった。
  精一杯の虚勢を張って、サンジは肩を竦めた。なるべく、おどけた調子で、いつもの自分らしく見えるように。
「さあ、なんでだろうな。気付かなかったぜ」
  唇の端をつり上げてサンジはぎこちなく笑う。目頭が熱くて、今にも泣き出しそうだった。
  もう、これ以上は追求しないでくれ──そんな風にサンジは思っていた。これ以上、問いつめられたら……きっとサンジは、弱い自分をさらけ出してしまうことになる。泣きだして、駄々をこねて。九歳の子供みたいに、地団駄を踏んで我が儘を言ってしまう。
  じっと黙り込んで立っていると、伏せた視線の隅っこで、ゾロが身じろぎするのが見えた。






To be continued
(H17.5.20)



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