喉の渇きを感じて、綱吉は目を覚ました。
波が引いていくように、ゆっくりと、確実に、体が目覚めていく。
重怠く、しかし幸せな気持ちでいっぱいの目覚めに綱吉は、口元に微かな笑みを浮かべる。
獄寺は隣で眠っていた。
連日の激務で疲れているのだろうか。目の前の恋人の頬に指先でそっと触れてから、綱吉はおもむろに起きあがった。
夕べは流されてしまったが、せっかくホワイトデーにと買ったチョコを渡してしまわないことには、気がすまない。
とりあえずは喉の渇きを何とかしようと、部屋の隅に置いた小型の冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、ゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。
冷蔵庫にペットボトルを戻す時に体の奥の甘い疼きを感じて、綱吉は小さく笑った。獄寺とセックスをした後に顔がニヤけてくるのは、いつものことだ。嬉しくて、幸せでならないのだ。
「……話、ちゃんと聞いてもらえなかったな」
夕べは、落ち着いて話を聞いてもらうような余裕はなかった。
それ以前に綱吉自身が雰囲気に流されてしまって、会話どころではなかったのだが。
隠してあったチョコをタンスの中から取り出すと、まだぐっすりと眠っている獄寺の枕元にそっと置く。
獄寺は、喜んでくれるだろうか?
このところ獄寺との関係がうまくいっていなかったのは、些細な行き違いが原因だった。とは言っても、獄寺が綱吉と対立するようなことをするはずもなく、たいていの場合は綱吉が勝手にふて腐れるばかりだ。或いは獄寺がなし崩しに綱吉の機嫌を取って強引に収束させてしまうか、だ。どちらにしても、綱吉が敵う相手ではないことは確かだ。獄寺ときたら、綱吉を甘やかすことにかけては誰よりもツボを心得ているのだから。
山本に茶化された手前、意地を張って獄寺に謝るタイミングを見失ってしまっていた。少し、我が儘だったかもしれないと綱吉は思う。
軽く溜息を吐き出してから綱吉は、再び獄寺の隣にもぞもぞと潜り込んでいく。気持ちは充実していたが、体はまだ少し休みたがっている。もう一眠りしようと獄寺に体をすり寄せる。
不意に獄寺が身じろいで、ぐい、と腰を抱き寄せられた。
「わ、あ……?」
反射的に逃げようとすると、さらに強い力で抱きしめられる。
「おはようございます、十代目」
まだ眠たそうな様子で獄寺は、ボソボソと呟いた。
「お……おは、よう……」
気まずいのは、いつものことだ。
獄寺と同じベッドで目が覚めた朝は、いつも気恥ずかしい。恋人になってもう何年も経っているというのに、不思議なものだと綱吉は思う。
「聞きたいことがあるんですが」
綱吉の体をぎゅっと抱きしめたまま獄寺は言葉を続ける。口元がちょうど綱吉の耳の上のほうを掠めるものだから、ダイレクトに声が鼓膜を震わせてくる。甘い言葉を囁かれているような錯覚を起こしそうになる。
「聞きたいこと、って、なに?」
何を尋ねられるのだろうかと綱吉は、少しだけ用心をする。時々、獄寺は突拍子もないことを聞いてくることがある。だからいきなり何を尋ねられても慌てないように、心の準備をするつもりで綱吉は、獄寺の腕に手をかけ、しがみついていく。
「バレンタインのお返しをいただけると、昨夜、十代目から聞いたような気がするのですが……」
そう言った獄寺の目は、既に期待に満ちている。
「言った……言ったよ、言ったけどっ……」
そんなに過剰に期待されても困るのだと、綱吉は控え目に告げる。
デパートで買ってきたと言っても、金額的に言うとたいしたものではない。普段の獄寺が自分にしてくれることやものを思うと、庶民的で貧弱にすら思えてくるほどだ。
「あの、ふっ、二人で……二人で一緒に食べれたらいいなと思って……」
しっかりしろと綱吉は心の中で思う。獄寺と恋人になってもう何年になるのだろうか。毎度毎度、こんな感じで恋人同士の行事が過ぎていく。もっとスマートにできないものかと思うものの、どうしても恥ずかしさが先に立って、気の利いたことができない自分が情けなくてならない。
ああ、もうっ、と最後に綱吉が投げやりにぼやくと、獄寺の唇がチュ、と耳たぶの先に触れた。
「ありがとうございます、十代目。そのお言葉だけで、俺には充分です」
獄寺が口を開くたびに、吐息が耳を掠めていく。気持ちいいようなくすぐったいような感じがして、綱吉は首を竦める。照れ臭いのを隠すかのように、くすぐったいと綱吉は唇を尖らせ、小さく文句を告げた。
「後で……」
と、言いながら獄寺は、その唇で綱吉の髪や頬やまぶたに触れてくる。
「後で?」
「はい。後で、一緒に食べましょう、十代目」
嬉しそうに返す獄寺の顔がその瞬間、窓から差し込む朝の光の中でやけに眩しく見えた。 小さく頷いて綱吉は、獄寺の頬の端に口付ける。程良く筋肉がついてがっしりとした胸板に腕をかけて、伸び上がってついでに顎の先にもキスをする。
「もちろん」
答えた綱吉も、嬉しそうに微笑んだ。
見つめ合い、互いに顔を寄せ合って、ゆっくりと唇を近付けていく。
チュッ、チュッ、と可愛らしい音がして、交互に相手の唇をやんわりと甘噛みする。
今朝ばかりは恥ずかしさも照れ臭さも投げ出して、恋人の腕に身を任せておこう。たまにはこんなふうに穏やかな甘い日があったとしても、いいだろう。
そんなふうに綱吉は思ったのだった。
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