バレンタインにはなにをプレゼントしようか。
ベッドの上でゴロンと仰向けになって、綱吉はあれこれと考える。
なにを渡したら獄寺は喜んでくれるだろうか。今年は逆チョコが流行っているらしいから、綱吉のほうからチョコを渡してみようか。それとも、やっぱりアクセサリーだろうか? 獄寺はシルバーのアクセサリーが好きだから、綱吉でも手の届きそうな小さなアクセサリーで、ちょっと見た目が凝ったようなものを探してみようか。いや、でもそれだと誕生日やクリスマスと大差ないかと思ったりしながら、頭の中であれこれと考えてみる。
天井を見上げてぼんやりしてみるが、これと言っていい案が浮かんでくるはずもなく。
はあぁ、と溜息をついてベッドに起きあがる。
なにがいいだろう。なにを贈れば獄寺は、喜んでくれるだろうか?
眉間に深い皺を寄せて、綱吉は小さく呻いた。
なにも、思いつかない。獄寺になにを贈れば喜んでくれるのか、皆目見当もつかない。
「……やっぱチョコかなぁ」
呟き、背中からベッドへとドスンとダイブする。
溜息をつくと、綱吉は天井を見上げた。
やっぱり頭の中は真っ白で、なにひとつとしていい案が浮かんでこなかった。
男同士の恋が異端だということは、綱吉自身も理解していた。
それでもやっぱりバレンタインを祝いたい。日本では女の子から男の子へチョコを贈るのが定番だが、世間ではちょうど逆チョコが流行っていると聞く。男の子から女の子へチョコを贈るのが、今年の流れらしい。
それを思うと、綱吉も同じように世間の波に乗って、獄寺にチョコを渡してみたいと思わずにいられない。
そうだ、やっぱりチョコにしよう。獄寺が好きそうな、ビターチョコにしようか。それとも甘いホワイトチョコ? 定番のカカオやミルクもいいかもしれない。ああ、だけど……と、少しだけ綱吉は浮かない顔をする。あまり値の張るものを購入することはできない。なんと言っても中学生には欲しいものが多すぎて、常に小遣いが足りないのだ。
それよりも獄寺はどうするつもりだろうか。いつも十代目一筋な獄寺のことだから、誕生日やクリスマス同様に、なにかしら綱吉に贈るつもりでいることはまず間違いなかった。
綱吉の誕生日には、前から欲しかったゲームソフトをプレゼントしてくれた。あの時はまだ、つき合い始めたばかりで手を繋ぐことすらやっとだったのだ。クリスマスにはシルバーの腕時計だった。高価なものはもらえないと綱吉が言うと、獄寺はかわりにキスを強請った。唇へのキスは、それが初めてのことだった。
獄寺の唇は柔らかくて、微かに煙草のにおいがしていた。
ただぼんやりと考えているうちに日々は過ぎ、そうこうするうちにバレンタインが目前に迫ってきた。
商店街のスイーツショップに出入りする女の子たちは必死になってチョコを追い求めている。その姿を横目に、綱吉はただただ躊躇うばかりだ。あの女の子たちの群の中に飛び込んでいくことは、綱吉にとって非常にハードルが高かった。無理だ、あんなところに踏み込んでいけるわけがないと、綱吉はガクリと肩を落としてただただ指をくわえてショップの入り口を見つめるばかりだ。
まだ獄寺になにを贈るか決めていない。
いや、別に贈らなくてもいいのだと、胸の片隅で綱吉は思う。
だいたい、男同士でチョコを贈り合うというのがどう考えてもおかしい気がする。それを言ってしまうとそもそも男同士で恋人というのもおかしいのだが。
はあ、と溜息をつくと、隣を歩いていた獄寺が怪訝そうに綱吉の顔を覗き込んできた。
「どうしたんスか、十代目。どこかお加減でも?」
朝からずっと溜息ばかりっスよと、心配そうに獄寺が問いかける。綱吉は笑みを浮かべて「なんでもないよ」と返した。
まさか、バレンタインにチョコを贈るかどうかで悩んでいるのだとは、さすがに言い出すこともできなかった。
かぶりを振って綱吉は顔を上げた。
獄寺は、まだ心配そうに綱吉の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫だよ、獄寺君。ちょっ考え事してただけだから」
バレンタイン当日は、朝から甘ったるいチョコのにおいが町中を包み込んでいるかのようだった。
あちこちで、女の子から意中の男の子へと渡されるチョコレートたち。
小さな包みにリボンをかけてこっそり相手の鞄に忍ばせる子がいれば、どうどうと相手に手渡す子もいる。女の子から男の子へ、そして男の子から女の子へ、皆、想いを寄せる相手にチョコに込めた気持ちを渡している。
「どうしよう……」
いつもの通学路を歩きながらはあぁ、と綱吉は溜息をつく。結局、プレゼントどころか、チョコすら手に入れることができなかった。やっぱりダメダメだなと、嫌みたらしいリボーンの声が今にも聞こえてきそうな気がする。
「どうしたんスか、十代目?」
座り込んで頭を抱えていた綱吉の顔を覗き込むようにして、獄寺が腰を屈めている。
「なにかあったんスか?」
尋ねられ、綱吉はうぅ、と小さく呻いた。
「う…ん。あったというか、なかったというか……」
口ごもりながらボソボソと綱吉が告げると、獄寺がさっと自分の鞄の中に手を突っ込んだ。
「十代目、イタリアからチョコを取り寄せました。昼にでも召し上がってください!」
そう言って獄寺が差し出してくるのは、大きくはないがそこそこの大きさの平たい箱だった。落ち着いた淡い色合いの箱の蓋をそっと開けると、中には艶やかなチョコレートが並んでいる。
「獄寺君……オレ……」
ありがとうと、綱吉は言った。
獄寺は嬉しそうに笑っていた。
あれこれ悩んだ挙げ句、自分はなにも用意することができなかった。それなのに獄寺は、こんなにもスマートにチョコを用意してくれていた。それも、こんな自分のために、だ。
嬉しさよりも、申し訳なさのほうが大きかった。
「ありがとう、獄寺君」
もう一度、はっきりとそう告げると、綱吉はチョコを大事そうに鞄にしまった。
昼休みは、綱吉と獄寺と山本の三人で食事をとる。
日差しがあたたかだったから、三人は気紛れに屋上に出た。二月の空気は冷ややかだったが、風も雲もなく、日差しは穏やかだ。
弁当を食べ始めてすぐに、野球部の生徒が山本を呼びに来た。緊急のミーティングが入ったらしい。ごめんなと言いながらも山本は、楽しそうに屋上を後にした。
残された綱吉と獄寺は、顔を見合わせ、奇妙な気まずさを感じていた。いきなり二人だけにされてしまい、空気が一瞬にしてぎこちなくなってしまったようだ。
「あ……あの、チョコ……そう、朝、獄寺君にもらったチョコレート、食べてみようかな」
しどろもどろになりながらも綱吉が宣言すると、獄寺がパッと顔を上げた。
「十代目のお口に合うかどうかわかりませんが、どうぞ食べてください」
獄寺の許しをもらって、綱吉はチョコの箱を開けた。中に入っているチョコの一粒一粒が、艶やかな光沢を放っている。
「これ、味が違うのかな」
箱の中は、チョコレート濃い茶色と、薄い茶色の二色に斜めに分割されて並んでいた。薄い方のチョコを指で摘んで取り上げると、綱吉は口に放り込んだ。途端に口の中にチョコレート独特の甘さとヘーゼルナッツの芳ばしい香りが広がる。
「ね、これおいしいから獄寺君も食べてみなよ」
勢い込んで綱吉は、チョコを摘んだ。
「はい、あーん」
家でランボにしてやるように綱吉は、獄寺の口元にチョコを持っていった。
恥ずかしいのか、獄寺が申し訳程度に口を開く。
「もっと口開けてくれないと、食べさせられないだろ」
言いながら綱吉は、チョコレートで獄寺の唇をつん、とつついた。
「ん……」
あーん、と獄寺が躊躇いがちに口を開く。綱吉はさっとチョコレートを口の中へ放り込んでやった。さっと引いた指先が、獄寺の唇に一瞬触れてから離れていく。
「あ……」
驚いたような獄寺の声に、綱吉の胸の鼓動がドキン、とひとつ脈打つ。
「こっちのチョコは、どんな味なんだろ」
そう言って綱吉は、獄寺の唇に触れた指をそのまま自分の口へと持っていった。ペロリと舐めた指先からは、チョコレートの甘さしか感じられない。
「ど…んな、味、でしたか?」
上目遣いに獄寺が尋ねる。
「うん。よくわからなかった」
小さく肩を竦めた綱吉は、さっと手を伸ばして獄寺の顎をやんわりと掴んだ。
「もう一回、味見させて」
言いながら獄寺の唇に自分の唇を素早く重ねる。やや強引に舌を差し込むと、獄寺の口の中を舌で掻き混ぜた。ムッとするような甘ったるいチョコの味は、定番のミルクチョコの味だ。
「ん、ん……」
遠慮がちに獄寺が綱吉の肩を押し返してくる。綱吉は唇を離すと、獄寺から顔を背けた。 「……味、わかりましたか、十代目」
獄寺が尋ねてくるのに綱吉は、困ったような笑みを浮かべた。
「チョコの味しかしなかったよ」
それから、獄寺のにおいが少しだけ。
自分でチョコを用意しなくてよかったと、綱吉は思った。もしも自分でチョコを用意していたら、今頃はこんなところで呑気にチョコを食べていられやしないだろう。
「甘かったけどね」
なにが、とは綱吉は言わなかった。
ちらりと盗み見た獄寺は、顔だけでなく首筋まで真っ赤にしていた。
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