お泊まりのお誘いは、うまくいった。
どうにか獄寺に伝えることができたのは、山本が合流するまさに寸前のことだった。獄寺が頷いたその直後に山本が姿をあらわしたものだから、もしかして山本は物陰に隠れて二人の会話を聞いていたのではないかとドキドキしたが、どうやら綱吉の杞憂だったらしい。
後は早く授業が終わらないかと願うばかりで、その日の午前中はそわそわしっぱなしの綱吉だった。
午前中の授業が終わると、クラスの皆は慌しく帰路につく。週明けにはテストだから、テストのことでたいていの者は頭がいっぱいになっているのだろう。
綱吉のように、頭の中に春がやってきている状態の者は、おそらくいないのではないだろうか。
それでも、獄寺はただテスト勉強のついでに泊まっていくという認識しかないはずだから、綱吉のような下心ややましい気持ちを持っているわけではない。
それでは、どうやってそういう雰囲気に持っていけばいいのだろうか。
荷物を纏めながら綱吉は、珍しく難しい顔をしている。
獄寺をお泊まりに誘うところまではなんとかなったが、その先は、どうすればいいのだろう。泊まっていきますと獄寺は快く頷いてくれたものの、それだけだ。もっと一緒にいたいという綱吉の下心があってのことだろうとは、獄寺はこれっぽっちも思っていないだろう。
なんだか、ひどくズルいことをしているような気がする。
ごめん、と綱吉は口の中で呟く。
獄寺を独占したくて、自分だけのものにしたくて、仕方がない。いつもそばにいてほしい。だけど、そんな想いを口に出してはっきりと告げてしまったなら、いくら恋人とは言っても、獄寺はもしかしたら困るかもしれない。
我儘は言えないと、綱吉は思う。
その一方で、好きな相手を独り占めしたいとも思う。
相反する気持ちに、綱吉の気持ちはフラフラと自分に都合のいいほうへといってしまいそうになる。
本当に、どうしたらいいのだろう。
学校が終わると、三人でいつもの道を歩いて帰る。四つ角の分かれ道でなに食わぬ顔をして獄寺と山本の二人と別れた綱吉は、そそくさと一人、家へと帰る。
獄寺とはこの後、約束をしている。昼食がすんだらお泊まりの用意をして伺いますと、獄寺は返してくれた。家に来るのが何時頃になるのかまでは聞いていないが、そう遅くなることはないだろう。
獄寺が来るまでの時間が、待ち遠しい。待ち遠しくて、少し楽しみで、ドキドキする。
獄寺が家に来ることなんてしょっちゅうあることなのに、今日の綱吉は少し変だ。いつもとは違う。
おそらく、今夜は綱吉の部屋に獄寺が泊まっていくことになっているからだろう。
テスト勉強のためという大義名分があるものの、もしかしたら獄寺となにかしら色めいたことがあるかもしれないと思うと、それだけで綱吉は落ち着かない気分になってくる。
ソワソワ、ドキドキの繰り返しだ。
ただいまの挨拶もそこそこに二階の自室へと駆け上がると、ベッドの上に荷物や着ていた制服を投げ出す。お気に入りのパーカーシャツとジーンズに着替えると、部屋の中をさっと片づけて、テスト勉強の道具を用意して。綱吉は、獄寺が来るのを今か今かと落ち着きなく待っている。
折りたたみ式の丸テーブルの前でちんまりと正座をしたものの、勉強が手につかないほどソワソワしながら待っていると、そのうちに玄関の呼び鈴の音か聞こえてくる。
「来たっ!」
慌てて立ち上がった拍子に、テーブルの端に膝をぶつける。
「あ痛っ……」
膝をさすりながらも部屋のドアまでなんとか駆け寄ったところで、さっとドアが開いた。 「十代目?」
「あ……」
怪訝そうな獄寺の顔がすぐ目の前にある。
「そこのテーブルに蹴躓いて……」
ははっ、と乾いた笑いを浮かべると、大丈夫っスか? と真面目な顔で心配をされた。
膝は痛いし、恥ずかしいやら嬉しいやらで、綱吉は複雑な気分だ。
「それより獄寺君、どうぞ座って。テスト範囲、わからないところだらけだから教えてもらおうと思って待ってたんだ」
もっともらしい言い訳を綱吉がすると、獄寺はチラリとテーブルに視線を馳せた。
「ここ、座ってもいいっスか?」
ちょうど綱吉と対面になるような位置に座布団を動かすと、返事も待たずにさっさと腰を下ろす。
「どこで詰まってるんですか? 計算式ですか? それとも、……ああ、文章題っスか」
逆さからノートや問題集を見てわかるのだろうかと綱吉が心配する必要もなかったようだ。獄寺は、問題を解く綱吉の手元をじっと見ている。
見られるとやりにくいなと思いながらも、自分からテスト勉強を一緒にしようと誘った手前、問題集を解かなければと綱吉も必死になる。鉛筆を動かし、何度も問題を繰り返していく。詰まると、そのたびに獄寺がヒントを出してくれる。一問解くと、それだけで小さな達成感が生まれた。獄寺が「できてるじゃないっスか、十代目!」と言って一緒に喜んでくれるから、今度はずいぶんと時間がかかったが、一頁を頑張って終わらせた。そうすると獄寺はもっと嬉しそうにニカッと笑って、綱吉と一緒にまた喜んでくれた。
これなら頑張れそうな気がする。俄然やる気の出てきた綱吉は、テスト範囲をひとつずつ勉強していく。
「獄寺君が一緒だと、勉強も捗るみたいだよ」
そう告げると、獄寺は照れたように頬を赤らめた。
適当なところでテスト勉強を切り上げると、もう夕飯の時間だった。
「ツッ君、獄寺君も。お夕飯できてるから、おりてらっしゃい!」
階下から母の奈々が声をかけてくる。
「はーい!」
二人して声を張り上げて、軽快な足取りで階段をおりていく。
楽しいかった。獄寺がそばにいるだけで、こんなにも楽しくて、嬉しい気持ちでいっぱいになるのだと綱吉は知った。今まで、気づいているようでその実、気づいていなかったのかもしれない。獄寺がそばにいてくれることの嬉しさや楽しさに、もしかしたら自分は慣れきってしまってはいなかっただろうか。
「ありがとう、獄寺君」
階段をおりきったところで綱吉は、小さく声をかけた。
「え……いや、そんな……十代目のためなら、これぐらいたいしたことないっス!」
いつでも言ってくださいと胸を張る獄寺に苦笑いを浮かべながら、綱吉はキッチンへと向かう。もう皆、食卓についていた。遅れてきた綱吉と獄寺を、母があたたかい笑顔で迎えてくれる。
「お勉強、捗った? 今日は獄寺君が来てくれているから、ツッ君も珍しく頑張ってるわよね」
ニヤニヤと笑いながら奈々が言う。
「もうっ、なに言ってんだよ、母さん!」
そんなことはない、とは言えない。獄寺がいるから、少しは頑張らないとと思ったのも事実だ。
母にからかわれながらもなんとか夕飯を平らげ、獄寺と交替で風呂を使う。
獄寺が風呂に入っている間、綱吉はリビングでのんびりとテレビを見ていた。昼間は少し、張り切りすぎたかもしれない。
「ツナ。獄寺に勉強を教えてもらえて嬉しいのかもしれないけれど、あんまり頑張りすぎてテスト当日に気力が切れるようなことのないようにな」
ニヤリと笑って、リボーンが背後から声をかけてくる。
「なっ……そんなこと……」
絶対にないとは言い切れないところが、辛いところだ。気まずそうに善処しますとだけ綱吉は呟いた。
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