テスト前の憂鬱 3

  風呂上りのほこほこの体で二人して綱吉の二階の部屋へと戻る。
  あともう少しだけテスト勉強をして、それから寝るつもりだ。
  勉強を再開してすぐに、母が二階にあがってきた。
「ツッ君、ちょっと……」
  細めにドアを開けてこそこそと母が呼ぶのに、綱吉は億劫そうに立ち上がって部屋の外へと出る。
「なに?」
  いつになく気まずそうな母の様子に、いったいなにを言われるのだろうかと綱吉も軽く身構えてしまう。
「あのね、ツッ君。獄寺君のお布団なんだけど、さっきランボちゃんがおねしょちゃったから、お客様用のお布団がないのよ。悪いけど獄寺君と二人でベッドのほう使ってくれる?」
  ごめんねと謝る母に苦笑いを浮かべながらも綱吉は、大丈夫だよと返した。
「いいよ。オレのベッド、二人で使うから」
  言いながら綱吉は、頬に熱を感じていた。
  まさかこんなふうにしてチャンスが巡ってくるとは。
  これで大きな顔をして、獄寺と二人でひとつの布団を使うことができる。なにしろ、予備の布団がないという正当な理由があるのだから。
  やましい気持ちにかわりはないが、おかげで罪悪感は薄まった。それもこれも、いつもは邪魔ばかりしてくるランボのおかげだ。
  心の中で小さくガッツポーズを作った綱吉は、にこやかな笑みを浮かべて部屋に戻ったのだった。



  好きだからもっと一緒にいたい。くっついていたいと思う。
  自分たちの歳を考えたらまだまだ色事には早いものの、手を繋いだり、軽く相手の体に触れたり、キスしたり……ぐらいは、すませていても大丈夫じゃないかと綱吉は思っている。
  外国育ちの獄寺のことだから、キスぐらいはしてくれるかなと思っていたが、そのあたりのことに関して言うと、綱吉に対しては比較的礼儀正しい獄寺らしくたまに手を繋ぐぐらいで、これまでのところキスなんて一度だってしてもらったことがない。
  男同士で恋人同士だからだろうか、それとも自分にキスをしたいと思わせるだけの魅力がないからだろうかとあれこれ悩んだ綱吉だったが、どうもそれとは異なる理由で獄寺は、キスをしないようにしているようだった。
  触れてほしいし、キスもしてほしいのにと綱吉は思っている。
  そんな気持ちを抱えたまま恋人としてつき合い始めて、かれこれひとつき以上が過ぎている。
  好きだと言ってくれたことは嬉しかった。大切に想っていると言う獄寺のその言葉も、事実だと思っている。
  では何故、触れてくれないのだろう。キスしてくれないのだろう。
  こんなふうに二人きりでテスト勉強をしていると、少しずつ頭の中がボーっとしてくるような気がする。獄寺のことばかりが頭の中を占めていき、いつの間にかテスト勉強のことなんてどうでもよくなってしまっている。そんなことを繰り返しながら、なんとか問題を解いていく。
  週が明けたらすぐにテストだ。
  頑張らないと、わざわざ獄寺に来てもらった意味がなくなってしまう。
  そうは思うものの、思考はあっという間に別のことへと変わっていく。
  ──お客様用の布団がないから、オレのベッドで一緒に寝ることになるけど、構わない?
  そろそろタイミングを見計らってそう言わなければならないことはわかっているが、なんだか下心が透けて見えそうな気がして、ドキドキしてくる。
  二人でひとつのベッドに潜り込んで、なにもない恋人同士がいるだろうか?
  やっぱり、キスくらいはするよな……こっそりと口の中で呟いてみる。すると、キスという単語がやけに生々しく感じられて、急に恥ずかしくなってきた。
  問題を解いていた手を止めて、あっと思った時にはすっかり綱吉の顔は真っ赤になっていた。頬も耳たぶも熱くて、たまらない。
「……あれ。十代目、お顔が赤いっスよ。もしかして具合悪いんですか?」
  なにも知らない獄寺が、心配そうに綱吉の顔を覗きこんでくる。
「や、あの、違っ……これは、その……」
  どう、返せばいいだろう?
  口ごもる綱吉の額に手をあて、獄寺は「う〜ん」と小さく唸る。
「熱っぽいような気もするけど……よくわかりません」
  困ったように獄寺は首を傾げる。
「本当に、なんともないから……」
  綱吉の言葉に獄寺は渋い顔をしてみせる。本当になんともないのかどうか、疑っている……いや、心配しているのだろう。
「ちょうどキリのいいところですし、今日はここまでにしておきましょうか、十代目」
  気遣わしげに告げられて、綱吉はただただ頷くことしかできなかった。



  折りたたみ式のテーブルを片づけたところで獄寺が、ようやく自分の布団がないことに気がついた。
  いつもなら二階へ上がる時に布団を持って上がるように声をかけられるか、二人のうちのどちらかが階下へ取りに行っていたのだが、今日はそれもなかった。母が途中で綱吉に声をかけに来たからだ。それをどう説明をしようかと綱吉がもたついていると、獄寺は心得たように「布団、取りに行ってきますね」と言った。勝手知ったる……というのは、こういうことを差すのだろうと半ば感心しながらも綱吉は、咄嗟に獄寺の腕を取っていた。
「あ……」
  こんなふうに引きとめようとするだなんて自分でも思っていなかったからだろうか、綱吉は驚いたようにパッと獄寺の腕を離す。
「ごめっ……あの……」
  手を離さなければよかったと思った。獄寺の腕をしっかりと掴んでいればよかった。
  触れたくて仕方がなかったのに、どうして離してしまったのだろうか。
「……ごめん、獄寺君!」
  咄嗟に腕を掴んでしまって。手を、離してしまって。それから、布団がなくてごめんと胸の内で綱吉は何度も繰り返す。
  言葉にして告げるのが不安だから、今、胸の中で練習をしている自分がみっともなくて、情けなくて、どんどん綱吉の気持ちは萎れていく。
「どうしたんスか、十代目?」
  きょとんとした顔で獄寺は、綱吉を見つめていた。
  あ……と手を止めた綱吉が硬直したままじっとしていると、ふーっ、と獄寺がゆっくりと息を吐き出した。
「疲れてしまったらテストどころじゃなくなっちゃいますよ、十代目」
  物分かりのいい獄寺に、わけもなく苛立ちが募る。
  そうじゃないのに。自分が言いたかったのは、そんなことじゃないのに。
  困ったように綱吉が眉間に皺を寄せると、おずおずと獄寺の指がその部分に触れてくる。
「下から布団、持ってきます」
  獄寺が言う。
「……違うんだ。あの、布団……今日はないんだ」
  恥ずかしいと、綱吉は思った。単なる事実を告げるだけだというのに、どうしてこんなにも恥ずかしいのだろう。
「へっ?」
  すっとんきょうな声をあげた獄寺は、どういうことかと綱吉の顔をのぞきこむ。
「そのっ……布団、今日はないから、オレと一緒に……」
  同じベッドで、と綱吉が言いかける。
「わかりました、俺、床で寝ます」
  十代目にお風邪はひかせられないっスと、獄寺は気遣ってくれる。
  そうじゃないのにとまたしても綱吉は臍を噛む。
  言いたいのは、そんなことではない。



「もうっ!」
  違うんだ、と獄寺の腕を掴み直すと綱吉は、ギロリと恋人を睨みつけた。
  自分よりも頭半分ほど背の高い獄寺を睨みつけるのは、少し怖い。体格差のこともあるし、元々の獄寺に対する怖さといったものもある。なによりも嫌われたらどうしようという不安が、綱吉の中ではいちばん大きい。
「そうじゃなくって、ちょっと狭いけど、オレのベッドを一緒に使うことになるけどいい、って訊きたかったんだってば!」
  そこまで一気に言いきると、はあっ、と綱吉は息を吐き出す。
  心臓がドキドキいっている。
  それこそ、頬や耳たぶだけでなく、あちこちが熱い。
「い…い、かな?」
  そろそろとお伺いを立てると、獄寺は嬉しそうに綱吉を見つめ返してきた。
「もちろん、喜んで」
  そう返すと獄寺はさっと腕を出し、綱吉の手を取る。
  ベッドまで数歩の距離を獄寺にエスコートされ、毛布に包まる。二人分の体温が混ざり合って、ベッドの中はすぐにあたたかくなった。
「おやすみなさい、十代目。明日もテスト勉強、頑張りましょうね」
  暗がりの中で獄寺が囁いた。
  目を閉じると、獄寺のにおいがふわりと鼻先を掠めていく。
  恥ずかしいような、嬉しいような気持ちになって綱吉はもそもぞと体を動かす。すぐに指先が、獄寺の手に触れた。
「手、繋いで寝ましょっか、十代目」
  いたずらっぽく獄寺に尋ねられれば、それだけで綱吉の心臓はドキドキと騒がしくなっていく。
「べ、別にいーよ、子どもじゃないんだし」
  言いながらも綱吉は、獄寺の手が自分の手を包み込むのを感じている。
「今度こそ本当におやすみなさい、十代目」
  甘ったるく囁かれ、綱吉は「うん」と返すのが精一杯だった。



(2012.12.12)
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