夜の欠片 2

  綱吉の側にいることが、当たり前になっていた。
  中学生で綱吉と出会った獄寺は、この十年間、ずっと彼の側で過ごしてきた。
  時たま、仕事の関係で離れることもあったものの、二人の関係は続いている。
  数年前に恋人同士になってからは、綱吉のほうからなにかと獄寺に色めいたことを仕掛けてくるようになった。悪くはない。これまで、好きで好きで仕方がなかった相手からの誘いだから、獄寺も嬉しくて仕方がない。
  しかしその一方で、どこまで自分には許されているのかと思い煩うことが多くなった。
  綱吉に触れるための許可は、要らない。だがどこまでならいいのだろうか。キスは、できる。「好きです」と告げて、綱吉のネクタイを解いたり服を脱がすことも、大丈夫だろう。では、その先は? どこまでなら許されるのだろうか? フェラチオは、するのもされるのも嫌ではない。少し積極的に求めることもたまにはあったが、そういう時の綱吉は、快く応じてくれる。獄寺が欲しいと思うものを、いつも心地よいタイミングで綱吉は与えてくれる。
  だけど……本当は自分は、綱吉の側にいることを許されているのだろうかと疑心暗鬼になる時があった。
  守護者として、ボンゴレ十代目の右腕としてなら、構わないだろう。そのポジションは他の誰にも譲るつもりはなかったから。
  しかし恋人として自分は、綱吉にどの程度まで求められているのだろうか。どこまでなら、側にいることを認められているのだろうか。
  いったん悩み始めると、後ろ向きな思いが獄寺の頭の中をグルグルと回りだす。
  どうしたらいいだろう、どうしたら綱吉の側にずっと居続けることが出来るだろうと、あれやこれやとつい、考えてしまう。綱吉が聞いたらきっと笑い飛ばされてしまうようなちっぽけなことを、獄寺は胃に穴があくほど考えこんでしまうのだ。
「馬鹿だな……」
  呟いて獄寺は、窓の外をじっと見つめる。
  綱吉のいない部屋は静かで、空調の音と、バスルームからの水音が微かに耳に聞こえてくるばかりだ。
  夜景は美しかった。
  キラキラと光り輝く色とりどりの照明が目に眩しい。夜は、いったいどこへ行ってしまったのだろうと思わずにはいられない。
  真っ暗な夜の中で、綱吉に抱かれたいと獄寺は思った。
  この部屋の灯りを全て消して、窓の向こうの小さな煌めきだけを頼りに、抱き合いたい。
  奪い、奪われ、貪り合って互いの体を繋ぎたい。
  ──…はあ。
  溜息をついた獄寺は、自分が不安になっていることに気づいた。
  ここには、綱吉がいるのに。バスルームから出てきたら綱吉は、自分を抱くだろう。
  なのに何故、こんなにも不安なのだろうか。
  この不安はいったい、どこから来たものだろうか?
  窓の外をじっと見つめながら獄寺は、窓ガラスについた拳を強く握りしめていた。



  バタン、と音がして、バスルームのドアが開いた。
  石鹸のにおいと一緒に綱吉が部屋へ戻ってきた。獄寺と同じようにバスタオルを腰に巻きつけ、ドライヤーを手にしている。
「獄寺君。髪、乾かしてあげる」
  そう言われてしまえば、獄寺は逃げられない。綱吉の好意を断ることもできず、大人しく部屋の片隅にある化粧台のところへ足を向ける。
「十代目は……」
「オレはもう、乾かしてきたから」
  いつの間にか要領よく立ち回る術を身につけた綱吉を、憎らしくも愛しく思う自分がいる。
  いつの間にこの人は、こんなにも大人になったのだろうか。自分の手の届かないところへいつか綱吉が行ってしまうのではないかと思うと、不安でいても立ってもいられなくなる。
「ほら、ここに座って」
  言われて、獄寺は大人しく綱吉に身を任せる。
  髪を乾かしてもらうのは嫌ではない。優しげな指先が髪を梳き、地肌に触れるのを感じると、獄寺の体は震えそうになる。綱吉に触られているのだと思うと、それだけで体が熱くなってくるのだ。
  拗ねたような目で鏡越しに綱吉を見つめると、彼は嬉しそうに目を細めて獄寺を見つめ返してくる。獄寺の世話を焼くのが楽しくて仕方がないといった様子だ。
  髪が乾くと、綱吉の指が離れていく。
  ああ、と獄寺は口の中で小さく呟く。
  ドライヤーを化粧台の隅に置いた綱吉は、まだ椅子に腰かけたままの獄寺の肩を背後から抱きしめた。
「いいこと思いついたよ、獄寺君」
「は?」
  鏡越しの獄寺が、不思議そうに目を瞬かせる。
「ここで、しよう。鏡の前で」
  そう言うが早いか、綱吉の唇が、獄寺の髪に押し当てられる。それから、焦らすように耳たぶを舌先でつつき、ゆっくりと前歯を当ててくる。
「じゅ…十代目……」
  ゾクリと、獄寺の背筋を痺れのようなものが駆け下りていく。
「ベッドに行きませんか、十代目」
  囁いた言葉は弱々しく、掠れている。鏡越しにこちらを見つめてくる綱吉に自分が欲情していることは自覚している。だが、恥ずかしい気持ちもあった。ベッドの中でならともかく、鏡の前でなんて、これまでしたこともない。キュッ、と唇を噛み締めると獄寺は、縋りつくように鏡の中の綱吉を見つめ返した。



「……なんでこんな時ばっかり消極的なんだろうね」
  はーっ、と溜息をついて綱吉は言った。
  今にも泣き出しそうな獄寺の眼差しが功を奏したのか、綱吉は名残惜しそうに獄寺の体から身を離した。
「せっかくの誕生日なんだし、獄寺君のご希望通り、ベッドに行こうか」
  溜息をつきつき綱吉が告げるのに、罪悪感を感じないわけではなかったが、獄寺は「すみません」と呟くことしかできなかった。
  小さく苦笑しながら綱吉が獄寺の手を取る。
「おいで」
  一言、優しい口調で命令されるだけで、獄寺は綱吉の言葉に従ってしまう。
  ベッドへ連れて行かれた獄寺は、うつ伏せに寝るように命じられた。バスタオルを巻いたままの下肢が滑稽に思える。そのせいだろうか、獄寺の中に気まずいわだかまりのようなものが生じる。
  おずおずとベッドに伏せると獄寺は、ちらりと綱吉を振り返る。
「十代目……」
  込み上げてくる不安を隠そうとしたが、できなかった。全身がカタカタと震えている。
  背中に綱吉の重みを感じた。あたたかな綱吉の肌がピタリと獄寺の背中につき、肩胛骨のあたりにチュ、とくちづけられた。
「……んっ」
  思わず声が洩れてしまう。
「恥ずかしい?」
  尋ねられ、獄寺はコクリと頷いた。
「……嫌じゃないよね?」
  もう一度尋ねられ、同じように獄寺は頷く。
  嫌ではないが、恥ずかしい。そして、綱吉の気持ちが今ひとつよくわからず、恐くてたまらない。
  もしかしたら綱吉は、怒っているかもしれない。そんな素振りは微塵も見られないが、バスルームで拒み、鏡の前で綱吉を拒んだ獄寺に対して、苛ついているかもしれない。恋人として自分はもしかしたら、失格なのではないだろうか? いくら恥ずかしくても、すげなく拒んでばかりいてはいつか飽きられてしまうかもしれない。
  どうしたらいいのかわからず、ベッドにうつ伏せになったままじっとしていると、腰を引き上げられた。
「膝に力入れて?」
  言われるがままに獄寺は膝に力を入れて、腰を浮かせた。綱吉の手が素早くバスタオルを取り去ったかと思うと、ついで獄寺の尻にひんやりとした感触のものが垂らされた。
「ひっ……!」
  ビクン、と腰が跳ねそうになるのをすかさず綱吉の手が押さえつける。
「大丈夫。ローションだよ」
  たらりと尻を伝う感触が、気持ち悪い。トロリとした冷たいものが尻にたっぷりとなすりつけられたかと思うと、今度は綱吉の指がマッサージをするように肌を揉みしだき始める。
  尻の狭間の奥のほうへと指が下りてきたかと思うと、襞を撫で、そのまま去っていく。
  触れて欲しいと思う自分の淫乱さに、嫌気が差す。
「んんっ……」
  体が崩れ落ちないように膝に力を入れると、尻の穴がキュッと締まった。綱吉に見られているのだと思うと、襞がヒクヒクとなりそうで、恥ずかしい。
  ツプ、と音を立てて襞をこじ開け、綱吉の指先が獄寺の中へと潜り込んでくる。
「っ、あ……」
  侵入する指の腹が、焦らすように獄寺の内壁を擦り上げる。ぐるりと指を回して内壁を擦られると、襞が蠢き、指をさらに深いところへ飲み込もうとするかのように収縮を繰り返す。
「ぁ……やっ!」
  ローションのせいだろうか、ひんやりとした感触がもどかしい。もっと中までいっぱいに満たして欲しいのに、物足りない。
「十代目、もっと……!」
  思わず口走った獄寺の声は、掠れている。
  言ってから自分の言葉に気付いた獄寺は、慌てて口を押さえた。
「もっと?」
  耳元で尋ねる綱吉の指が、大きく弧を描いて獄寺の中を掻き混ぜた。
「んっ……あ……あ、あ……!」
  抉るようにして深いところを引っかかれ、獄寺の腰が跳ねる。
  体の中を走り抜けた快感のうねりが、甘い痺れを体に残してゆっくりと去っていく。
「は、ああぁ……」
  腰が揺れそうになると、綱吉の手が宥めるように獄寺の前へと回された。硬くなりかかっていた股間のものをてのひらに包み込むと、綱吉は手を動かし始める。綱吉のてのひらに残ったローションが、獄寺の性器を擦り上げるたびにグチュ、グチュ、と湿った音を立てている。
「ダメ……ダメです、十代目……」
  快楽が広がって、頭の中が真っ白になっていく。
  首の後ろでドン、ドン、と太鼓を叩く時のような音が鳴っている。
「あ、あ……」
  腰が揺れる。体の中に潜り込んだ綱吉の指が蠢き、中で不規則な律動を刻んでいる。獄寺のペニスを握りしめたほうの手は、ローションと先走りが混じっていつしかドロドロになっていた。
「ダメ……」
  掠れた声で、獄寺は何度も呟いた。



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(2011.9.10)



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