「それじゃあ、留守中のことはフゥ太に任せてあるから……」
言いかけた綱吉の言葉を遮るようにして、山本が肩を掴んでくる。
「仕事の話は今はいいから、さっさと車に乗れよ」
「獄寺氏が可哀想ですよ、ボンゴレ」
あちこちからからかいまじりの声が飛んできて、綱吉はぐいぐいと背中を押される。
無理矢理押し込まれた車の中ではすでに獄寺が運転席に座ってハンドルを握っていた。綱吉が車に乗り込んできたのを見て、「いつでも出発できます、十代目」と、いつになく小難しい顔をして告げてくる。
「運転ぐらい、オレが……」
言いかけたところで誰かが強引にシートベルトを締めてしまい、綱吉は身動きが取れなくなってしまった。抵抗しようとすると山本が「まあまあ」といつもの脳天気な態度で綱吉の肩を拳骨で軽くこづいた。
「運転ぐらい獄寺にさせてやれよ」
そう言われて、綱吉は少しだけムッとなった。いくら親友でも、もうちょっと空気を読んでくれてもいいのではないかと思う。
「せっかくの婚前旅行……あれ、新婚旅行か? ……まあ、どっちでもいいか。とにかく、せっかく二人きりで旅行するんだから、楽しんでこいよ」
そう言って山本はカラカラと笑った。
人の気も知らないでと、綱吉は恨めしそうに親友を睨みつける。
学生時代から獄寺とは恋人同士のつき合いを続けて十年が過ぎた。ここらでケジメをつけるべきだと思ったが、こんなふうにして皆に暴露され、旅行に送り出されることになるだろうとは思いもしなかった。
サイアクだと綱吉は思う。
ちらりと隣に座る獄寺の顔を見ると、彼は怒っているのと照れているのとが入り交じったような複雑な表情をして、じっと真正面を睨みつけている。
「獄寺君、あの……」
最後まで言い終えるよりも早く、車が発進した。
背もたれに全身が押しつけられるような感じがする。急激に加速したせいだ。
腹に響くようなエンジンの低い音と、背後で響くガラガラという音に、綱吉は眉間に皺を寄せた。
「あいつら、絶対に面白がってやってるだろ……」
ボソボソと呟きながら何とか後ろを振り返ってみると、案の定、後部のバンパーにいくつもの空き缶が括りつけられていた。
ガラス越しに見える人たちはにぎやかしに手を振ったり、万歳三唱をしたりと忙しそうにしている。
「ああ……もうっ、なんであんなに騒がしいことになってるんだよ!」
自分はただ、親友の山本に、獄寺とのつき合いにケジメをつけようと思うと言っただけなのだ。それなのにどうしてこんな大事になってしまったのか。
昨夜は友人たちを集めて、大きなパーティが催された。
表面上は獄寺の誕生日祝いだったが、そうでないことは綱吉にも薄々わかっていた。何しろ、獄寺の誕生日は一週間以上前に終わっているのだから。
それだけではない。獄寺に贈られた誕生日プレゼントは、どれもこれも怪しげなものばかりだったのだ。
フゥ太とランボ、それにイーピンからは温泉旅館の宿泊券だった。今、綱吉たちが乗っているこの車は、ジャンニーニとスパナ、正一からの贈り物だ。それ以外の贈り物は既に荷造りされていて、車のトランクに積んであると言われているのでまだ開封すらしていないが、かわりに渡されたお品書きには暗号のような単語がずらりと並んでいた。おそらく、荷物の中からは妙なものが出てくるのではないだろうか。
「……ごめんね、獄寺君。山本に言ったオレが悪かったよ」
まさかこんなことになるとは思ってなくてと言い訳をしようとすると、獄寺は「十代目は悪くはありません」と返してくる。
綱吉はただ、ケジメをつけたかっただけなのだ。
男同士だから世間一般で言うところの結婚という名のゴールに至ることはできなくても、それに近しいことはできるはずだと思った。それが、獄寺との同居だった。落ち着いたらそれぞれの親にも挨拶をしなければと思ってはいるが、それよりもまず、獄寺と二人きりで互いの気持ちを確かめ合いたいと思っていた。
何よりも、誰にも邪魔されない場所で、二人きりになりたかった。
獄寺の運転で車は山奥の旅館へと進んでいく。
紅葉の季節らしく、そこここで木々の葉がうっすらと色づき始めている。時期的にもまだ早いから夏の名残の青々とした葉が多いものの、ほんのりと赤や黄色の入った葉が、美しい。時折、目に飛び込んでくる鮮やかな赤は、ナナカマドの実の色だ。
運転に夢中になっている獄寺を横目に、綱吉はゴクリと唾を飲み込む。
ケジメをつけようと思っただけで、まだプロポーズの言葉すら口にしていないのだ。
獄寺からちゃんとした返事をもらうどころではない。順序だってむちゃくちゃだし……きっと獄寺は、呆れていることだろう。
「獄寺君。旅館についたら、話があるんだ」
ちゃんとプロポーズをしたい。言葉で愛していると、獄寺に伝えたい。
綱吉の気持ちを理解してくれているのか、獄寺はただ「はい」とだけ、頷いた。
ここまで来れば邪魔が入ることはないだろう。
二人きりでのんびりと温泉につかって、美味しい料理を食べて、それから……それから、これまでずっとお預け状態だったエッチにだって、あわよくばなだれ込むことができるかもしれない。
貞操の固い獄寺は、これまでキスまでしか許してくれなかった。なんだか意外な気がしないでもなかったが、綱吉とつき合っていたこの十年間、手を繋いだり肩を抱いたりキスしたりというスキンシップはあっても、セックスは一度としてしたことがなかったのだ。
だから綱吉は、なおさらこの日を楽しみにしていたというのに、山本が口を滑らせたばっかりに、全員に知れ渡ることとなってしまった。
夕べはディーノや白蘭、炎真たちまでやってきて、ちょっとした騒ぎになったのだ。
覚えとけよと綱吉は思う。山本がケジメをつける時にはきっと、同じように皆を呼び集めてパーティを開いてやる。
一人で息巻いていると、隣でハンドルを握っていた獄寺が、小さくクスリと笑った。
「え? なに?」
きょとんとして獄寺のほうを見ると、彼は柔らかな笑みを浮かべて綱吉のほうへと視線を馳せた。
「皆にバレたのは腹立たしいし、山本のヤツはぜってー許さないっスけど……十代目と二人きりで旅行なんて、初めてで嬉しいっス」
考えてみると、これまでの旅行はいつも誰かと一緒だった。フゥ太やランボがついてくることもあったし、ハルや京子と一緒にグループ交際ぽく集まったこともある。ディーノに連れられて行った温泉では、バリアーの連中と鉢合わせしたこともあった。山本が一緒のことがいちばん多かったような気がするが、いつも仲間たちと一緒にいることができて、楽しかった。獄寺と二人きりになりたいと思うことはあっても、彼らと一緒にいることもまた、綱吉の幸せだったのだ。
「そう言えば、そうだね。オレも嬉しいな。出発時のアレさえなければ、もっとよかったんだけどね」 綱吉の言葉に獄寺も、口元に苦笑いを浮かべる。
「夕べ、どさくさに紛れてアイツらが押しつけてきたアレ、どうしますか、十代目」
言いながら獄寺はスーツのポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。
お品書きだった。
夕べ、獄寺に渡された誕生日プレゼントのリストとやらだ。くしゃくしゃになってはいるが、一応、獄寺も気になっているようだ。
「……旅館についたら、何があるか確かめてみようか」
きっと、とんでもないものが紛れているような気がするのは気のせいではないだろう。
少しだけ悩んでから獄寺は、小さく頷いた。
「そうっスね」
山の中を散策したり、途中で見かけた甘味処で団子を食べたりしながら、少し遅い時間に旅館に到着した。
太陽がちょうど西の向こうに沈んでいくところで、それはそれは綺麗な夕焼けが空いっぱいに広がっていた。オレンジ色と、空の濃い青い色が入り混じって、ゆっくりと夜の色へと移り変わっていく。
「いい時間に着いたね」
二人の腹の虫もいい感じに騒ぎ出したところだった。
迎えに出てきた旅館の主人に車を預け、部屋へと案内してもらう。
フゥ太から聞いていた話では露天風呂があるとのことだったが、部屋にも小さな露天風呂がついていると、従業員から教えてもらった。
部屋に案内され、時間も時間だからすぐに食事を運んでもらうことにする。
腹が減ってたまらないのは、二人とも同じだ。
二人して顔を見合わせ、どちらからともなく笑い合う。照れ臭いのを誤魔化しているのだということは自分たちでもよくわかっている。つられて腹の虫がぐぅ、と鳴った。
こうして二人で笑い合えることが幸せだなと、綱吉は思った。
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