Bitter Sweet Love 1

  ホワイトデーだったから、お返しのチョコをあげようと思った。マシュマロよりもチョコのほうが獄寺には似合うような気がして、あまり行き慣れないデパートでチョコを買い、こっそり部屋に隠し た。
  ビター味のチョコには、小さく刻んだオレンジピールが入っている。二人で食べたならきっと、おいしいだろう。そう思って綱吉は、自らデパートで購入してきたのだ。
  獄寺が帰ってくる頃を見計らって、綱吉自身はベッドの中に潜り込み、眠ったふりをする。
  今から思えば、なんて子どもっぽいことをしたのだろうと思わずにいられないが、その日はやけにテンションが高かった。
  考えるまでもない。山本に煽られた自分が悪いのだ。親友の山本に、獄寺との関係がこのところあまりうまくいっていないことを指摘されてしまったのには驚いた。親友がそこまで自分のことを見てくれているとは思いもしなかった。
  だから……もしかしたら、少しだけ意固地になっていたのかもしれない。
  ケットの中でじっと息を潜めて、獄寺がベッドの中に潜り込んでくるのを待つ。
  眠っていると、獄寺は思うだろうか? 少しでも恋人を驚かすことができたなら、それでいいと綱吉は思う。
  獄寺を、驚かせてやりたい。大好きだから余計に、チョコを渡して驚いた時の表情を見たいと思う。
  それとも……獄寺は、こんなありきたりのものではさしてもの珍しいとも思わず、喜んでくれないのではないだろうか?
  デパートで購入したとは言え、あまり高価なものでもない。この程度のチョコレートをもらって、果たして獄寺が喜んでくれるだろうか?
  そんなふうに思ったら、急に怖くなってきた。
  獄寺にチョコを渡したくなくなってきた。
  今、自分がしようとしていることが滑稽に思えてきて、次第に惨めな気持ちになってくる。バレンタインに綱吉は、獄寺から高級ホテルでのディナーデートをした。スイートルームで朝まで二人でイチャイチャしたのは、つい一ヶ月前のことだ。それに比べると自分のお返しは、何と貧相なお返しなのだろうか。
  ベッドの中で丸まって、じっとしている自分はきっと、獄寺からしたら馬鹿みたいに見えるのではないだろうか。
  ああ……自分はなんて馬鹿なことをしているのだろう。
  はあ、と小さく溜息をついたところで、キィ、と玄関のドアの開閉する音が聞こえてくる。
  獄寺が帰ってきたのだ。ボンゴレの守護者としての任務も、右腕としての任務も終え、今はプライベートな時間だ。部屋に戻り、シャワーを使い、それから……時間的な余裕があれば、綱吉を抱く、恋人の獄寺が二人の部屋に帰ってきたのだ。
  綱吉の心臓はますますドキン、ドキンと大きく鳴り響く。
  このまま獄寺と顔を合わせたなら気まずい思いをすることは明らかだったが、それでも綱吉は身動きひとつすることができない。
「うぅ……やっぱやめときゃよかった……」
  息を殺し、歯の間から微かな息遣いで小さく呟いてみる。
  獄寺はきっと、シャワーを使うだろう。それから、キッチンでスポーツドリンクを飲んで……今夜は獄寺の受け持つチームのミーティングがあったから、食事はすませてきているはずだ。だから後はもう、寝るだけのはずだ。
  ……そう、この部屋のこのベッドで、眠るのだ、獄寺は。
  やめておけばよかった、今からでも自室に戻ろうかとモソリと動きかけたところで、部屋のノブがカチャリと音を立てた。
  咄嗟に息を潜め、綱吉はベッドの中に潜り直す。



  ドアが開いて、獄寺が部屋に入ってきた。照明灯のスイッチを入れる微かな音が、ベッドに潜り込んだ綱吉の耳にも聞こえてくる。
  耳慣れたいつもの足音が耳に入ってきただけで、綱吉の心臓はバクバクと早鐘を打っている。
  ケットの下でぎゅっと体を丸めて目を瞑っている恋人のことを、獄寺はどう思うだろう。
  あまりのみっともなさに、呆れ返ってしまうのではないだろうか。
  だが、そうは思いながらも綱吉は、ベッドの中から出ていくことができないでいる。
  自分の耳の中には、ドキドキと全力疾走中の鼓動の音しか聞こえてこない。獄寺の足音すらどこか遠くから聞こえてくるようで、自分でも気付かないうちに綱吉は、随分と動揺していた。
  不意に、ケットの上から獄寺の手がそっと綱吉の背中のあたりを撫でてきた。
  突然の感触に、ヒッ、と綱吉の体が縮こまる。
「ただいま戻りました、十代目」
  穏やかな声が、ケットの向こうからかけられた。ケット越しの獄寺の手は、優しい手つきをしている。
「起きて、待っていてくださったんですね、十代目」
  獄寺の声は嬉しそうだった。
  ケットをそっと剥がした獄寺は、ベッドの中で丸まっていた綱吉の肩を抱きしめた。起きて、自分の帰りを待ってくれていた恋人に対する労りだろうか、癖のある薄茶の髪の中に鼻先を埋め、愛しげに何度もくちづける。
「俺の帰りが遅くなる時は、先に休んでらしてください、十代目」
  十代目のほうがずっとお忙しいんですからと獄寺は言う。その言葉に綱吉は、慌てて首を横に振った。
「そんなわけないだろ! 獄寺君だって、他の皆だって……」
  ガバ、と飛び起きてそう言い募った綱吉の体を正面から抱き留め、獄寺は嬉しそうに喉を鳴らした。
「俺は、十代目の右腕ですから。十代目のために忙しいのなら、本望っスよ」
  そう言い切られてしまうと、身も蓋もない。綱吉にはもう、何も言い返すことができなくなってしまう。
「ぅ……」
  観念した綱吉は、獄寺の肩口にぎゅう、としがみついた。
「……ズルイよ、獄寺君」
  最高の殺し文句だと、綱吉は思う。そんなふうに獄寺に想われているのだと知らされるたびに綱吉は、嬉しいような恥ずかしいような、何とも言えない気持ちになる。
「十代目のためなら、何だってしますよ、俺は」
  その言葉を嬉しく思うと同時に、少し怖くも思う。自分が獄寺をこんなふうにしてしまったのではないかと、ふと怖ろしくなることがあった。自分の存在が、もしかしたら獄寺を縛りつけているのではないだろうか? そう思うと綱吉の気持ちは、途端に不安定になって揺らぎを見せる。その弱さを、リボーンに笑われること幾度となく。そういう弱さをもひっくるめて獄寺は、綱吉を好いてくれている。しかしほどほどにしなければ、そのうち嫌われてしまうぞとかつての家庭教師に言われれば、綱吉の不安はさらに大きく募っていくばかりだ。
「狡くはありません。俺は、どんな十代目も好きですから」
  臆面もなくそう告げる獄寺の大らかさが、綱吉は好きだ。そんなふうに想ってくれているのだと再認識するたびに、恋人のことをますます好きになっていく。
「オ…オレだって……!」
  慌てて告げた綱吉の頬に手をあてて、獄寺は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、十代目」
  それから、唇がおりてきて、キスを交わした。
  下唇をやんわりと吸い上げられ、綱吉は鼻にかかった声をあげた。ん、と小さく身じろぐと、獄寺の大きな手は、宥めるように綱吉の背中をなぞり、パジャマの裾をたくし上げ、その下の肌に直接触れてくる。
  脇腹をなぞり上げられて綱吉は、ビクリと体を震わせた。
  期待に満ちた貪欲な欲望が、体の奥底に灯った瞬間だった。



(2012.3.9)
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