テスト前の憂鬱 1

「そろそろ休まれたほうが……」
  うかがうように声をかけられ、綱吉はハッと目を開けた。
  ここ何秒かのことだろうが、うたた寝をしていたらしい。
  獄寺の声は耳に入ってきたものの、一瞬、自分が何を言われたのか把握するために考え込んでしまった。
「あー……多分、大丈夫」
  眠たいことにかわりはないが、せっかくテスト勉強につき合ってくれているのに、教えてもらう側の自分が気遣ってもらっていたら話にならないではないか。
  眠い目をごしごしと擦ると綱吉は、「大丈夫」ともう一度呟く。
「せっかく獄寺君に教えてもらってるんだから、頑張らないとね」
  にこりと笑って綱吉がシャープペンを握り直すのを、獄寺はどこかしら心配そうな表情をして見つめている。
「もう、やだなぁ。ちゃんと起きてるってば」
  誤魔化すように綱吉が笑って言うと、獄寺は申し訳なさそうに目を伏せた。
「……そこ、さっき説明したところっス」
  気まずすぎてたまらない。
  一瞬にして部屋の中の空気が淀んでしまったような気がする。それ以上は綱吉も誤魔化すことができず、しょんぼりと肩を落として、ただただ溜息をつくばかりだ。
  伏し目がちに、ローテーブルを挟んで向かい合って座った獄寺をちらりと見ると、彼は至極真面目な表情で綱吉を見つめていた。
「テストまでまだ三日もあります。この調子でいけば、十代目なら充分楽勝っスよ」
  気楽に言ってくれると思ったものの、そろそろ冗談抜きで本当に眠たくなってきたような気がする。
「そうかな」
「そうです!」
  いつも以上に力一杯獄寺が言うので、綱吉は淡く笑みを浮かべた。
「ありがとう。明日はちゃんと頑張るから……その、わからないとこが出てきたら教えてくれるかな」
  上目遣いに獄寺の顔をちらりと見れば、真摯な眼差しが綱吉を見つめている。
「もちろんです、十代目」
  力強く頷かれ、途端に綱吉は赤面した。
  こんなふうにあからさまに好意を向けられるのは、照れ臭い。
  いくら獄寺と恋人同士のつき合いをしているとはいえ、まだまだ初な綱吉だったから、こういうふうにあけっぴろな態度で好意を示されると困ってしまうことがある。綱吉が恋愛初心者だということは獄寺も知っているはずだが、綱吉にしてみれば、こういった些細なひとつひとつが恥ずかしくてたまらないのだ。
「本当にごめん、獄寺君。オレ……」
  言いかけた綱吉の唇の前、触れるか触れないかの微妙な距離にスッ、と獄寺の指が立てられる。
「今日はゆっくり休んでください、十代目」
  そう言って笑う獄寺の横顔は妙に男らしくて、綱吉にはその横顔がいつもより数倍格好よく見えた。



  自宅の門扉の前で獄寺にさよならを言って、別れた。
  沢田家から自宅マンションまでの距離を獄寺は、歩いて帰るらしい。もう随分と遅い時間だったから、泊まっていってもらえばよかったと後になって綱吉は思った。
  ベッドに入って枕元の時計を見たときにそのことに気づいたものだから、時既に遅し、だ。今ごろ獄寺は家に帰り着いていて、風呂に入っているか、早ければベッドに潜り込んでしまっているかしているだろう。
  明日の朝、学校へ行く時にでも獄寺に勉強会を兼ねて泊まりにこないかと尋ねてみようと綱吉は思う。
  綱吉の勉強を見に来てもらっているというのに、あまり遅い時間に帰ってもらうのも気の毒だ。それなら泊まっていってもらったほうがいいだろう。
  幸い、明日は土曜日だ。
  午前中は半日授業があるから、獄寺の予定さえ合えば午後からはずっと一緒に過ごすことができるかもしれない。
  そんなことを考えながら綱吉は、眠りに落ちる。
  テスト前だというのに眠っている間に幸せな夢を見たような気がするが、目が覚めた時にはどんな夢を見ていたのか覚えていなかった。
  ベッドの上で大きく伸びをして起きあがると、いつもより気合いを入れて制服に着替える。いつもと変わり映えのしない朝だ。のんびりと朝食を口にしているとあっと言う間に家を出る時間がやってくる。忘れ物のないように前の晩に用意をしたはずなのに、あれがない、これがない、とバタバタしていると、玄関口に獄寺が迎えにやって来た。
「おはようございます、十代目」
  獄寺の声が聞こえる。たったそれだけで、綱吉は焦ってしまう。早くしないと獄寺に迷惑をかけてしまう、必要以上に待たせてしまうと、慌ただしく玄関口に飛び出していったものの、母の「カバンを忘れてるわよ」の一言で、恥ずかしいのと情けないのとが入り交じった、なんとも言えない複雑な気分になってしまう。
「行ってきます」
  キッチンで片づけを始めた母に言い放つと、ドアをバタン、と閉める。少し乱暴だったかもしれない。そっと背後を振り返り、ドアがちゃんと閉まっていることを確かめてから綱吉は改めて、獄寺のほうへと向き直った。
「おはよう、獄寺君。遅れてごめん」
  気まずそうに綱吉が言うのに、獄寺はにっこりと笑って「おはようございます、十代目」と返してくる。
  和やかな様子の獄寺を見ていると忘れがちだが、これでも転校してきたばかりの頃には硬派で通していたはずだ。それが自分や山本と一緒にいる時間が増えるにつれて、感情表現が豊かになったと綱吉は思う。もちろん、初対面の頃から獄寺は自分の意見はしっかりと持っていたし、それを表に出すこともしていた。だけど、今の獄寺のほうがずっと獄寺らしくて、いい。大口を開けて笑ったり、綱吉のために怒ってくれたり、山本とやかましく口喧嘩をしたり。そんな獄寺のほうが、同い年だということを実感することができて嬉しい。
  しばらくは黙ったまま二人で肩を並べて歩いた。この先の十字路で山本と合流するから、テスト勉強を一緒にするために泊まりにきてほしいと頼むのなら、今しかチャンスはない。帰りはきっと山本も一緒だろうから。
「天気、いいっスね」
  ポツリと獄寺が呟いた。
「……うん」
  先週は肌寒くてどんよりと曇った日が多かった。今週は月曜日からカラリと晴れた日が続き、どちらかというと暑いくらいだった。そろそろ晩秋だというのにこんなにあたたかくて大丈夫なのだろうかと、心配になるほど陽気のいい日が続いた。
「テスト、さっさと終わればいいっスね」
  そう言って獄寺はニカッと笑う。テスト最終日は午後から二人でサイクリングに出かける約束をしていた。山本のいない、二人だけの遠出だ。
「うん」
  頷いて綱吉は、やっぱり言い出しにくいなと思う。
  ひとつには、親友の山本を裏切って獄寺と二人だけで勉強会をしようとしていることが後ろめたかったから。もうひとつには、そんな後ろめたい感情を持ちながらも獄寺を一人占めできることが、密かに嬉しくてたまらないからだ。
  なんて複雑で自分勝手なのだろう、この気持ちは。
  どう伝えるべきか悩みながら歩いているうちに、とうとういつもの十字路が見えてくる。
  山本の姿は、まだ見えない。
  言うなら今だと綱吉は思う。
  山本がいない今だからこそ、獄寺を誘うことができるのだ。
「あの……ごっ、獄寺君!」
  わけもなく緊張しているからだろうか、声が裏返ってしまった。みっともない。それでも獄寺は、からかうでもなく急かすでもなく、綱吉の言葉をじっと待ってくれている。
「き、今日っ……テスト勉強の後、うちに…その、泊まってって……くれ、る?」
  最後のほうになると声は掠れるし、震えるしで、情けなくて仕方がなかった。
  ちらりと上目遣いに獄寺を見遣ると、彼は嬉しそうに大きく頷いた。
「お邪魔でなければ、是非!」



(2012.11.11)
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